Home > 教育

教育 アーカイブス

思春期・青年期の心理臨床(’09)

今学期受講している4科目の最後です.とっくに終わっていたんですが,記憶の心理学をまとめるのに,ものすごい時間がかかってしまったため,こっちもずるずると遅くなりました.いつも通りに,まとめていきたいと思います.

思春期・青年期

子どもから大人への移行期あるいは過渡期,それが思春期・青年期といわれる時代である.学校区分によると,小学校高学年頃から思春期が始まり,中学・高校時代に最盛期を迎え,青年期と重なり,この青年期は社会に出始める時期まで続き,成人期初期と重なる部分もある.

思春期とは,第二次性徴により児童期の終わりを告げ,生物的な大人への一歩を踏み出すステップにあたる.男子では,喉頭軟骨の発達・変声・外陰部の変化・外陰部の発毛・腋下の発毛・精通を,女子では,乳房の発達・外陰部の発毛・腋下の発毛・女性的な丸みをおびた体型への変化,初潮を体験する.

青年期では,思春期と大部分の期を重ね合わせながら,社会的な存在として意識し始めることを特徴とし,プレ大人としての入り口に立たされる時期に値する.エリクソンは,この「自分」を確立した状態を,アイデンティティとし,思春期・青年期のライフサイクルにおける発達課題は,「自我同一性」とした.

急激な体格の変化,第二次性徴の出現は,個人差が大きいものの平均して12~13歳くらいに見られることが多い.考え方の変化は,第二次反抗期などの形によって表われる.親から与えられていた価値観に疑問を持ち始め,大人たちの言動一つひとつに苛立ちを覚え,暴言を吐いたり,無視したり,果てには反社会的行動に出たりと,試行錯誤を繰り返す.思春期の「1度それまでの価値観を壊し,再構成して」いく通過儀礼の中では,避けられないものでもある.

青年期は,思春期に始まる自己の再構成を引き続き,取捨選択し,つなぎ合わせ,融合させていき,形成されたものを強化していく時期ともいえる.周囲からの批判も肯定的に受け入れられるようになり,自我状態が安定していく.

日本人のアイデンティティとその問題提起

河合は「日本人はその自我を作り上げてゆくときに,西洋人とは異なり,はっきりと自分を他に対して屹立しうる形で作り上げるのではなく,むしろ,自分を他の存在のなかに隠し,他を受け入れつつ,なおかつ,自分の存在をなくしてしまわない,という複雑な過程を経てこなくてはならない」と指摘している.

欧米での個人は「私」としての一人称独立の形,つまり,「責任主体として独立した人格」であるのに対して,日本人は,自他の区別が曖昧で「人との関係の意識」なしでは語れないこと,事実そのものを表現するというより,「事実がこの関係を通して,この関係に色づけられて表現されることになる」ことを指摘している.

集団への帰属

11歳前後から中学生にかけては,同世代の同性の友人との交流が重要であり,サリバンはこの親密な関係をチャムシップと呼んでいる.仲間集団との遊びや勉強に対して外向きの関心が高まり,思春期に向けて自分探しの内的作業を通して,集団への帰属を考えるようになる.

不適応行動

不適応とは,個人と環境とのバランスの問題であり,個人が環境とうまく調和できていないことをいう.長尾は,ヒトの不適応の現れ方として,不安,恐怖,抑うつ,脅迫などの「精神症状」,不登校,反社会的行動,ひきこもりなどの「問題行動」,不眠,食欲不振,過食などの「身体症状」として生じるとし,教育相談現場の心理臨床家にとって,「発達」的見地から不適応をとらえていくことの重要性を述べている.

身体的症状があり,治療に際して心理的社会的要因が関連している場合を心身症という.思春期に多い症状として,便秘や腹痛,下痢などを反復する過敏性大腸症候群や動悸,めまい,手足のしびれなどの起立性調節障害,不安からくる呼吸困難,過呼吸などの過換気症候群などがある.(以下私見)UCは心身症です.

思春期の心理的支援

子どもが「自分とは何か」を確立し,他者との安定した関係を形成していくためには,どこかで「自分は認められている」という思いが必要である.「理解してもらえない」という思いは,寂しさや疎外感,いじけとなり注目されたい行動や反社会的行動として表われやすい.(以下私見)私にとってのツイッターである.

青年期の交友関係

青年期は,ライフサイクルの中では,児童期や成人期の狭間にあり,心理的・社会的にも子どもには属さないが大人の社会構造にも属さない不安定な境界期でもある.

ウィニコットは,親からの分離に伴う悲哀感や孤独感,親からの完全な自立が達成されない葛藤状態を「青年期のドルドラム」と名付けている.この時期,スポーツ選手やアイドルスターなどに憧れることが多い.それらモデルに「同一化」し,模倣や取り入れが起こり,その過程で自我理想が形成されるのである.

青年期の自分探し

アイデンティティとは,「過去から未来につながる自己の連続性の感覚であり,その中でさまざまな役割を果たしながら,自分は一貫して自分であり,社会の中でも確固たる承認を得ている」という感覚である.青年期は,「自分とは何者であるか」という深刻な葛藤と危機に直面する時期とされ,その葛藤を通してアイデンティティが獲得される.エリクソンは,アイデンティティの確立は,乳幼児期からの発達過程を通して形成されるもので,青年期以前の発達課題が適切に達成されていなければアイデンティティの確立はしにくいと述べている.

青年期の心理的危機

標準的な青年期の心理的危機として,心理社会的視点からライフサイクルをとらえたエリクソンの自我同一拡散があげられる.その心理的特徴として,以下を挙げている.

  1. 将来の見通しが喪失し,自分が幼くなった感じや老いた感じを持つ時間的展望の拡散
  2. 非行などに見られる一般社会に相反するものを過大評価して,それを自分の拠り所として,そのメンバーに加入する否定的同一性の選択
  3. 何もかも確信が持てず,優柔不断になり,自意識過剰になったりと他者の目に気を配る自意識過剰
  4. 進路や職業選択などの決断力が欠如し,勉学や仕事の集中力も欠如する選択の回避と麻痺
  5. 親密になったり,離れたり,孤独になったりという対人関係上の距離が一定に保てなくなる対人距離の欠如
  6. 将来の目標とつながる勉学や仕事に集中できず,幼稚な遊びや読書などにふける勤勉さの欠如

青年期の不適応

笠原は,親からの心理的独立,自我同一性の確立の過程に関する決断,危機からくる青年期に生じやすい不適応状態の際立つ病像として,自己破壊的行為,無気力反応,統合失調症,対人恐怖などを挙げている.自殺やリストカッティングは,抑圧された感情を自分に向ける攻撃ととらえられる.スチューデント・アパシーは1970年代頃からわが国で問題視されるようになった.

社会的自己の模索

エリクソンは,青年が,大人になるまでに社会的役割実験を重ねる準備期間を「モラトリアム」と呼んでいる.これは,アイデンティティ形成のためにさまざまな経験をすることを社会から認められ猶予された期間である.大学生の中には単位を取らず留年を繰り返す学生も少なくない.また,就職に関しても業務や対人関係になじめずすぐ辞めてしまう若者もいる.小此木は,このような青年期の状態を「モラトリアム人間」として,自己確立の作業に取り組まない若者の姿をとらえている.

軽度発達障害

軽度発達障害とは,発達障害の中でも比較的程度の軽い障害を指し,広汎性発達障害,注意欠陥・多動性障害,学習障害をあげることができる.

広汎性発達障害

広汎性発達障害とは,自閉症とそれに近い特徴をもつ高機能自閉症やアスペルガー障害などの発達障害の総称である.高機能自閉症は,社会性,コミュニケーション,こだわりなどの行動面に障害をもつ自閉症の基本的行動特徴を示しながらも知的な遅れを伴わないものをいう.自閉症の基本的特徴として,一つは,社会性の障害が挙げられる.二つ目は,コミュニケーションの質的低下が見られる.三つ目は,興味と活動の限定で,関心活動の幅が限られ,反復的で常同的な様式にこだわりが見られる.

アスペルガー障害は,1944年にアスペルガーによって報告された「小児期の自閉的精神病質」から,イギリスノウィングが再発見し発展された概念である.アスペルガー障害と自閉性障害の異なる点としては,その障害のために社会的,職業的,または他の重要な領域における機能に臨床的に障害が引き起こされ,思春期・青年期の進学,就職などの大きな壁になっていること,著しい言葉の遅れがないこと,自己管理能力や対人関係以外の適応行動に臨床的に明らかに遅れがないことなどが挙げられる.

学習障害

学習障害とは,DSM-IV-TRにおいては,「読字障害」「書字表出障害」「算数障害」の三側面から定義されている.しばしば多動性・注意散漫・集中困難性,衝動性の強さが見られることもある.学習障害には,さまざまなタイプがあり,学力面の特有の困難さや他の障害との重複もある.その困難さとは,

  1. 基本的学習能力のつまずきからくる「学力の困難」
  2. ことばの理解や使用に学びにくさがある「ことばの困難」
  3. ソーシャルスキルや社会的認知能力にみられる「社会性の困難」
  4. 協応運動や運動企画能力にみられる「運動の困難」
  5. 注意の集中や持続性の困難,衝動性や多動性の困難が特徴の「注意集中・多動による困難」

が挙げられる.

注意欠陥・多動性障害

注意欠陥多動性障害は,注意力維持の困難,注意転動,過活動,衝動コントロールの困難を主要症状とした発達障害である.

特殊教育から特別支援教育へ

平成19年度に特別支援教育が学校教育法に位置づけられ,従来の障害の程度などに応じ特別な場で指導を行う「特殊教育」から障害のある児童生徒一人ひとりの教育的ニーズに応じて,適切な教育的支援を行う「特別支援教育」へと転換された.小学校,中学校に設置されていた特殊学級は,知的障害,肢体不自由,病弱・身体虚弱,弱視,難聴,言語障害,情緒障害などを対象とされてきたが,軽度発達障害的様相があり学習や生活上において困難をきたしている通常学級にいる児童・生徒も指導の対象となり,必要な時間に通級できるようになっている.

軽度発達障害の児童・生徒は,知的に遅れがないため,高校へ進学することが多くなってきている.実際に学校現場には,軽度発達障害の様相を示し,学習や生活面において困難を示している生徒も多くいる.早急に高校現場におけるLD,ADHD,高機能広汎性発達障害の実態把握を行う必要がある.

心理教育的援助サービス

学校とは,自分探しを行うための営みの場であり,その中で,自分を形成していく.学校は,子どもが発達する場であり,学校は教育を子どもの成長発達を援助するため長期にわたり計画的に支援を行う場でもある.石隈は,学校教育サービスは,指導サービスと心理教育的援助サービスに分けられるとしている.指導サービスは,教師が指導者として児童・生徒に教える活動であり,学校生活に不慣れな児童・生徒に対しても導くことも含まれている.援助サービスとは,児童生徒が家庭や学校の中で出会う課題への取り組みと問題の解決を援助し,成長を促進する教育活動である.

カプランらのコミュニティ心理学における予防モデルを参考に三段階の心理教育援助サービスが提起されている.一次的教育支援は,すべての子どもが持つ援助ニーズに対する援助サービスである.二次的教育支援は,登校を渋る子どもや保健室登校など学習,心理社会面,進路面,健康面などに配慮が必要な子どもたちである.三次的教育支援は,不登校やいじめ,軽度発達障害などの問題で特別な援助が個別に必要な児童・生徒に対する援助である.

異文化適応

井上は,ベリーが文化受容の視点から,自文化の文化的アイデンティティや価値の維持を大事にするか否か,ホスト文化の人との関係を大事にするか否かという二つの問いへの,答えの組み合わせから4つの文化受容のタイプを見いだしているとする.分離は,自文化のアイデンティティは守るがホスト文化の人々とは関係を重視しないタイプ,同化は逆に自文化はそっちのけでホスト文化に一方的に合わせるタイプ,自文化のアイデンティティを重視せず,ホスト文化の人たちとの関係も大切にせず,どこにも帰属感がないタイプが周辺化であり,自文化のアイデンティティを維持しつつ,ホスト文化の人とも良い関係を維持するのが統合である.

異文化での文化的アイデンティティ形成

文化的アイデンティティとは,「国籍がどこであれ,日本人であるとかアメリカ人であるとかいうことからくる深い感情,ライフスタイル,立ち居振る舞い,興味や好みや考え方を全部ひっくるめたもの」である.未だ単一文化的要素が濃い日本では,常に日本人に囲まれがちで日本人性を意識することは少ない.

アメリカで成長期を過ごし,その後日本に帰国する帰国生達にとり,その文化的アイデンティティは単純明快な日本人か,アメリカ人かの二者択一ではなく,「アメリカ育ちの日本人」であったり「アメリカ人でも日本人でもある」複雑さがあり,割り切れぬものを割り切ろうとする葛藤がつきまとう.日本でずっと育った日本人青年には,日本人か否かの二者択一しか考えられないため,帰国生のそうした悩みや葛藤を理解できる人が少ないことが,彼らの疎外感をさらに深める.

帰国生の文化的アイデンティティの変容

子ども時代アメリカの生活には上手く溶け込み,アメリカ人的行動や考え方を取り入れ,日本帰国後,制服の存在,先輩後輩関係,はっきりものを言わないコミュニケーションに,逆カルチャーショックを受け,そこでむしろ自分が実は心理的にはアメリカ人であることを意識する.同調性の強い日本にめんどくささを感じてきたものの,反面面倒見がよく,アメリカでは全て自己責任で動く辛さがあるなど,二文化のプラスとマイナスを過不足なくとらえ,誇りを持って日本人としての文化的アイデンティティを持つようになる.

大人になるための「つまずき」

河合は,非行という現象を,ひとつの「つまずき」と捉えた.「つまずき」は「問題提起」であり,自分自身と周囲に対するある種の「問いかけ」と考えられ,成長過程におけるひとつのチャンスといいかえれば,子どもが大人になる過程には幾重もの「つまずき」が存在し,それを乗り越えるためにさまざまな行動を取ることになる.思春期・青年期の破壊行為は,外に向けられるだけでなく,内に向かっている傾向にある若者も少なくない.青年期後期になると,青年期前期までと比べて多少なりとも衝動性に対するコントロール能力がついてくる.しかし,心理的未熟さは混在し,アンバランスさが残る.心性的にも複雑な様相を呈すようになり,かつ年齢的には法律上の規制が多く厳しくなるため,その対応も難しくなってくる.

非行

非行とは,「同義に外れた行い.不正の行為.特に青少年の法律や社会規範に反した行為」である.同じ違法行為であっても,成人以降については「犯罪」,少年時代の違法行為を「非行」と分けている.少年非行を「社会的規範や規則などに違反したり,それから逸脱する行為」「子どもが行う困った行動,悪い行動」と捉えることもできるが,法律に基づく分類では,14歳以上20歳未満で罪を犯した少年を「犯罪少年」,14歳未満で刑罰法令に触れる行為をした児童を「触法少年」,20歳未満で一定の不良行為があり,かつ性格または環境に照らして,将来罪を犯し,または刑罰法令に触れる行為をする恐れのあるものを「虞犯少年」といい,これら「犯罪少年」「触法少年」「虞犯少年」の3つをあわせて「非行少年」と定義することができる.

「非行は時代を映す鏡」とも言われており,時代とともに,非行の様相も変化しており,大きく分けて4つの波がある.昭和26年(1951年)の第1のピークを「貧困型非行」と呼び,戦後の社会的混乱・劣悪な生活環境による厳しい現実を生き抜くための「生活のための非行」と言い換えることができる.第2のピークは昭和39年(1964年),高度経済成長の過程に生じた工業化や都市化・国際化に伴う急激な社会的・文化的変動との関連で生まれた「集団型非行」が挙げられる.ストレス社会から回避するためのシンナー吸引などによるトリップもその特徴といえる.第3のピークは昭和58年(1983年),1970年代のオイルショックによる経済低迷,1980年代後半のバブル景気の間にあり,消費文化が花開き,地域性の崩壊,価値観の多様化から自己中心的な考えが蔓延し「非行の一般化」「遊び型非行」へと移り変わった.学校・社会から孤立した子どもたちは「不良グループ」を結成したり,校内暴力に至ったり,学内外のいじめが社会問題化した.第4のピークは平成5年(1993年)から趣の異なる動きを見せ,平成9年(1997年)より「いきなり型非行」という新たな非行現象が始まった.

思春期・青年期の世界

河合俊雄は高石の風景構成法の研究から10~11歳頃に鳥瞰図的な高所の一点から見下ろすような絵になる現象を取り上げ,主体の確立との関連性について述べている.また,鈴木は「底が抜ける」という表現を使い,思春期の地平にまで広がる他者との関係性について述べている.

現代は流動的な社会の変化にともない,自分自身も変化させ,その都度位置づけていくことが必要となる.しかしあまりに移り変わりが早いと,熟成や創造性に繋がらずに,単なる消費に終始することになる.

不登校

不登校とは,一般的に,怠学,経済的理由,重篤な病気などによらない主に心理的な要因により学校に行かない,もしくは行けない現象をいう.松田は不登校を,背景にある病態という観点から,

  1. クラスの皆が自分の悪口を言っているという被害関係妄想が見られるなど精神病を背景とした不登校
  2. 腹痛などの不定愁訴が見られるといった神経症を背景とした不登校
  3. 対人関係を避けて,ひきこもるなど人格障害を背景とした不登校
  4. 自閉症児のパニック状態によるなど発達障害を背景とした不登校
  5. 学校や大人に対する不満・不信など本人の意思としての不登校

と5つに分けている.鑪は不登校を葛藤型とアパシー型に大別している.葛藤型とは,学校へ行かなくてはならないという脅迫的な心性から葛藤に陥りやすく,また自己愛の傷つきに敏感なタイプである.アパシー型は笠原が退却神経症と指摘した一群であり,主に大学の相談室で出会う特有の無気力状態を示す不登校である.

不登校・ひきこもりの意味するもの

現代メディアを通して「本当の~」「理想的な~」ということばが多用され,特別な何かがそこにあるかのような錯覚を起こさせる.しかし自我とは,社会と個人が織りなすある種の妥協点であり,そこには少なからず幻滅がある.理想探しは大事だが,「特別なものがある」という意識を強く持ちすぎると逆に自分を見失う可能性がある.

高石はインキュベーションという言葉を使い,こもることの意味について述べている.高石によれば心理学的なインキュベーションとは,外界から「守られた環境」にこもることにより,無意識のイメージが段々まとまりを持ち,ひとつの明晰なイメージとなって夢などにより意識に立ち現れることを意味している.

イニシエーションとは,深層心理学では通過儀礼に相当する包括的な概念として使われている.通過儀礼とは「個人をある特定のステータスへと通過させることを目的に行う儀礼」であり,イニシエーションとは「加入させる人間の宗教的・社会的地位を決定的に変更すること」ということができる.

思春期・青年期に関わらず,臨床的な問題は一般的に適応的である・ない,正常・異常など社会的な価値観に基づく二分法で考えられがちである.しかし大人になるという困難を伴う作業の中でイニシエーションという死と再生を含む過程を通る際,不登校やひきこもりなどの問題行動という形を取ることがあることを認識しておく必要がある.

?こころとからだ

「われ思う故にわれあり」というデカルトが「方法序説」でのべた有名な言葉がる.デカルトは,あらゆることを懐疑したあげく,意識の内容は疑いえても,意識する私の存在は疑いえないという結論に到達し,これを第一原理とし,確実な認識の出発点とした.

ボディ・イメージとは,ヘットとホームズによって1911年に名付けられた,身体の運動や体位の変化を通じて,恒常的な自分自身の身体像の変化をとらえるものを指している.

自己を問うとき,「自己の存在が,常に自己の身体的存在と不即不離の関係においてのみ問題」となり,自己を見つめるということは,「われとわが身」を見つめるということである.「われとわが身」とは,レインの言葉を借りれば「身体化された自己」と「身体化されない自己」を指しており,「思春期における自己論は,常に身体論との相補的・補完的な関係においてのみ可能」となる.思春期までのこころの問題性は,身体に表われやすい.ストレスが許容範囲を超えたときや,嫌なことが起こったときには,身体を介して顕著にその症状を見ることができる.中井は,次のように表現している.

思春期の心身は学童期のようにはっきり身体言語を語らず,さりとて思春期以後のように精神症状という言語を巧みに用いない.これは表現的にも過渡的な時期,困惑の時期であることだ.

この時期の危機的状態をクレッチマーは「思春期危機」と名付けた.思春期危機の症状には,

  1. 権威に対する反抗
  2. 精神内界の失調
  3. 短絡反応

などがある.

思春期・青年期の精神病理学的問題点

はっきり言語化できて,解決の糸口が見いだされるとき,それは症状を生みはしない.葛藤の質が意識化されても,その解決の糸口が見つからず,葛藤が持続するとき,それは何らかの形で身体に影響を与え,不眠や,胃潰瘍や神経性大腸炎のような,いわゆる心身症を生む.それがさらに遷延化すると反応性うつ病に発展し,時には自殺という不幸な結果に終わることがあり,それが平均寿命を下げるほどに増加しているというのが,1999年世紀末の現状であった.

ヒステリーの身体症状は,抑圧された無意識の心的葛藤が,運動性,感覚性,自律神経性の障害として象徴的に「転換」されたものであると考え,「転換ヒステリー」と呼んだ.ヒステリー症状を起こすものは,その症状を出すことによって,結果的現実生活において何かを得することになる.これを「疾病利得」という.

摂食障害

学術的には拒食症を神経性食欲不振症,過食症を神経性大食症と呼ぶ.摂食障害の現れた初期の頃は「成熟嫌悪説」や「女性化の拒否」という説が有力であった.成熟嫌悪説とは身体が大人になりさえしなければ,自立の不安に直面しないでスムという心理が働くと考えられている.女性化の拒否説は,女性の患者たちは,思春期における身体的変化を拒み,拒食によって身体の発達を止め,月経を止め,少年のような中性的存在に留まろうとする.

自傷行為

自傷行為について,ウォルシュは「心理的苦痛を軽減するために意図的に行われる致死性の低い身体損傷」と定義し,その行為は社会的に認容されていないものを指す,とされている.米国の研究者は「自傷行為」を,リストカットなどの自己切傷のように,身体の表面に直接的な損傷を加える行為に限定して用いるが,英国の研究者は自己切傷だけでなく,薬の飲み過ぎである過量服薬や薬物乱用も含めたきわめて広義の概念として「自傷」を捉えている.

本人の心の葛藤が言葉としてはき出されるようになってきたら,「甘え(退行)」が出てくる.うまく「甘え」させてもらえることで自分が認めてもらえることを実感することにより,自分の存在価値への自覚が出てくる.自己評価を現実的な評価にするために家族や周りの人たちは,本人の良いところを褒めてあげる.良いところを褒めて認めてもらえることで気持ちが癒され,受け入れられていると確信できるようになれば自信も少しずつ出てきて病から回復しようとする決意も出てくる.

境界性人格障害

DSM-IIIの診断基準では対人関係における過度の理想化と脱価値か,不安定さ,不適切で激しい怒り,自己同一性の障害,空虚感,見捨てられを避けようとする気違いじみた努力などが主な特性である.

信頼関係を築く方法としての傾聴

話せる大人になるには,「秘密な守ること」「説教はしないこと」「命令はしないこと」「頭ごなしに叱らないこと」などがある.そこで,思春期・青年期の人たちと信頼関係を築くにはその人たちのことを尊重してその考えや気持ちを傾聴することが基本になる.

「聞く」は門構えに耳であるが,傾聴の「聴く」には耳だけでなく心が入っている.その上に「十四」だから,「十四の心が入っている」つまり,「心をいれて聴く」ので「注意して耳に留めること」になり「心を傾けて聴く」つまり「傾聴」となるわけである.

聞き上手になるには,

  • 相手の気持ちを負担に感じず,こちらから話したくならないような訓練が必要となる.
  • 自分の方から話さない.
  • ゆったりと構える.
  • 相手の話を「素直に」聞く.
  • 相づち以外はしゃべらない.
  • 意見を聞かれたときは,自分の意見を手短に答える.
  • 答えが見つからないときは「そうですね」といって,考えていればいい.
  • そのうちに30秒もすれば相手は自分の考えを述べたり,このようなことを言って欲しいという答えを自ら提示してくれたりする.
  • ただし,30秒の間,相手がしゃべり出すまで,気まずくならない雰囲気を作って待つのである.

などの具体例が,プロカウンセラーの聞く技術に書かれている.

ジェンダーアイデンティティの確立

ジェンダーアイデンティティの確立をして大人になるということは,河合によると,「男性は獲得するという形を取り,女性は受け入れるという形を取る」ことであり,「そのような受け入れは,女性の場合,身体的変化とともに青年期の前期に必要となるのに対して,男性はむしろ青年期の後半になってから,職業や配偶者を「獲得する」課題として,大人になることが体験される」としている.

記憶の心理学(’08)

今学期受講している4科目のうち3科目目となる記憶の心理学(’08)を全講義聴講し終わった.重苦しい内容だから後回しにしていたんだが,実に有意義な内容で,もっと早くやっておくべきだったと思った.ツイッターでもつぶやいたーが,第8回がすごかった.

第8回は後ほど個別にエントリを起こすかもしれないが,以下は講義全体の簡単なまとめ.読めばわかると思いますが,力を入れて書いてるところが第8回の内容です.

記憶とは

記憶といっても,経験の記憶,知識の記憶,技能の記憶,あるいは一生意識できない記憶など,いろいろの記憶がある.記憶の内容を考えると,概念的な記憶から,イメージや情景の記憶,色の記憶,味や匂いの記憶,触覚の記憶,音の記憶など,いろいろな記憶がある.

記憶力

記憶力,すなわち記憶する能力を支える主な要因として,3つが挙げられる.記憶する状況に適した,また自分のできる範囲で,方法を工夫することが,第1の記憶力を規定する要因である.第2の要因は,記憶する内容に関して,どの程度の知識や技能を持っているかということである.記憶力を支える第3の要因は,意欲である.このように記憶力を支える主な3つの要因を考えると,どれも本人の努力と気持ちの持ち方しだいで強化できるものである.したがって,記憶力の個人差は生得的にはそれほどないが,生後の学習や成長の過程の結果として,はっきりとした個人差となって現れてくるものといえよう.

2貯蔵庫モデル

アトキンソンとシフリンは記憶の機能として,短期貯蔵庫と長期貯蔵庫の2つを考えた.短期貯蔵庫では,入ってきた情報をリハーサルして注意を向けていないとすぐに失われてしまう.リハーサルとは,繰り返しその情報を意識することで,維持リハーサルと精緻化リハーサルの2つがある.維持リハーサルは単に情報を繰り返しているだけで,情報は短期貯蔵庫にそのまま維持される.精緻化リハーサルは,新しい情報を付加しながら繰り返され,その情報は長期貯蔵庫へ転送される.

ワーキングメモリ

1974年にバドリーらによってワーキングメモリという概念が提唱された.2貯蔵庫モデルの短期記憶は主に貯蔵の機能だけを重視しているが,ワーキングメモリでは,貯蔵と処理の2つの機能を考えている.

記憶のプロセス

記憶とは,インプットからアウトプットまでの全プロセスをいう.記憶のプロセスは,符号化,貯蔵,検索の3つの段階に分けられる.刺激を受容し,頭の中に貯えるまでの段階を符号化,貯えた情報が思い出されるまでの保存しておく段階を貯蔵,そして思い出す段階を検索という.この3段階は,記銘,保持,想起ともいう.

符号化の段階

符号化には色々な変換方法がある.ヒトヨヒトヨニヒトミゴロやフジサンロクオオムナクなどの語呂合わせは有意味化という.他に,イメージ化,精緻化,体制化,感情化などがある.音韻的処理を浅い処理,意味的処理を深い処理といい,浅い処理より深い処理をした方が保持がよいというのが,処理水順説である.事故参照効果とは,記銘対象を事故と関係させると保持が良いという効果である.

貯蔵の段階

記憶は時間とともに,普通は忘却されていく.忘却の反対は保持であるが,古典的な実験で,有名なエビングハウスの保持曲線がある.忘却は時間によって一様ではなく,最初の30分か1時間で半分以上忘れてしまい,その時に残っているものは徐々に忘却され,比較的長く保持されるといわれている.また,ある元になる記憶があるとすると,その後の異なる情報により,記憶が塗り替えられてしまうという,事後情報効果がある.

検索の段階

検索段階での認知的メカニズムの基本は,検索手がかりがあることと,それにその手がかり情報と貯蔵内容との相互作用があることの2店である.想起できなければ,現象的には「忘れた」ということになり,忘却となる.手がかりが不適切なために想起できない忘却を「手がかり依存忘却」という.意識的に忘却をすることで,自分に「忘れろ」と指示することを「指示忘却」という.

符号化特定性

符号化特定性の原理はダルヴィングらが提唱したもので,「符号か操作によって貯蔵内容が決定され,その貯蔵内容によって検索手がかりの有効性が決定され,その有効検索手がかりにより初めて貯蔵内容へのアクセスが可能となる」というものである.

転移適切処理の原理

符号化特定性の原理と結果的には類似しているが,説明の仕方が異なる原理として,転移適切処理の原理がある.この原理では「学習時に行う認知処理と,課題遂行時に行う認知処理が,類似していれば類似しているほど,記憶成績は上がる」という.教育心理学で「テスト期待効果」という法則がある.テスト期待効果とは,テストのための試験勉強をするとき,テスト形式が,例えば穴埋め形式か論文形式かわかっていれば,そういう期待に合わせた試験勉強の仕方をすると,テスト成績が上がるということである.

再生と再認

再生記憶実験では,実験参加者に何らかのエピソードの体験が求められ,その後,そのエピソード提示された内容や,遭遇したことがらを想起することが求められる.再生課題の成績の指標としては,再生数と再生率が一般に用いられる.再生数は,実験参加者が思い出すことができた個数の数であり,再生率は,記銘した項目数のうちの再生された項目数の割合を意味する.

再生課題と同様,記銘項目の学習の後,テストリストが与えられ,個々の項目について,学習した項目か否かの判断が要求される課題が再認課題である.テストリストのうち学習した項目はターゲット,学習していない項目はディストラクターと呼ばれる.基本的にはターゲットとディストラクターに分けて集計され,前者をヒット率,後者を虚再認率として,再認成績の基本的な指標として用いる.

意味記憶

ダルヴィングによる意味記憶は誰でも知っている知識に対応する記憶である.コリンズとロフタスは,意味記憶のネットワークは意味的類似性もしくは意味的関連性によって体制化されていると仮定した.ある概念が処理されると,その概念から活性化がリンクのつながった概念ノードへと波及していくという仮定がある.これが活性化拡散という考えである.

エピソード記憶

ダルヴィングによるエピソード記憶は個人的な過去の出来事に関する記憶である.エピソード記憶が時間や空間と結びついていることを典型的に示す原理が,符号化特定性原理である.ダルヴィングとトムソンの行った実験において注目されたのは,再生が可能であるにもかかわらず,再認ができないという現象である.この再認失敗を報告している研究で用いられる手続きは,以下の3つの段階からなっている.第1段階では,被験者はターゲットと手がかり語がともに呈示され,ターゲットを覚えるように求められる.第2段階では,第1段階で提示されたターゲットのみが呈示され,それが「あった」か「なかった」かの再認を求められる.第3段階では,第1段階で呈示された手がかり語が呈示され,その手がかりとともに呈示されていたターゲットを再生するように求められる.

潜在記憶と顕在記憶

潜在記憶とは,想起意識,すなわち「思い出している」,あるいは「思い出した」という意識のない記憶である.顕在記憶とは,想起意識のある記憶のことをいう.普段,私たちが何気なくしている行動も,実は,成長の過程で経験により学習し,記憶していることが,その行動のベースにあるのである.このような記憶を潜在記憶という.要するに,記憶という意識なしに,あるいは思い出すという意識なしに行動や反応をする場合は,ほぼ潜在記憶があると考えられる.

直接プライミングの特徴

統制条件より実験条件の方が良い場合,プライミング効果があるという.直接プライミングには以下の特徴がある.

  1. 想起意識がない.
  2. エピソード記憶とは独立である.
  3. 効果は超長期にわたって保持される.
  4. 意味的処理よりも知覚的処理が重要である.
  5. 年齢による差は,ほとんどない.

複数記憶システム

複数記憶システムはダルヴィングが提唱したもので,エピソード記憶,意味記憶,知覚表象システム,手続き記憶の4つで構成される.エピソード記憶は,時空間的に定位される記憶である.意味記憶は,百科事典や教科書に書いてあることである.知覚表象システムは,意味的処理の前段階である感覚・知覚的で無意識的処理の段階の記憶システムである.手続き記憶は,運動的,動作的なものから認知的なものまで,一定の処理様式が記憶されたものを指す.

記憶の多層性・多重性

非言語的な記憶に関する記憶現象としては画像優越性効果が有名である.これは線画などの絵の記憶が同じ項目を単語で呈示した場合よりも記憶成績がよいことを示すものであり,絵であれば数百枚が呈示されても再認できるという報告もある.

空書

日本語を利用する日本人に顕著に見られる興味深い現象として「空書」がある.多くの日本人は漢字を思い浮かべるときに,空中あるいは膝の上で漢字を書くような動作を行う.これを空書と呼ぶ.日本人が英語のスペルを考える場合にも,空書行動がしばしば観察される.欧米言語を母語とする人にはこうした空書は全く見られず,中国語を母語とする人には,漢字に関する問題では見られるが,欧米語に関する問題では発生数割合が低いという文化差が観察されている.

この現象は言語記憶を検索する際に,「書く動作」という非言語的な身体運動の記憶が想起を促進しているように見受けられる.このことから,人が意図的に憶えようとするときに,記憶方略として非言語的記憶と言語的な記憶の関係性をつけている可能性が考えられよう.

言語隠蔽効果

近年,言語隠蔽効果という現象が明らかにされ,言語的記憶が用いられることによって非言語的記憶が妨害される可能性も示されている.目撃者証言研究で,学習段階の後で,どんな人だったかを言語的に記述する行動を行うと,その後のテスト段階での再認記憶成績が低下するという.

一夜漬けの学力と実力の違い

一夜漬けの勉強で身につく力と,実力とでは何が違うのであろうか.その違いは,まさに記憶研究でいうところの顕在記憶と潜在記憶の違いに他ならない.一夜漬けの勉強をして試験に挑んだとき,前の晩に見た覚えのある問題に気づくことがある.それはまさに,顕在記憶の定義でいうところの「想起意識」が生じたことに他ならず,そこで答えを思い出して解答すれば,顕在記憶の影響がそのテストの成績が現れてくる.一方,実力テストでは,いつ勉強したのか思い出せないような問題に解答できた場合,その影響は潜在記憶に裏打ちされているといえる.

期末試験などで測定されている学力は,一夜漬け的な学習の効果である顕在記憶の影響をたぶんに反映していることは間違いない.教育において重視すべき基本的な知識や技能の取得は,顕在記憶の影響を排除してなお残る,潜在記憶の水準評価されるべきものである.(ここから私見)であるからして,教育効果をすぐに推し測ることは実に難しい.

実力を正確に測定することの難しさ

学期末試験で学習者の到達度を測定せざるを得ない理由は,実力を正確に測定することが技術的に困難であることに他ならない.一夜漬け学習の効果を排除する最もシンプルな方法は,学習からテストまでの期間を十分に長くすることである.しかし,それを実現するためには,各学習者がどの授業をいつ受講し,それからどのくらいの期間をあけてテストを行うかを年単位で規定しなければならない.さらに,授業事態は長い期間を通じてなされるため,最初と最後の学習ではテストまでの期間が実質何ヶ月も違ってくる.つまり,単純に期間を長くしても正確に実力を測定することは難しい.(ここから私見)であるからして,教育の真の効果は数十年後になって明らかになるのであって,短期的な成果に踊らされてはいけないのである.教育はそのような背景を踏まえた上で,しっかりした根拠と確証の下に,信念を持って取り組まなくてはならない.

期末試験に効果的な学習法と実力試験に効果的な学習方法

実力の測定にこだわる理由は,潜在記憶の研究にある.指導法や学習法の効果が,顕在記憶と潜在記憶で極端に変わってくる事実にある.言い換えれば,期末試験の成績を高める指導法や学習方法が,必ずしも実力試験の成績を高めるとは限らないのである.例えば,英単語テストを与えられ,再生テストのような顕在記憶テストを受ける場合は,覚えようとして学習した場合の方が,覚えることを求められない学習よりも当然成績は良くなる.しかし,同様の学習後,単語完成課題のような潜在記憶テストをした場合は,この記銘意図の効果は明確に表れない.つまり,覚えようと思っても思わなくても,テストの成績に大きな違いは現れないのである.現在の潜在記憶研究の知見からすれば,期末試験に効果がある学習方法が,実力試験に同様の効果を持つということはできない.そもそも,実力を正確に測定する方法がなかったこれまでの状況からすれば,実力試験に有効な指導法や学習法を,化学的な根拠に基づき提案することは,現時点において原理的に不可能であることを認識する必要がある.(ここから私見)であるからして,教員の教育業績を測るなんていうことは到底無理なのである.学生が良い成績を取ったとか,どこどこ大学に入ったとか,そういうのは真に教育の効果といえるのであろうか.業績指標になるのであろうか.

マイクロステップ計測技術

実力が潜在記憶に裏打ちされるものであり,かつ潜在記憶においてはごくわずかな学習の効果が長期に保持されるとすれば,当然,実力もわずかな学習によって少しずつ長期にわたって変化し続けているはずである.わずかな学習の効果が,自覚できないレベルであっても確実に積み重なっていくことが客観的なデータとして示されれば,学習に対する意欲は高まるはずである.寺澤らは,実力を正確に測定するための様々な問題を解決するため,新たなスケジューリング技術とデータベース技術を駆使したマイクロステップ計測技術という測定法を確立し,学習者1人ひとりの実力の変化をきわめて高い精度で書き出し,さらにその結果を個別にフィードバックすることに成功した.

自己参照効果

自己参照効果とは,記銘の際に自分に関連付けるとよく覚えている,という現象である.カイパーとロジャースは親切な,正直な,など48語の性格特性語,つまり人の性格を表す形容語を実験参加者に示した.1つ目の質問は単語が長いと感じられるかどうかで,外形条件と呼ぶ.2番目の意味条件の質問は,単語が別のある単語と同義語かどうか,というものである.3番目の質問は,単語が実験者に当てはまると思うかどうか,最後の質問は,単語が自分に当てはまるかどうかで,これらが他者関連付け条件と,自己関連付け条件となる.再生成績は外形条件,意味条件,他者関連付け条件,自己関連付け条件と順に高くなっている.彼らは,他の実験の結果と総合して,意味条件より他者関連付け条件の方が,さらにこれらの条件よりも自己関連付け条件の方が記憶成績がよいと結論づけている.

呈示された単語が自分にとって当てはまるかどうかを判断する場合には,この豊富な知識,記憶が使われ,この自己に関する知識構造に関連付けられる,すなわち精緻化がなされる.記憶は既存の知識構造と密接に関連付けられ,豊富な精緻化がなされたときに忘れられにくく,思い出すことが容易であることが知られている.

自伝的記憶

自伝的記憶とは,自己にかかわる出来事,経験に関する記憶のことをいう.自伝的記憶は「自己と密接に関係している」という特殊性を持っている.自伝的記憶とは自己に深く関連したエピソード記憶といえるが,自己に関する記憶にはこのようなものと少し異なったものもある.例えば,「私の出身地は東京である」という情報は自己に関する記憶ではあるが,エピソード記憶ではなく,「日本の首都は東京である」という情報と同様に意味記憶といってよい.言葉や絵などで表せるような記憶,つまり宣言的記憶あるいは陳述記憶と呼ばれる記憶は大きくエピソード記憶と意味記憶に分かれ,エピソード記憶のうち,自己と深く関わるものが狭義の自伝的記憶であり,意味記憶のうち自己に関わるものが,自己スキーマなどと呼ばれている.

自伝的記憶の忘却は直線的に進み,6年間で約30%の出来事が忘却されている.エビングハウスが明らかにした,はじめは急速に忘却が進み,徐々に忘却の程度は少なくなる,という忘却曲線とは明らかに形が異なっている.最近の出来事をよく覚えてるいるのは当然であるが,10代後半から30歳前あたりの出来事も多く想起される.この時期の出来事がよく記憶されているのは,この時期が自己同一性,アイデンティティが確立される時期で,自己に注意が向けられ,自分の経験を構造化するような活動が盛んに行われるためと考えられている.3,4歳より前の記憶はことさら少なく,ほとんど思い出せない,といってよい程度になる.この現象を幼児期健忘と呼ぶ.自己認知が成立していない,つまり自己と他者の区別がまだ十分にできていないため,などと説明されている.

自伝的記憶とそれ以外のエピソード記憶に共通に見られる記憶現象に偽記憶と呼ばれるものがある.偽記憶は実際には経験しなかった出来事を経験したものとして想起する現象をいう.食品に他する思考や態度が偽記憶によって導かれることから,少なくとも部分的には自伝的記憶によってつくられている可能性を示すものといえよう.

記憶喪失

記憶の障害の中に,全生活史健忘(いわゆる記憶喪失)と呼ばれるものがある.記憶の中で自伝的記憶のみが選択的に損なわれるものであり,通常,言葉の意味や世の中のことについての記憶はほぼ損なわれず,新しいことを記憶することにも問題はない.時間の経過によりある程度記憶が戻ってくる場合が多いが,記憶があまり戻らず,家族に聞くなどして過去の自分について改めて記憶しなおした状況では,過去の自分が他人のように思えてしまう,と訴える場合もあるという.

展望的記憶

展望的記憶とは,将来実行しようと意図した行為についての記憶である.ただし,通常,展望的記憶と呼ぶのは意図した時点から行為を行うまでにある程度の時間が経過し,その間行為のことがいったん意識から離れる場合に限られる.想起までの時間経過,記憶対象に対する意識という点では,展望的記憶は過去の出来事の記憶である回想的記憶と変わらない.例外はあるが,階層的記憶の想起の際には関連した話題,質問などの想起手がかりが存在する.一方,展望的記憶ははっきりとした想起手がかりのない状況でタイミング良く想起される必要があり,実際,多くの場合タイミング良く想起されている.

展望的記憶課題の中には加齢の影響を受けない要素も含まれている可能性はあるが,加齢により衰える部分があることが明らかにされた.高齢者の方が,カレンダーに印をつける,手帳に書いておく,といった外的な記憶補助を適切に用いることが原因の1つと考えられている.高齢者が記憶補助を有効に使っているということは,展望的記憶が社会的な経験を積むことによって身につけられる社会的な技能という側面を持っていることを示すものといえるだろう.

記憶の更新

最新の記憶を利用する方法としては,以下の4つの可能性が考えられよう.

  1. 古い記憶を新しい記憶で置き換えてしまう
  2. 古い記憶も新しい記憶も想起し,時間に関するソース判断により最新の記憶を特定する
  3. 最新の記憶は強く鮮明に残っているため最初に想起され,必要な情報が想起されると想起の活動は中断される
  4. 古い記憶は想起されにくくなるように抑制されており,その結果新しい記憶だけが想起される

ビョークらは単語リストの記憶の実験で,「忘れる」ように指示された単語は後に想起されにくくなることを示し,指示忘却と呼んだが,これは4の方式で記憶の更新がなされていることを示唆するものといえよう.

事後情報効果

事後情報効果とは誤情報効果とも呼ばれ,何らかの出来事を経験した後に,その出来事に関する誤った情報が与えられると,記憶が変容し誤った想起がなされる,というものである.ラトナーは,いったん有罪判決が出された後に,被告人の無罪が明らかになった事例を集め,誤った有罪判決の原因の分析を行った.その結果,目撃者の誤った識別が原因である事例が最も多く,全体の半数近くを占めていた.実際の目撃者は事件を目撃した後で,マスコミ報道,他の目撃者との会話,捜査官とのやりとりなどで,事後情報に接すると考えられる.目撃者の尋問を行う際には事後情報を与えないように細心の注意を払うこと,事後情報効果により記憶が歪んでいる可能性があることをしっかり認識することが必要であろう.

人物同定手続き

人物同定手続きとは,目撃者が目撃した人物がどの人物であったかを判断してもらう手続きである.容疑者を含む6~7名の人物を目撃者が別室から見て,目撃した人物がその中にいるか,いるとしたらどの人物であるかを答えるラインナップが典型的である.対して,ショーアップ,単独面通しと呼ばれる手続きでは,容疑者1人だけを目撃者に見てもらい,目撃した人物かどうかの判断を求める.人物同定手続きとしては,多くの実証的研究からラインナップが適切であると考える心理学者が多い.単独面通しは,現実の事件では容疑者が犯人であると暗示する効果があると考えられ,用いるべきではないと主張されている.

感情

感情は判断を鈍らせるなど,私たちの認知のはたらきと様々な関係を持つと考えられる.「感情」という言葉を定義することはなかなか困難で,実際に心理学事典や心理学の概論書,専門書などを調べてみても,感情の定義は極めて難しいことが協調されるのみで,なかなか明確な定義には行き当たらない.この理由について谷口は「感情という1つのものが存在するのではなく,生体の総体的反応の1つの「相」であるからだ」と述べている.つまり,複雑に絡み合った私たちの反応から,喜怒哀楽などの言葉で表される主観的経験に関連した部分を「切り取った」ものが感情と呼ばれている,ということである.

気分状態依存効果

気分状態依存効果,あるいは気分依存記憶とは,符号化時と想起時の感情状態が一致しているかどうかで記憶成績が異なるという現象である.符号化や想起をするときの部屋の様子といった周りの状況などの文脈が,符号化時と想起時で一致している場合には一致していない場合に比べ,記憶成績がよい.これは,記憶材料を符号化した際の文脈が記憶材料とともに符号化されており,想起時には符号化時の文脈が想起手がかりとして働くためと考えられている.

気分一致効果

気分一致効果は,ポジティブな気分の時にはポジティブな内容の記憶が,ネガティブなときにはネガティブな内容の記憶が優れているという現象である.

人物の記憶

人物の記憶には,顔,名前,性格特性,行動等多様な要素が含まれている.顔や名前の記憶は認知心理学,性格特性や行動の記憶は主に社会心理学の領域で検討されている.顔の覚えやすさに関しては,これまでに次のような効果があることがわかっている.

  1. 示差性効果
  2. 既知性効果
  3. 他人種効果
  4. 処理水準効果

集団としての既知性効果は,人種に限定されるものではない.例えば,年配者は年配者の顔,女性は女性の顔の記憶が優れているというように,自分が所属する集団の顔は概して覚えやすい傾向にあり,顔の記憶が日常の知覚経験の多寡に依存するものであることを示している.

名前を想起する際,喉まで出かかっているのに思い出せないという状態がしばしば経験される.こうした状態はTOT(Tip-Ot-the-Tongue,舌端現象)と呼ばれるが,不思議なことに,名前の想起に関してTOTの状態にある場合でも,名前以外の情報は次々と想起されることが多い.名前の想起が困難な理由としては,以下のことが挙げられる.

  1. 恣意性
  2. 想起頻度の低さ
  3. イメージ化の困難さ

顔認識モデル

顔や名前の記憶を説明する代表的なモデルに,ブルースとヤングの顔認識モデルがある.これは,既知の人物の顔を見て,その人物を同定するまでの認知過程を経時的に示したモデルであるが,顔と名前の記憶を説明するモデルとしても有用である.顔の知覚からその人物の同定に至までの段階が次のように仮定されている.

  1. 構造の符号化
  2. 顔認識ユニット
  3. 人物同定ノード
  4. 名前の生成

このモデルは,次のようなエラーもうまく説明している.

街ですれ違った人の顔を見て知っている人だと気がついたが,どこであった人で,どんな職業の人なのか,また自分とはどんな関係にあるのかなど,その人に関する情報が一切思い出せない.

この場合,入力された顔情報と顔認識ユニットとの照合により知人であることは判断できているが,人物同定ノードへのアクセスに失敗している.

名前が想起できずTOTを経験しているのに,その人の趣味や職業などは次々と思い出せる.

この場合,人物同定ノードにアクセスするところまでは成功しており,そのためにその人に関する意味情報は想起できているが,名前にアクセスする段階で失敗している.

記憶の発生

記憶力には,記憶容量,記憶方略,メタ記憶といった記憶の側面が総合的に影響している.再認記憶の芽生えは,生後3ヶ月頃に生じる.人間は1度見た図形に関しては,以前見たので興味を示さず,それを注視する時間が少なくなる.これを慣れもしくは,馴化と呼ぶ.3ヶ月の乳児は約1週間は関係を憶えているが,2ヶ月児は2~3日間しかその関係を保持できていなかった.

記憶の発達的変化

記憶容量は年齢とともに増加していく.4~5歳で5桁,12歳で6桁,大人では平均して7桁が再生できる数字の桁数である.このような記憶容量をメモリスパンと呼ぶ.小学2年生では,意味的類似語に対する意味的虚再認と音韻的類似語に対する音韻的虚再認に差はなかったが,6年生では前者が後者よりも多くなった.被験者が記銘語の持つ意味を符号化しているならば,意味が類似しているために意味的虚再認が生じやすく,発音を符号化しているならば,発音が類似していることによって音韻的虚再認が生じやすいと考えられる.このように,年齢とともに記憶される情報の質が表層的な側面から意味的側面へと変化してくるという仮説を符号化以降仮説と呼ぶ.

検索手がかりの発達的変化

ある情報に,他の関連ある情報が付け加わった形で符号化すれば,その関連ある情報を検索時に手がかりとして利用できる.憶えようとする情報に他の情報を付け加えることを精緻化と呼んでいるが,情報を精緻化して憶えれば,検索の効率がよくなる.

精緻化方略の発達

ある文字とある読みもしくは意味を結びつけるような記憶を対連合学習と呼ぶ.この対連合学習に有効であるのが,精緻化方略である.バーリングとキイは,対連合学習をする際に使用する方略を精緻化方略,リハーサル方略及び連想方略という3つに分類した.精緻化方略は”CATTLE-BAY”の対の場合には,”the CATTLE swam in the BAY”という文をつくる場合をさす.リハーサル方略は,呈示された対を反復するもので,”the CATTLE and the BAY”というように何度も繰り返し,唱える場合である.連想方略は,対にされた単語同士の関係がはっきりしていないが,何らかの関係を述べている場合にあたり,”the CATTLE by the BAY”というような文をつくる場合である.

メタ記憶

メタ記憶とは,記憶に関する知識や制御をさす言葉である.メタ記憶の第1の側面は,記憶を意識するという側面である.第2の側面は憶える内容に適した記憶方略を選べることである.第3の側面は,自分の記憶がどの程度確かであるかを認識できることである.デマリエとフェロンは,記憶成績は,記憶容量,記憶方略及びメタ記憶によって決定されるというモデルを提案している.

高齢化と記憶

高齢化に関連し,記憶機能低下をもたらす病気として代表的なものが認知症である.これは脳神経系に原因を持つ脳の認知的機能低下全体をさす病名であるが,記憶障害が顕著である.直接的な原因は不明であるが脳萎縮による進行性の認知症を起こすものがアルツハイマー症候群と呼ばれる.アルツハイマー症候群は年齢が高くなるにつれて発症率は急速に高まり,超高齢者つまり85歳以上では25%弱が発症すると報告されている.日常生活で言及される「記憶力の衰え」を最も反映しているのが顕在記憶,いわゆるエピソード記憶である.実際には,主観的な「記憶力が悪くなった」という体験とは独立に,日々の活動の中でエピソード記憶が果たしている役割は通常考えられているよりは小さい.環境に大きな変化がなく,毎日同じことを繰り返す生活であるならば,エピソード記憶の機能が低下しても人は無事に生きていくことが可能である.逆にいえば,記憶機能低下の影響が少ない環境をつくっていくことは可能である.しかし,現代社会では逆に,よりエピソード記憶への負荷が高くなる社会環境がつくられてきている.

心理臨床とイメージ(’10)

今学期受講している4科目のうち2科目目となる心理臨床とイメージ(’10)を全講義聴講し終わった.奥深い講義だった.臨床心理士とか心理療法士とかすごいなと思った.なれるとは思えない.以下は簡単にまとめ.

イメージ

イメージとは,絵画,造形,夢といったもののみならず,クライエントの語られる心的現実もまたイメージそのものであり,重要な意味を持っている.イメージは,客観的現実よりも,その人の心的現実を,その人自身をより雄弁に語っているとはいえないだろうか.

錯視

同じものも,どういう環境,どういう文脈の中で見るかによって,異なって見えることが示されている.私たちは眼前のものを見ているのでありながら,こうした知覚のレベルでさえ,それまでの知識や経験が関与しているのである.私たちはものを「目で見ている」と思っているが,「脳で見ている」ということもできる.

絵画や造形と心的現実

「思春期」を描いたムンクは「カメラはそれが天国か地獄ででも使われるのでなければ,絵の具とパレットにはかなわない」といったという.シャガールもまた,空想の絵を描いたといわれるのを嫌って「私は現実を,心的現実を描いたのだ」と語ったという.

多くの国の昔話の共通性

神話はある時ある場所での出来事として語られてきたのに対し,御伽噺は昔々あるところの出来事として語られてきた.その意味で神話よりも昔話・御伽噺の方がより普遍的な主題を扱っている.

退行現象

エネルギーが自我から無意識に流れ出したとき,自我の用いることのできるエネルギーは枯渇し,人は退行現象を示す.しかし,ユングは退行を病的なものと限らず,むしろ創造的なものを育むために必要な過程であることを指摘している.

ユングの自己規律

  1. 現実との強固な絆を保っておかなければならない.
  2. 無意識から来るメッセージを1つひとつ吟味して,これを可能な限り意識の言葉に翻訳する.
  3. 無意識の与える掲示をどこまで行為に移すことができ,日常生活に組み込むことができるかを見届けなければならない.

曼荼羅

曼荼羅とはサンスクリット語で本質・真髄・中心を表すmandaと所有を表す接尾辞laからなる語で,「本質を所有するもの」の意味である.今日では,箱庭療法においても治療の転回点にこうした曼荼羅と思われる箱庭作品が現れることが知られている.

夢分析とインキュベーション

古代における夢の治療を検討している際になによりもまず最初に挙げるべきはギリシアのインキュベーションである.インキュベーションとは病者が聖地に籠もり,夢の訪れを待つことを意味している.その訪れた夢によって治療がもたらされる.治癒夢と呼ばれる夢を病者が見たときに,直ちに病者は治癒したといわれている.

夢の補償機能

ある態度がいきすぎると夢はそれを崩して全体的なバランスを回復しようとする.ユングはこのような夢の機能を「補償機能」と呼んでいる.

アートセラピー

人間の心身機能をもとに,イメージ表現を扱うアートセラピーとして,絵画療法,音楽療法,サイコドラマ,ダンス・ムーヴメント・セラピー,粘土療法,陶芸療法などがあり,個人~集団としての活用法がある.クライエントはセラピストと相互に向き合いながら,イメージのやりとりを通して行われる癒やしの行為そのものが芸術療法であるともいうことができる.作品のできあがりの良し悪し・出来不出来ではなく,表現したいと思い,表現していくプロセス,表現し始める前から表現し終わった後々まで,全ての表現過程を通して,やりとりとそのなかで行われるもの,受け止める存在にあることが重要である.

見立て

土居健郎は見立てについて「病気の種類ではなく,病気と診断されるこの患者の姿が浮かび上がってこないだろうか」と述べ,分類のための単なるレッテル貼りではなく,「患者の病状を正しく把握し,患者と環境の相互関係を理解し,どの程度まで病気が生活の支援となっているかを読み取ること」を目指すものであるとした.

バウムテスト

わが国においては「果樹」という教示はほとんど用いられず,「実のなる木を描いて下さい」もしくは「(1本の)木を描いて下さい」という教示が多い.「表現」については「表現とは絵画に何が描かれているかということよりも,絵画がどのように描かれているかということと関係がある」.バウムが「何を意味するか」という問いに対して,コッホは以下のような答えを用意している.「現象学的に言えば,その答えは,バウムの絵それ自身の本性から生じるものでなければならない.例えば,円という形は,境界で囲われ,閉じていて,周囲から分離したもの,と自然に記述されるだろう」.

解釈の出発点

温めたイメージを丁寧に言葉にしていくことが解釈の出発点となるが,その際に記述のレベルを区別しておくとよい.一次レベルの記述とは,主観を排した中立的な記述を指す.二次レベルの記述は,解釈の判断がそこに入ってくる.三次レベルの記述は,さらに概念的なもので,例えば対人関係とか自我のあり方などをそこに見ようとするものである.

風景構成法

風景構成法は中井久夫が1969年に開発し,山中康裕が1984,1995年の2回にわたり,この技法に関わる専門書を世に問い,その普及に努めた.河合隼雄が1965年にスイスからわが国に導入した「箱庭療法」を中井が統合失調症者に適用しようとした際に,かえって悪化・憎悪をきたすことがあったので,箱庭を彼らに適用する前に,その予備テストとして開発されたものである.

通常は川,山,田,道,家,木,人,花,動物,石を順に並べ,A4の画用紙にサインペンで風景を書いてもらう.また,11番目に付加として「何か描き加えたいものがあったら,自由に加えて,風景を完成させて下さい」といって,風景を完成させる.彩色が終わったら,まず,味わうように絵をながめ,その後,おもむろにいくつかの質問をする.それらの質問は特に決まっていないが,概ね次のようなことを訊くとよい.この風景の季節,天候,山の高さ,道はどこに至るか,川の流れの方向,人の性別,何をしているところか,動物は何かなど.

絵画療法

自由画というと一般の人は,何を描いてもいいわけだから,まさしく字義通り,1番自由な方法だと思われるかもしれない.ところが,通常の我々の対象,つまり,精神や神経やからだに問題を抱えている人たちや,問題行動を呈している子ども達にさっさと描いてくれる人は,まずいない.いわゆる自由画は,彼らにとっては不自由画だといってもおかしくない.絵画療法,いわば非言語的な方法を用いるのに1番効果的なのは言語的なコミュニケーションの苦手な人たちである.

箱庭療法

箱庭療法は1956年ドラ・マリア・カルフ女史によってSandspiel,Sandplay Therapyとして創始された心理療法で,日本には1965年に河合隼雄によって箱庭療法の名で紹介された.歴史的には,子どもの内的世界の表現であるという意味でThe WorldあるいはThe World Techniqueと呼ばれた技法がもとになっている.箱の大きさは内法が57cm×72cm×7cmと国際的に定められており,箱の内側が水色に塗られているため,砂を除くとそこに「水」を表現できるようになっている.

コラージュ

コラージュはフランス語の「張り付ける」を意味するcolleに由来している.コラージュ技法には,コラージュ・ボックス法,マガジン・ピクチャー・コラージュ法がある.コラージュ・ボックス法はカウンセラーやセラピストなどがあらかじめ切り抜きをして,箱にためておき,面接場面でクライエントにコラージュ・ボックスの中から自由に選び,自由に加工したりしながら制作してもらうものである.マガジン・ピクチャー・コラージュ法は雑誌やチラシなどの中から気に入ったものを選んで切り取り,台紙に貼り合わせている方法である.コラージュ・アクティヴィティには,既成の素材から選ぶ,切り抜く,画面上に構成する,糊付けする,の流れがある.

イメージと身体

「病は気から」という言葉があるが,我々は気持ちから身体の調子を崩すこともあれば,身体の不調により気持ちも左右されるなど,心と体は切っても切り離せない関係にある.

アレキシサイミア

アレキシサイミアの語源はギリシャ語のa(欠如),lexis(言葉),thymos(情動)といわれる説もある心身症の1つであり,日本では失感情症,失感情言語症などと訳されていた.アレキシサイミアのクライエントに共通して,

  • 自分の感情や,身体の感覚に気づくことが難しい,あるいは鈍感である
  • 感情を表現することが難しい.表現が乏しい.
  • 自分の不満や不安を言語化できない

などの症状がみられる.ことわざに「もの言わざるは,腹ふくるるわざなり」というものがあるが,アレキシサイミアはこの1つの形ともいえる.過剰なストレスフルな状況下で,自分を抑え込む心理機制が働き,アレキシサイミアの状態になることもありうる.

催眠療法

催眠療法とは,催眠法と呼ばれる一定の方法・技法によって生ずる,操作的に定義される催眠現象を通じて行う心理療法のことを指している.

自律訓練法

ストレス緩和,心身症,神経症などに効果的である.自律訓練法は,自分自身でいつでもどこでも行える特徴があり,日常生活の多様な場面で行うことのできるセルフコントロール法として用いられている.

ロール・プレイング法

モレノの創始した心理劇は,固定観念に縛られない,原始言語としての身体行動を基本にしながら,できるだけ自由に振る舞える場を提供し,問題を具体的に提示してその場面をイメージし,登場人物をイメージし,その主題に関する即興劇を実際に演じてみる.心理劇は一般に監督,補助自我,演者,観客,舞台の5要素から構成され,ウォーミングアップ,ドラマ,討論の過程を経て行われる.

舞台という枠の中では,どんな表現も非難されることなく自由に演じられるということが大切である.学級の日常をよく知っている監督は,日常の観察,また必要に応じて調査を行って,主題を設定し,劇を演出し,討論の過程をまとめ,演者の感情や役割関係を明らかにしながらセッションを進めていく.観客もまたロール・プレイングを見ること聞くことを通じて,あるときは演者に共感し,あるときは反発し,演者とともにロール・プレイングを体験する.

抵抗の電気用図記号が変わっていた件

中学校の理科1分野で皆さんは電気回路について学修しているはずです.オームの法則とか聞いたことありますよね?「理科は苦手!」っていう人でも,以下の回路ぐらいは読めるんじゃないかと思います.

光アートの世界:LEDによる光アート講座その4より引用.

簡単なLEDを光らせる回路です.だがしかし,これが今の中高生,果ては大学生までわからないかもしれないのです!なんという教育崩壊!ゆとり教育の弊害!

いや,違うんです.電気用図記号はJISで策定されていて,上図のような電気用図記号はJIS C 0301で規定されています.しかし,このJIS C 0301は1997年から1999年にかけて策定されたJIS C 0617によって廃止されました.このJIS C 0617は国際規格であるIEC 60617を基に作成されており,国際準拠になっております.そして,JIS C 0617およびその基となっているIEC 60617では,抵抗を含め,電気用図記号が変わっているのです!(だだだーん!)新旧の抵抗の電気用図記号の比較はこちらから.そして,新旧JISによる電気用図記号はこうなった!

CiNii 論文?–? 電気用図記号のJIS改正について : JIS C 0617「電気用図記号」の概要より引用.

抵抗の他にもいろいろな記号が変わっていて,私に影響がある範囲だと,ダイオードとNPN型トランジスタも変わっています.コンデンサは許容範囲内かな.

JISが変更になっているので,当然ながら教科書もそれに準拠し変更されており,今現在の教科書では,JIS C 0617が使われています.この移行時期が定かではなく,2002年,2004年という複数の情報があり,どれが正しいのかは未確認です.しかしながら,とにかく今の中高生はJIS C 0617で習っているので,JIS C 0301の記号を出しても「???」となる可能性が高いのです.ただし,JISは拘束力はないので,往々にしてJIS C 0301の記号があちこちで使われています.

かくいう私も今日の今日まで知りませんでした.JIS C 0617の抵抗記号で回路図を描いてくる学生がいて,「横着してるな」と思って疑わないほどでした.これは由々しき事態です!中高の先生は間違いなくJIS C 0617に準拠して教えているでしょう.その際に,JIS C 0301に触れて「このような記号を使うこともあります」と説明しているかもしれません.しかしながら,大学教員(電気回路が専門の人は別として)の多くはこれを知らない可能性が非常に高いです.これは良くない.「大学教員は浮世離れしている」とか「大学教員は自分の専門しか興味がない」とか「大学教員は教育に興味はない」などとあることないこと言われてしまう材料です.正さなくてはならない!今こそ,正さなくてはならない!正しい知識で,わかりやすい教育を!

情報の世界(’10)

2011年第1学期は以下の4科目を受講します.

  • 情報の世界(’10)
  • 思春期・青年期の心理臨床(’09)
  • 心理臨床とイメージ(’10)
  • 記憶の心理学(’08)

テキストは届いているし,ビデオやラジオも全部録画・ダウンロード済なので,いつでも勉強できます.ということで,やる気が出ない現状に踏ん切りをつけるために,情報の世界(’10)を学期開始前にフライング終了させておきました.こうしておくと,学期が始まってからが楽になるのです.情報の世界は基礎科目だし,知っている分野なので,さくさくと進んでいきたいと思います.

放送授業の中で初めて聞き手の人が出てきました.そのため,駆け引きを期待したのですが,そうでもなかったです.でも,聞き手がいるだけで放送授業の雰囲気はこうも変わるんですね.淡々と進むわけではないので,なかなか聞きやすいです.以下,全講義を一括りにして,適当にまとめていきます.

インターネットには膨大な情報が存在する

「世の中には膨大な情報が存在する」という主張があるが,ある観点からは間違いである.同じWebサイトを見た場合でも,それぞれの関心の範囲と度合いによって,情報の受け取り方は様々に異なる.そのため,ある人にとって「何も得られない」Webサイトは,世の中に無数に存在している.もちろん,各Webサイトから有益な情報を得ている人は常に存在するので,社会全体としては情報の源であることは確かである.しかし,対象を個人に絞った途端に,ほとんどすべてはゴミ同然となる.

情報を扱う力

現在では情報化が進み利便性が向上したために,かえって「情報を扱う力」を身につけにくくなっている面がある.特に「自分の力で情報を作り出すこと」すなわち情報化の能力を身につけることが難しい.なぜなら現在では情報は「すでにあるもの」ちすて流通しているからである.このような上京では,流通している情報を「使う」ことこそが情報を扱う力であると考えられがちである.情報の性質を学ぶことは「出来合いの情報を使う」という方向に偏りすぎた情報社会での生活を見直し,情報社会を健全な意味で「マイペースに生きる」ための第一歩としての意味を持つ.

記号

人に情報を認知させる物質的な根拠のことを一般に「記号」と呼ぶ.記号は人が五感を通して認知可能な物質的存在であると同時に,情報の内容を示す何らかの形式的な秩序を備えている.記号には2つの側面がある.1つは五感で認知可能な物質的な根拠としての側面であり,もう1つは意味や価値といった抽象概念としての側面である.記号論では前者を「記号表現」,後者を「記号内容」と呼ぶ.

コードとコンテクスト

情報環境とは「情報を読み取る人を取り巻き,その人が読み取る情報に影響を与える環境」を意味する.情報環境を記号論の言葉で表すならば,情報環境とは「人がどのように記号を分節するか」を規定する条件であるということができる.そして,記号論において文節を規定する条件としてあげられるのは「コード」と「コンテクスト」である.記号論におけるコードとは記号同士の関係や記号表現と記号内容の対応についての規則体系である.コンテクストは文節を行う主体による,文節の現場を取り巻くその時々の状況に関する認識である.

記号論におけるコミュニケーション

記号論においては,コミュニケーションは送り手の側(記号化)と読み手の側(解読)との相互に独立したプロセスの組み合わせとして描かれる.すなわち,送り手の側はコミュニケーションの前提となるコンテクストとコード(記号化コード)にしたがって伝えるべき事柄に相当する記号を分節し,それを元にメッセージを作成する.これを記号化(エンコーディング)という.一方,読み手の側はメッセージをコミュニケーションの前提となるコンテクストとコード(解釈コード)に従ってメッセージから読み取るべき事柄に相当する記号を分節する.これを解読(デコーディング)という.メッセージをめぐって送り手と読み手が参照するコードやコンテクストは常に一致するとは限らない.記号の持つ一次的な意味をデノテーション(表示義)といい,記号に関連付けられた二次的な意味をコノテーション(共示義)という.

計算とアルゴリズム

計算は何かの問題の答えを求めるためにおこなうこと,そこで必要なこと全部を意味している.つまり,計算とは「一般的な問題解決の手段」を意味している.アルゴリズムは計算のやり方を表したものであり,以下の2つの条件を満たす必要がある.

  • 計算のやり方を明確に,曖昧さなく表現していること
  • いつかは停止することが保証されていること

計算量

計算量に関する議論では次のように取り扱う.

  • 今考えている計算システムで最も大きい(と思われる)係数だけを扱う.
  • 係数が1つになったので,係数の大きさは問題とせず,それがかかっている式だけに着目する.
  • 式がいくつかの項の和の形である場合は,問題の大きさが大きくなった場合に支配的になる項だけに着目する.
  • 残った1つの項について,先述の通り,かかっている定数係数は考えない.

WBS (Work Breakdown Structure)

プロジェクトでは必要な作業を階層構造に分解して管理する.一般的なシステム開発プロジェクトを例にとると,プロジェクトは要求定義工程,設計工程,製造工程,テスト工程に分解できる.さらに要求定義工程は,分析,仕様化,検証等の作業に分解できる.分析は,ステークホルダー分析,課題分析に分解できる.このように作業を階層構造に分解し,表記したものをWBSとよぶ.

社会と法

「社会あるところに法あり(Ubi societas, ibi ius)」という法格言にも見られるように,法は社会にとって必要不可欠なものである.法の存在形式は大別して2通りがある.1つは文書化された「成文法」であり,例えば憲法や法律などである.もう1つは判例や慣習,条理などといった「不文法」がある.慣習については「公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習は,法令の規定により認められたもの又は法令に規定されていない事項に関するものに限り,法律と同一の効力を有する」とされ,条理についても「民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ習慣ナキモノハ条理ヲ遂行シテ裁判スヘシ」とされている.

法解釈の技法として,最も基本的なものは,用いられた文言に忠実に理解するというアプローチ(文理解釈)である.通常の用法を超えた意味内容をとらえようとするアプローチを拡張解釈,逆に,通常の用法よりも更に狭くとらえようとするアプローチを縮小解釈(限定解釈)という.法は全体として一貫性を持った体系的なものでなければならず,規定相互間に矛盾が生じないよう,整合的な解釈を施す必要がある(論理解釈).ある事実関係に対して適用すべき法が存在しないとき,類似の事実関係を想定して規定された法を適用すべきだとする解釈技法を類推解釈といい,ある事実関係を前提として規定された法が存在するときに,それ以外の事実関係に対しては適用されないとする解釈技法を反対解釈という.

「善意」と「悪意」,「推定する」と「みなす」

法における「善意」とは一定の事情を「知らないこと」,「悪意」とは「知っていること」を意味し,道徳的善意に関する評価を含むものではない.また「推定する」とは,当事者の意思や事実関係の存否やその評価が不明である場合に,一応の法律上の取り扱いを確定させる意味をもつ.これに対し「みなす」とは,AとBとが性質の異なるものである場合に,法律上,BについてAと同様の取り扱いをすることを意味し,BがAでないことの証明によって覆されることはない.

新規立法と法改正

いわゆる迷惑メール等に対しては,2002年に特定電子メール送信適正化法の制定と,特定商取引法の改正により,広告メールに対して一定の表示義務が課せられ,また,受信拒否の通知を受けた以降の広告メール送信が禁止されることとなった(オプトアウト).その後,2008年に両方が改正され,予め相手方の承諾を得ていない限り,原則として広告メールの送信が禁止されることとなった(オプトイン).

他人の著作物の複製物を無断でインターネット上で送信する行為に対しては,著作権法の改正により,著作者のみが有する権利として自動公衆送信権が創設された.この権利には送信可能化も含まれるものとされているため,サーバーへのアップロードなどにより,自動公衆送信できる状態を作り出せば,実際に送信された事実がなくとも権利侵害が成立し,著作者の権利保護が図られている.

わいせつな画像・映像とわいせつ物公然陳列罪

インターネット上のわいせつな画像・映像に関し,最高裁判所も実務レベルでも,刑法第175条のわいせつ物公然陳列罪の適用が可能との立場が採られている.しかし,わいせつ画像情報それ自体はわいせつ「物」ではあり得ないため,当該情報が記録されたサーバーコンピュータ,ないしはハードディスクがわいせつ物に該当し,それが公然と陳列されていると理解されている.

情報社会と主体性

情報社会における教育上の主題として「主体的に生きる力の育成」の重要性が指摘される.情報社会化の進展が,人間に本来備わるべき資質としての主体性を脅かすという認識がある.この認識は,たとえばマスメディアによる情報発信の独占が視聴者の洗脳や社会全体の価値観の画一化をもたらすといった議論に見られる.

主体性を「外部からの影響から孤立した自己の意思のみを根拠として価値判断や行動ができる資質」として規定する立場がある.これを「純粋な主体性」と呼ぶこととする.純粋な主体性は現実的には成立し得ない.なぜならば,言語や絵や図形など,何らかの記号体系を用いることなくして人がものを考えることはできないからである.主体性の規定を純粋な主体性よりも幅広く「外部からの影響下において,おおむね自己の意思に基づいて価値判断や行動ができているという実感が持てる状態」とするならば,もう少し現実的な議論が可能であろう.

情報社会,メディア,主体性の関係は「情報社会とはメディアが虚構としての主体性を形成する上での支配的な力を持つ社会である」と規定することができる.これは,情報社会が「メディアを経由して形成される個人の主体性」を通して編成される社会であるという見方と表裏をなしている.

問題解決能力の重要性

生産性の高い,発達した社会においては,基本的な生活をするためには様々な問題を自分で解決しなくても,解凍や解を求める方法はすでに分かっていて,誰かにやってもらうか,選択肢を選ぶだけでよい場合が多い.ところが情報をベースに発展してきている情報社会においては,その発達の速度があまりに速いために,いわゆる「他人任せ」にすると不利益をこうむったり法的問題を起こしたりしてしまう可能性が小さくない.必要なことは,いろいろな問題に対して行われている問題解決の原理を理解し,実際の状況が正常であるかそうでないかについての判断力を身につけておくことである.

ホーム > 教育

アフィリエイト

Return to page top