Home > 教育
教育 アーカイブス
認知科学の展開(’08)
- 2012年01月19日
- 教育
今学期受講している4科目のうち,「認知科学の展開(’08)」を聴講し終えたので,簡単なまとめをしておく.難しかった・・・.
認知科学
21世紀最大の課題の1つである,私たちの「心」をめぐる議論は,新たな局面を迎えている.その取り組みを包括して,認知科学と呼ぶ.20世紀中頃からの情報理論,数理言語学,ならびにコンピュータの実現,さらには脳神経学などの発展とともに,現在の認知科学がある.
デカルトのパラダイム
デカルトの立場を一言で示すと「心身二元論」者である.彼によれば,人間は「心と体をもつ存在である」と規定された.第一原理が「我思う,ゆえに我在り(私は考える,それゆえに,私は存在する)」(ego cogito, ergo sum (I think, therefore I am))である.「心とは思惟するもの」という観点である.彼の思惟の定義をみると,単に考えることにとどまらず,「知・情・意」と包括される我々の抱く「意識」内容全般を含むものである.一方,人の身体は,人以外のあらゆる生き物を含み,「機械」である,と規定された.そして,この機械の作動原理を「反射」に求めた.
さらにデカルトは,心と身体を区分する際の指標として,心に備わっていて身体にはないものとして,「言葉」と「自由意志」をあげる.つまり,心あるものには,言葉が自覚的に操れるが,心のない身体は,言葉を自覚的に操れないということになる.
ホッブスのパラダイム
ホッブス自身も心の中心に「推理すること」をおく.しかし,デカルトとの決定的な違いは,心を,身体と同様の物質,つまり機械とみなす「一元論」者である点である.したがって,彼の主張は,「心は計算機である」ということに収束する.しかも,その計算の仕組みを,アリストテレスの形式論理学(三段論法)が支えていることを主張する.この成果の一端が「現代記号論理学」,中でも,「命題論理学」と「述語論理学」の体系化であるといってよいだろう.
考える力と記憶・知識
「知識偏重,記憶偏重の試験をやめた方が良い」「本当の意味での考える力を育てる教育をすべきである」.このような意見に反対する人はいないであろう.では,なぜいつまでもこうした思いは続いているのであろうか.なぜ,誰もが嫌がる知識偏重型の試験を止めて,本当の考える力を測る試験を行わないのであろうか.この疑問に答えることは大変に難しいが,極論すれば,この疑問への答えは,次のどちらかでしかない.
- 人類は昔から本当の知力・考える力を測る試験問題を作りたいと思っているが,まだ作ることができていない.人間の知力や考える力についてもう少し科学的に解明されたならば,そのような試験を作ることができる.
- 人間の知力・考える力とは,本来,知識や記憶に依存した能力であり,知識や記憶とは無関係に本当の知力・考える力があると思うのは幻想に過ぎず,間違った考え方である.つまり,そのような試験問題は本来作ることができない.
結局,このどちらの答えが正しいかは,人間の知力・考える力というものがどのようなものであるのかについて,正しくそして詳細に解明されない限り,答えることができない.残念ながら,人類は未だに,人間の知の働きの特徴と知の仕組みを明らかにしてはいない.
考える力の経験(知識)依存性
我々の心的機能に,記憶や知識と無関係な本当の考える力と呼ばれる機能があるとしよう.これらの機能をコンピュータ内部での存在に喩えていうとすれば,記憶や知識に対応するものとしてデータベースとでもいうべき存在が考えられ,本当の考える力に対応するものとしてデータの依存しない処理手順,あるいは処理アルゴリズムとでも称すべきものが考えられることになる.もしも我々人間の思考能力が処理手順のみによって支えられている能力であるならば,物理学的に同じ思考を要求する問題の間で解答に違いが出たり,難しさに違いが出たりはしないはずである.また,論理学的に同じ思考を要求する問題の間で同じ回答が出てもよいはずである.しかしながら,人間は,物理学的に同質の問題や論理学的に同質の問題に対して,異なる答えを出し,異なる難易度を感じる.
なぜそうなのか?それは,自分の記憶の中に,その問題場面に似た経験や知識がある場合には易しく,そうでない場合には難しくなる,ということであろう.つまり,人間の考える力は,経験や記憶や知識などと無関係であるとはいえないということである.このように考えると,我々人間の考える力とは,過去の経験の記憶を使って,今目の前にある問題に対して,妥当な答え・予測を導き出そうとする力である,といえそうである.
類推
類推とは,新しい問題を解こうとする際に,過去の経験や既に得ている知識の中から,つまり記憶の中から,その問題に本質的に類似しているものを引き出して使うタイプの推論のことをいう.「直感的に感じる」ということ自体が,類推による無意識的な推論処理が我々の心の中で自動的に行われた結果の表れである,ということができるだろう.
知識の表象
我々の脳は,画像全体を見たとしても,その画像全体の表象を作るのではなくて,部分部分に分けて表象を作る.例えば,三角形があったという表象,四角形があったという表象,星形があったという表象に分けて作り,それぞれを独立的に保持する.だから,それら3つの表象の間で位置の取り違えのある記憶が生じる.
我々の脳は,視覚画像を見た場合でも,最終的にはその解釈結果を概念的に,さらにいえば,言語に変換した形で情報を保持する.だから,我々は三角形の図形があったとか,灰色の図形があった,などの記憶についての自覚が生じる.
感度
全ての感覚系の基本的な性能は,閾値という心理物理学的測定値に基づく感度によって記述できる.感度と閾値は逆数関係にあり,一般に閾値が低いと感度は高い.感度は絶対閾による絶対感度と相対閾による相対感度に大きく分けられる.絶対閾はある刺激がない状態から確実にその刺激を区別できる最小量を決定することである.
色彩
桿体系と錐体系では感度と画質の鮮明さ以外にも大きな違いがある.人間は可視光の範囲全体で150程度の色相を区別することができ,色の明るさや鮮やかさを加えれば,区別できる色数は700万以上程度あり,そのうち1万弱には色名がある.赤,緑,青の3原色の構造が網膜上にも存在し,桿体と錐体という2つの光受容器のうち,錐体はさらに3つの型に区分される.つまり比較的短い波長に感受性が高いS錐体,中程度の波長に対するM錐体,長波長のL錐体であり,3つの受容器の活動比率が脳に伝えられ色覚が生起すると考える.
視聴覚情報の相補性
我々は音波の全周波数域ではなく,20~20kHzの範囲のみを聞くことができる.さらに,この範囲内の全ての音を同程度の鋭敏さで検知できるわけではなく,およそ中間の周波数1000~1500Hzの音に対して最も感度がよい.音が両耳で同じに聞こえるのはまれで,左右どちらかから来る音波はその音源と同側の耳でより先に強く聞こえる.この大きさと到達時間が若干異なる2つの情報を利用して,その音がどこから来たのかを知ることが可能である.この処理は両目を使う視覚の奥行き知覚と似ているが,視覚ほどの制度はない.しかし,音による定位は同時に360度全方位の検出が可能である.
味覚
味覚は舌の味蕾とよばれる味受容器による.甘さは舌の先,しょっぱさも舌の前部だがやや両側部で,酸っぱいものは中部の側面で,苦いものは舌の根本部分で検知される.4つの基本的な味に対する絶対感度は比較的高いが,各々の味の強度に対する相対感度である識別力はやや低い.
知覚的体制化
知覚システムが最初に行う重要な働きは,背景からさまざまな対象を区別することである.知覚システムには,見たり聞いたりするものを意味のあるものにまとめる働きがあり,これを知覚の体制化(perceptual organization)という.
顔認知のモデル
顔の認知には,物体の認知の延長として考えられない側面がいくつかある.例えば,どの人も形態上は目や口,鼻の相対的位置が同じであるが,それにもかかわらず,我々はそれらの微妙な違いを区別して人の顔を判別する.その人が誰であるかを認知するために以下の4つの過程が仮定されている.
- 我々の網膜上に写った像から,その人の顔の構造的符号化がなされる(構造的符号化過程)
- その符号化された顔が,顔認知ユニット内の過去の表象と照合され,既知性の判断がなされる(顔認知ユニットの活性化)
- その人がどんな人かという意味情報にアクセスして個人を同定する(個人同定ノードへのアクセス)
- その人の名前を生成する(名前生成)
注意の種類
特定の空間方向に向ける注意のことを空間的注意(spatial attention)という.何かある特徴や部分にのみ注意を傾けて情報処理を集中的に行う注意を集中的注意(focused attention)という.洗濯するという機能が強調される場合には,選択的注意(selective attention)という場合もある.集中的注意や選択的注意とは正反対の状況であり,複数の事象に同時に注意を分配している状況を分割的注意(divided attention)という.注意の喚起が強制的に促される場合を受動的注意,何かに自ら積極的に注意を向ける場合を能動的注意として区別することもある.また,注意対象を凝視してみるように行動に表われる注意(overt attention)と,視線とは別の空間位置に注意を向ける隠された注意(covert attention)を区別することもある.その他,何かが起こるのを神経をとがらせてじっと待っている注意のことを,ビジランス(vigilance)という.
発達の段階説
ピアジェは認知発達を以下のように4つの段階で捉えている.
- 感覚-運動期(乳幼児期):赤ん坊は主に感覚や動きによって周囲を探索し,知識を得る.
- 前操作期(就学前の幼児期):ここでいう操作とは,論理的思考とと言い換えても良い.具体的な物の見えにとらわれ,動くものは生きているなどのアニミズム的な思考,非論理的な思考もみられる.
- 具体的操作期(学童期):具体的な事物や手続きによって論理的思考が可能となる.
- 形式的操作期(思春期以降):具体的な内容から離れ,抽象的な記号操作や推論が可能となる.
ピアジェの考えは,
- 段階ごとに思考の質が異なる
- 生物学的な基礎を持ち,どのような文化にある人でも,同じような順序で発達が進む
- 発達的変化は全般的,領域一般的である
といった特徴を持つ.
語彙獲得に関する仮説
言語学者であるチョムスキーは,文法能力は環境要因,例えば親の言語活動を模倣することによっては学べないとした.大人は文法的に正しい言語情報しか提供せず,誤った文法を提示して「これは間違いである」と示すことをしない.にもかかわらず,子どもはやがて文法的な正誤を正確に行うことができるようになる.このことから,チョムスキーは子どもには言語学習装置が生得的に備わっていると考えた.
マークマンは,子どもが迷うことなくラベルを特定の事物や生物に付与できるのは,子どもが生得的に以下のような仮説を持っているからだと考えた.これらの仮説を言語的制約という.
- 事物全体仮説:ラベルは対象となる事物全体を指す.
- 分類カテゴリー仮説:ラベルはその事物のカテゴリーメンバーに対しても用いられる.
- 相互排他性仮説:1つの対象カテゴリーは1つだけラベルを持つ.
推論
論理学では,前提となる知識命題を正しいとするならば,必ず正しい結論を導き出す推論を演繹と呼ぶ.演繹に対して,個別的な事象の観察から一般的な結論を導き出す帰納や,未知の対象について類似した既知の対象の知識から推測する類推を区別する.心理学的知見からいえば,我々は演繹における形式性の真偽判断は大変苦手であり,推論の形式性に関する真偽判断よりも,知識命題の内容に関する自分自身の認識に基づいた真偽判断を行うことが多い.
命題の正しさ
帰納によって導き出された命題は常に正しさの度合いが問題となるため,特に人や社会現象など,因果関係が複雑で不確実な対象を扱う実証科学では推測統計学の考え方を使う.推測統計学とは,実際に観測されたデータの散らばりが理論的な分布に従うと仮定し,実験などで観察されたデータがランダムに起こる可能性が非常に低い場合に,その観測データが誤差ではなく,例えば薬物投与などの要因による影響であると考える方法である.
確証バイアス
帰納的推論過程では,帰納によっていったん仮説を作った後では,その命題を支持するデータだけを見つけようとする傾向を持つことが知られている.これは確証バイアスと呼ばれている.
アルゴリズムとヒューリスティックス
目標に対してステップを厳密に組み立て,そのステップを辿れば必ず目標に行き着く.このような手続きステップの定義をアルゴリズム(Algorithm)と呼ぶ.目標への到達は保証されてはいないが,うまくいけば,アルゴリズム的解決よりも遥かに短時間で解決できる方法をヒューリスティックス(Heuristics)という.ヒューリスティックスは,それなりに定評のある問題解決法とされているが,他の帰納的知識と本質的な違いはない.
類推
類推とは,未知のことがら(ターゲット)が持つ何らかの特徴が既知のことがら(ベースまたはソース)の特徴と類似している場合,ベースが持つその他の特徴をターゲットに適用するものである.
人間の言語処理
人間は,知らない言語の音声音響から,言語としての理解はなさない.連続した入力信号を離散的な言語単位に区切る処理は,分節化(Segmentation)と呼ばれており,人間の言語処理の特徴の1つである.分節化という特徴とともに,分節化された単位をいくつか集めて,より大きな単位に群化(Grouping)するという特徴もある.
心内辞書
言語入力を単語の列として認知できるためには,それ以前に単語が聞き手の脳内に習得されていなければならない.聞き手の記憶に蓄えられている単語の情報の集合は,心内辞書(Mental Lexicon)と呼ばれている.
単語優位効果
単語優位効果とは,見づらい条件下で提示された1文字は,単独で提示されたり,単語ではない文字列の中に提示されたりする場合よりも,単語の中の1文字として提示された場合の方が,知覚されやすいという現象をいう.単語優位効果は,心理学の中で古くから知られている文脈効果の一種といえる.
言語行為論
オースティンは,発話には情報を伝達する陳述と,発話すること自体が行為となるような言語行為(speech act)とがあることを指摘した.例えば,約束,要求,宣誓,命名,脅かしなどの発話は,情報内容を伝えるだけでなく,聞き手に特定の行為を行ったかのような効果をもたらす.このような発話を言語行為とよぶ.
言語行為には以下の3つの種類があるとされる.
- 話し手が発話するという行為そのものであり,発話行為(locutionary act)とよばれる
- 約束や要求など話し手が聞き手に伝えようとする意図であり,発話内行為(illocutionary act)とよばれる
- 発話が聞き手の環状や講堂に及ぼす影響であり,発話媒介行為(prelocutionary act)とよばれる
適切性条件
サールは,言語行為が成立するのに必要な条件を,言語的な内容と意図の側面に分け,適切性条件としてまとめた.適切性条件は以下の4つの条件からなる.
- 命題内容条件:発話の命題内容が満たすべき条件
- 準備条件:発話者および聞き手,場面,状況設定に関する条件
- 誠実性条件:発話者の意図に関する条件
- 本質条件:発話によって生じる行為の遂行業務に関する条件
会話の公準
グライスは発話における「字義通りの意味」と「含意」とを区別した.そして,字義通りの意味が円滑に伝達されるためには,話者間で以下の4つの約束事が守られていなければならないとした.この約束事を会話の公準という.
- 量の公準:必要な情報は全て提供する,必要以上の情報の提供は避ける.
- 質の公準:偽と考えられること,十分な根拠を欠くことはいわない.
- 関係の公準:無関係なことはいわない.
- 様態の公準:わかりにくい表現,曖昧な表現は避ける,できるだけ簡潔に表現する,秩序立った表現をする.
公準が守られている限り,聞き手は発話を字義的に解釈する.
音楽として聞こえる音列
ある音列はメロディとして聞こえるのに,別な音列は単なる音の羅列としてしか聞こえない.なにがその違いを決めているのであろうか.音列が音楽として聞こえるためには,次の2種類の知覚的体制化の処理が脳内でうまくなされる必要があるといえる.拍節的体制化と調性的体制化とよばれる2種類の処理である.
アージ理論
戸田は感情を,進化が作り上げた生き延び用ソフトウェアであると位置づけた上で,感情と行動を決定づけるスキーマとして多くの種類のアージ(urge)を想定した.金子によると,いじめの感情的特徴は,加害者側においては,妬み型の怒りアージ,誇示アージとして,また被害者側においては,当惑,悲嘆,秘匿,恥,追随などで特徴付けられるという.そして,いじめという現象が持つ諸特徴:非排除性,多層構造,非可視性,役割の入れ替わりが,順位性の中での順位の変化という観点からよく説明できるという.
認知科学と認知工学
使いやすいモノの設計学として登場した認知工学は,魅力あるモノの設計学へと進展を遂げている.ここには,感情科学と認知工学との興味深い強調的な関係がある.美しく楽しいモノについて科学し,工学するには,人間の感情についての精密な理論を欠かすことができない.
7つの設計原則
認知工学の古典的名著といってよいThe Psychology of Everyday Thingsにおいて,ノーマンは使いやすいモノのデザインのための7つの原則を提案している.
- 世界の中の知識と頭の中の知識の両方を利用する
- 作業の構造を単純化する
- 対象を目に見えるようにして,実行と評価の間に橋をかける
- 正しい対応付けをする
- 自然の制約や,人工的な制約の力を活用する
- エラーに備えたデザインをする
- 以上のすべてがうまくいかないときには,標準化する
魅力的なモノのための認知工学
ノーマンのEmotional Designでは,認知科学の知見に基づいて,次のような重要な提案が行われている.
Attractive things work better. (魅力的なモノは,良く動作する.)
注射エラー
川村によれば,注射エラーの背景は,次のような8種の要因にまとめることができるという.
- 情報伝達の混乱
- エラーを誘発するモノのデザイン
- 患者誤認を誘発する患者の類似性と行為の同時進行
- 注射準備,実施業務の途中中断
- 不正確な準備作業動作と不明確な作業区分,狭溢な作業空間
- タイムプレッシャー
- 病態と薬剤の一元的理解の不足
- 新卒者の臨床知識と技術の不足
心理学実験2
- 2011年12月25日
- 教育
放送大学では初めてとなる面接授業を急遽受講することになったので,その記録を簡単にまとめておく.
実験1 大きさの錯視
本実験では幾何学的錯視についてエビングハウスの実験の追試を行う.標準刺激における中心図形と条件図形との大きさ(面積)の比率が1:1,1:2,1:2.25,1:4,1:6である5条件を設定した1要因参加者内計画として実験を実施した.実験参加者22名より実験結果を得た結果,中心図形の周辺を大きな図形が囲む場合に,中心図形が小さく知覚される傾向が見られた.一方で,条件図形が大きくなっても,その変化量は錯視量に大きな差を与えない結果が得られた.本実験結果より,エビングハウスの幾何学的錯視の実験結果は支持された.
実験2 印象形成
本実験では印象形成についてアッシュの理論が支持されるか否かについての検証を行う.アッシュはゲシュタルト心理学の立場から,全体印象は個々の特性の単なる合計ではなく,個々の特性を超えた全体(ゲシュタルト)であると主張し,全体印象の成立には個々の特性が均等な重みで寄与するのではなく,中心的機能を果たす特性(中心特性)とそうでない特性(周辺特性)があることを指摘した.本実験では特性語のリストに,「暖かい」という語が含まれる条件1と,その代わりに「冷たい」という語が含まれる条件2の2条件を設定した1要因参加者間計画である.実験参加者22名より実験結果を得た結果,条件1と条件2の間に有意な差が認められた.本実験結果より,中心特性の違いにより印象形成は違っており,アッシュの理論は支持された.
実験3 自由再生による記憶の系列位置効果
本実験では系列位置効果が見られるかを検討し,妨害課題が親近生効果に及ぼす影響を検証する.系列位置効果には,最後の方の項目が最も良く再生される「新近性効果」と最初の項目が再生されやすい「初頭効果」という現象がある.記憶の二成分モデルによれば,初頭効果は長期貯蔵庫から,新近性効果は短期貯蔵庫から得られる記憶と考えられる.そのため,項目提示後に妨害課題を行うことになると,短期貯蔵庫に記憶を保っておくことができなくなるため,新近性効果は消失するとされている.本実験は項目提示直後に妨害課題がある条件群とない条件群の2条件群を設定した1要因参加者間計画である.実験参加者21名より実験結果を得た結果,妨害課題がある条件群は親近生効果が確認されるのに対し,妨害課題がない条件群は新近性効果が現れなかった.また,両条件群ともに初頭効果が確認された.
実験4 要求水準
我々は日々の生活の中で,様々な目標を設定して行動している.例えば,試験を受けるにあたって満点を目標するなどの,行動するにあたって設定する目標の水準を要求水準という.要求水準の型は大きく「理想水準型」「最低水準型」「現実水準型」「混合型」の4つに分けられる.本実験では,要求水準が課題による成功経験,失敗経験とどのような関連を持つかを調べるために,要求水準と結果の差である「達成差」と,結果と次の要求水準の差である「目標差」の関連,および「達成差」と「満足度」の関連について調べる.本実験の結果より,「達成差」の正負の比率によって,「目標差」の正負の比率に有意な差がみられ,また「達成差」の正負の比率によって,「満足度」の比率に有意な差がみられた.また,教室全体としては「最低水準型」であることがわかった.
こころとからだ(’07)
- 2011年12月05日
- 教育
今学期受講している4科目のうち,「こころとからだ(’07)」を聴講し終えたので,簡単なまとめをしておく.
実体二元論
デカルトは,すべての事物とその存在をひとまず疑ってみるというところから思考をはじめ,あらゆるものは疑い得るが,その疑っている自分自身の思惟そのものはどうしても疑えない,つまり「我思う,故に我あり(ego cogito, ergo sum)」という結論を導き出す.
生物としてのヒト
生物の分類学ではヒトの学名は,Homo sapiensといい,哺乳網の霊長目に入っていて,この霊長目には190種ほどが知られている.ヒトという種は,分類学的にいうと「哺乳網・霊長目・ヒト上科,ヒト科・ヒト属,ヒト」となる.ヒトは霊長類の中に位置づけられるが身体にさまざまな特性を有していて,それらの中で以下に挙げる4点が目立った特性である.
- 直立二足歩行ができる体型
- 大きな脳
- 少ない体毛
- 小さな犬歯
ヒトの成長パターンには,いくつかの特徴がある.寿命が長いことが,個体発生の多くの局面に影響しているのである.
- 胎児期が平均266日と最も長い割には,他の霊長類よりもずっと未熟で生まれ,新生児は並外れて無力でその期間が長い.
- 離乳した後の幼児/小児期間もかなり長い.
- 性的な成熟を迎えるまでに10数年を必要としている.
- 寿命が長く,生殖能力が停止する年齢を過ぎた後もヒトの社会には老年個体が残っていて,子育ての役割を果たしている.
生体の防御機構としての免疫
動物の基本的な免疫機能は,外界から侵入した非自己を,白血球の一種であるマクロファージ(大食細胞)が食べてしまうことである.高等な動物になるほど,リンパ球を中心とした高度な免疫系が発達してくる.ここでは外来異物を免疫系が非自己として認識する.その仕組みは次のようである.まず体内に侵入してきた物質(抗原)に対して,生体内にすでに準備されている抗体が反応し,抗原抗体反応が生じる.抗体は免疫グロブリンとよばれるタンパク質で,抗原分子に対応した抗体がそれぞれ多数用意されている.抗原と結合した抗体はさらに結合して大きな分子となって無害化され,最終的にマクロファージなどに食べられてしまう.ある抗原が体内に侵入すると,これに対応する抗体が大量に作成される仕組みがある.これを担うのがリンパ球の中のB細胞と呼ばれるものである.一部のB細胞は抗原を記憶しておき,ふたたび同種の抗原に出会ったときには,素早く反応できるようになっている.これが予防接種の原理である.
社会の中の人間
我々は,生物学的なヒトとしての肉体をもち,他の脊椎動物より遙かに大きな容積の脳を持っているが,それだけで誰もが自動的に「人間」になるわけではない.生まれたばかりの人間の脳は,他の脊椎動物と比べても著しく「未完成」なのである.
ロックやコンディヤックの認知論の影響を受けたイタールは,人間には他の生物にはない優れた能力として「感受性」があって,それが模倣能力を生じていると考えていたが,その模倣能力は,幼児期を過ぎると急速に弱まってしまうとも考えていたからである.幼児期に模倣すべき言語的環境を与えられなかった場合,生物としての「ヒト」であっても他者とのコミュニケーションが可能な社会的存在としての「人間」にはなれないことを示唆しているといってよいだろう.
社会化
社会化を社会の側から見れば,人々をその社会の文化にとって適合的な行動様式や資質をもった構成員に作り上げる過程ということになるし,逆に個人の側から見れば,人がその社会の行動様式に適した資質や能力,その社会の構成員としての自意識,その社会の中での役割といったものを自分の内部に作りながら発達する過程ということになる.同一化の欲求によってその他者のもつ文化の内容を取り込んで内面化することで発達していく過程が社会化だと考えるのである.
こころの二面性
超自我は,周りの人たちによってただ一方的にすり込まれるのではなく,2つの自我の間のコミュニケーションを通して,子どもたちが自ら身につけていくのだという考え方もある.これはミードの考え方である.その場合の2つの自我とは,「~したい自分(I)」と「周囲や社会の求める自分(me)」である.
内的コミュニケーションは,一般の会話同様,二人の話者の間のメッセージのやり取りという一定のパターンをもっている.そしてそれは,ほぼ白紙の状態で生まれる人間の子どもが生まれつき身につけているものでは決してない.そうであれば,その技法を獲得するために何らかのモデルが必要であることは言うまでもない.内的コミュニケーションの最も普遍的なモデルは,自分と母親の会話である.
エリクソンの発達の考え方
エリック・エリクソンが注目した発達の側面は人格であった.人は生涯にわたってその人格を形成していくのだと彼は考え,青年期が発達の最終到達点とは考えなかった.彼は,人間が8つの人格要素を発達させられる可能性を生まれながらに持っているのだという.8つの要素と内容は以下の通りである.
- 乳児期 基本的信頼 vs 基本的不信(希望)
- 幼児期 自立 vs 恥,疑い(意志)
- 遊び期 自発性 vs 罪悪感(目的)
- 学童期 勤勉性 vs 劣等感(有能さ)
- 青年期 自我同一性獲得 vs 自我拡散(忠誠)
- 若い成人期 親密性 vs 孤独(愛)
- 中年期 生殖性 vs 停滞(世話)
- 老年期 統合 vs 絶望,嫌悪(知恵)
人の一生
孔子が自分の生涯を振り返る形でライフサイクルの1つの理念型を「われ十有五にして学に志す,三十にして立つ,四十にして惑わず,五十にして天命を知る,六十にして耳順う,七十にして心の欲するところに従いてのりをこえず」と簡潔に示したことはよく知られているし,シェークスピアも人生を7つの年代に分けて示している.
発達段階と発達課題
エリクソンは,人間が自立と社会適応を高める正の要素により獲得される社会的基盤とそれを否定する要素による葛藤の危機を解決していくことで発達を遂げると考え,その葛藤の内容によって,誕生から死までの期間を8段階に区分した.エリクソンによる発達とは,人生においてその成長の度合いに応じたレベルの異なる心理的社会的葛藤を体験し,それによる危機を乗り越えることでそれぞれのレベルの発達課題を達成していくことである.
アメリカの教育学者であったハヴィガーストは人生を以下の6つの段階に区分し,そのそれぞれに社会や文化から要請される達成すべき課題があることを示した.
- 乳幼児期
- 児童期
- 青年期
- 壮年初期
- 中年期
- 老年期
発達課題には,いくつかの意義と概念としての性格がある.それは次のようなものである.
- 健全な社会適応にとって必須の学習内容であること.
- 基本的に適切な時期に一定の期間内で学習されなくてはならないこと.適切な時期を越えた課題は達成が困難となり,その意義も弱まる.
- 子どもから高齢者に至るまでの各年齢段階のすべてに存在すること.
達成目標の成就と自己実現
マズローによれば,自分自身についてよく理解し,自らの可能性を最大限に実現しようと試みるところにこそ「人間の本質」がある.自分の達成目標を積極的に成就しようという欲求をもち,それを満たすための努力の連続が人生だということになる.下位の欲求が満たされることで,より上位の欲求の充足を目指すとマズローは考えた.いわゆる「欲求段階説」である.
- 生理的(身体的)欲求
- 安全・安心の欲求
- 所属・愛情の欲求
- 承認・自尊の欲求
- 自己実現の欲求
成人学習者の場合,周囲にいわれて,とか,資格が欲しくて,とかいった直接的な原因はあったとしても,基本的には,周囲に「認められたい」という承認・自尊の欲求や,さらに高次の自分の人生を「充実させたい」という自己実現の欲求で努力していると考えられるからである.
教育のさまざまな位相
家庭での教育においては,人間への基本的信頼(端的に言えば「一人よりも家族といる方が心地よい」という心理)を醸成することが最も重要な発達課題となる.
就学前教育においては,子どもたちは,家族以外の他者と情緒的に結びつき協調することの心地よさ,簡単なゲームのルールの習得,走る・投げる・跳ぶ等々の身体運動技能の獲得,集団そのものへの理解等々,ピアの中で実に多くのことを学び,発達する.しかし,いかに技術が進み,情報化が進展したとしても,社会の仕組みと文化に変化がない限り,子どもの発達課題が大変動するとは考えにくい.組織的な就学前教育であっても,その基本は,先に述べたような他者との協調やルールの取得等,ピアの中で獲得すべき内容と同一であって,「ピアの代替」という幼稚園,保育所の最大の使命に大きな変化はないと考えるべきであろう.
エリクソンは中等教育の時期に,自分の主体性,自分らしさ,独自性といったものに関わる自我同一性の危機を迎えると指摘する.
自殺と動機
哲学者の天野貞祐が,人はたった1つの理由で自分を殺したりはしない,複数の理由が重なって自殺に至ると語った.旧制一高生であった藤村操が,人生不可解なりという言葉を残して華厳の滝に投身自殺した話題にふれて,自殺を決意させる原因は,単一ではなく複数あり,重なり合うということである.「国民衛生の動向」によれば,遺書に残された自殺動機の分類では,健康問題が第1位となっている.
地域保健
昭和57年に制定された老人保健法の中で,市町村による保健事業として,健康手帳の交付,健康教育,健康相談,健康診断,機能訓練,訪問指導,そして医療という7つの事業の実施が定められた.基本健康検査は,対象者は職域などで健康受診の機会のない40歳以上の住民で,診査内容として,必須項目は問診,身体計測,理学的検査,血圧測定,検尿,循環器検査,肝機能検査,血糖検査であり,選択項目は心電図検査,眼底検査,貧血検査,ヘモグロビンA1c検査からなっている.がん検診については,胃がん,子宮がん,肺がん,乳がん,大腸がんの検診が行われており,受診率は平成15年度において,それぞれ13.3%,15.4%,23.7%,12.9%,18.1%で,低迷している.
職場のメンタルヘルス
1999年,当時の労働省は「心理的負荷による精神障害等に関わる業務場外の判断基準」を示し,自殺を含む精神障害の労災認定基準を明確にした.職場のメンタルヘルスについては,厚生労働省が2006年に公表した「労働者の心の健康の保持増進のための指針」に従って各企業がメンタルヘルス対策に努力することとなっている.
こころの健康づくり対策
現在のわが国の精神保健は,大別して2つの柱がある.慢性の精神障害を持つ人々の地域での生活を支援するという取り組みと,うつ病や自殺,ストレスなどに対する対策であるこころの健康作りである.2003年,厚生労働省から公表された「こころのバリアフリー宣言」では,次の2つのテーマが盛り込まれている.1つは「あなたは絶対に自信がありますか,こころの健康に?」という見出しで,精神疾患を自分もかかる可能性のある問題として関心を持つこと,こころも体も無理しないでこころの健康問題を予防すること,自分のこころの不調に気づくこと,精神疾患への正しい対応を知っておくことが大事とされている.もう1つは,「社会の支援が大事,共生の社会を目指して」という見出しで,慢性の精神障害をもつ者に対するこころのバリアを作らない,障害者が自分らしく生きている姿を認めること,障害者と出会い理解すること,障害者と互いに支えあう社会づくりを掲げている.
集団の類型
これまでに,集団の類型としてはさまざまな概念が提示されている.1つは「第一次集団」と「第二次集団」であり,アメリカ,ミシガン大学のクーリーらが構成員相互の関係のあり方に注目して分けた類型である.クーリーらは,さまざまな集団の内,構成員相互の全人的で直接接触し合う親密な結合,共同,共生といった人間関係を中心とする集団を抽出し,それらを第一次集団と名付けた.それに対して,一面的で他者への転移が容易なメンバーシップや対面性のない間接的な相互関係に基づく集団は,第二次集団と名付けられた.
もう1つは「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」である.独の社会学者テンニエスが示した,集団の起源や成立の根拠を基準とする概念である.ゲマインシャフトは,同一の祖先,道徳的一体性,親密性などを伴う地縁・血縁集団で,人々がそこに属することを自分が希望したのではなく,そこに生まれることによって構成員となるような集団である.もう一方のゲゼルシャフトは,ある特定の目的達成のために形成された実践的手段としての集団で,人々が契約によってそれに参入してくるような集団である.
サンクションと信念
規範が遵守されるためには,サンクション(賞罰)による強制,もしくは規範を遵守することを正しいとする信念(内発的動機づけ)のいずれか一方または両方が必須である.
「自立」の意味するもの
自立という概念は,複数の要素で構成されているが,成熟という概念を用いて表すと,次のような3つの内容にまとめられる.1つ目は「肉体的成熟」である.身体の各器官が労働や婚姻に十分なだけ成熟していることがその内容である.2つ目は「社会的成熟」である.周囲の人々と問題なく付き合っていけるだけの十分な協調性や,社会的な役割を遂行する能力,あるいは挨拶や礼儀など他者と関わる上での技能を身につけることがその内容である.3つ目は「精神的成熟」で,安定した精神状態,忍耐力,問題解決にあたっての判断や決断力,自尊心,向上心,ある程度の孤独に耐えられる独立心などがある.
人間の考える力
- 2011年11月14日
- 教育
認知科学の展開(’08)第3回から抜粋です.
人間や動物に関わるあらゆる学問において,「nature or nurture?」問題は大昔から一大テーマであり続けている.この疑問は,認知科学でいえば,我々個々人が持っているさまざまな心的能力や行動特性が「遺伝によっているのか,環境によっているのか」という疑問になる.言い換えれば「先天的か後天的か」となる.しかし,野生児の研究や生得的解発機構に関する研究などから得られた過去の知見から,人間は「遺伝」という基礎のもとに,環境からのさまざまな「経験」によって,つまりは「nature and nurture」によって,人間になっているといえるだろう.
よく教育に関して,次のような意見が交わされることがある.「知識偏重,記憶偏重の試験を止めた方が良い」「本当の意味での考える力を育てる教育をすべきである」.このような意見に反対する人はいないであろう.このような思いは現代の日本のみならず,大昔から,しかも洋の東西を問わずにあるものではないかと思われる.では,何故いつまでもこうした思いは続いているのであろうか.何故誰もが嫌がる知識偏重型の試験を止めて,本当の考える力を測る試験を行わないのであろうか.極論すれば,この疑問への答えは次のどちらかでしかない.
結局,このどちらの答えが正しいかは,人間の知力・考える力というものがどのようなものであるかについて,正しくそして詳細に解明されない限り,答えることができない.残念ながら,人類は未だに,人間の知の働きの特徴と知の仕組みを明らかにはしてはいない.
ここで次のような問題を考えたい.
この問題を解こうとする際に感じることを率直に述べてもらうと,意外に多くの人が,この問題は難しく答えに自信がない,と報告する.また,実際の解答もいずれかに集中することはなく,それぞれある程度の割合を得る.これは,老若男女,さまざまな年代,さまざまな職業の人に解いてもらった結果からいえるものである.
次に以下の問題を考えたい.
先の問題に比べて,この問題は易しく感じる.この2つの問題を並べてみると,気づき始める人も多いが,実はこの2つの問題は,物理学的には全く同質の問題である.何故,物理学的には同質の問題であるはずなのに,多くの人にとって,飛行機の問題は難しく,崖の問題は易しいのだろうか.
ここで,さらに以下の問題を考えたい.
これらも飛行機と崖の問題と同様に,カードの問題は難しく,封筒の問題は易しく感じられる.実はこの問題も論理学的に同質の問題である.今,我々の心的機能に,記憶や知識とは無関係な「本当の考える力」があると仮定する.これらの機能をコンピュータ内部に喩えれば,記憶や知識はデータベース,本当の考える力は処理アルゴリズムと考えることができる.もし,我々人間の思考能力がコンピュータのような処理手順のみによって支えられている能力であるならば,物理学的に同じ思考を要求する問題も論理学的に同じ思考を要求する問題も,解答に違いが出たり,難しさに違いが出たりはしないはずである.しかし,人間は物理学的に同質の問題や論理学的に同質の問題に対して,異なる答えを出し,異なる難易度を感じる.
この答えは,自分の記憶の中に,その問題場面に似た経験や知識がある場合には易しく,そうでない場合には難しくなるのである.つまり一般的にいえば,人間の考える力は,知識や記憶や知識などと無関係であるとはいえないということである.我々人間の「考える力」とは,我々が思っている以上に,記憶や経験や知識に基づいているものなのではないだろうか.そして,過去の経験の記憶を使って,いま目の前にある問題に対して,妥当な答え・予測を導き出そうとする力といえそうである.
かしこくなる患者学(’07)
- 2011年11月06日
- 教育
今学期受講している4科目のうち,「かしこくなる患者学(’07)」を聴講し終えたので,簡単なまとめをしておく.この科目はラジオ講義なのだが,仕事・所得と資産選択(’08)と同じくらいに面白かった.主には主任講師のキャラだと思うが.
エンパワーメント
OECDでは各国の医療制度を評価する基準として,「公平性」「効率性」「有効性」「エンパワーメント」の4つをあげている.日本の医療制度は公平性は優れているが,効率性と有効性は十分ではなく,エンパワーメントについては非常に遅れている.エンパワーメントという単語そのものは「能力をつける」「権限を与える」という意味である.1人ひとりの自己肯定感や自尊心を回復し,個人が内側からやる気になるというモチベーショナルな側面と,自分の人生のさまざまな選択において自己決定をし,自分で統御していると感じ,医療者に権限委譲をし,医療に決定参加するという人間関係の側面を持っている.さらには,社会資源を再検討し,条件整備を行っていこうと自分の属する社会の構造に影響を与える過程にもなる.これが「アドボカシー」という言葉になる.(以下私見)UCの主治医と私の関係はまさにこれに該当すると思う.主治医は治療に必要な環境や手段を提示し,私がそれを選択する.だから,薬がペンタサからアサコールに変わったり,ペン注を間欠投薬したりできた.入院していないのも,プレドニンを使っていないのも,同様である.
エンパワーメント患者になるために
- イメージトレーニング
- 生きることを決めること
- 今日は素晴らしいことが始まるぞ,と思うこと
- 元気になった,よかった,ありがとう,と思うこと
- 病状の変化・管理を自分でやる
- 良いこと探し
(以下私見)2番だけやってます.医者に「どうですか?」と聞かれて「いつもと同じです」というのは答えになっていない.「○○は××で変わりないです」などと答えるのが正しい.医者は私のことは知らないのだから,説明しなくてはならない.
セルフマネジメント
セルフマネジメントのスキルは次の5つである.
- 問題解決
- 自己決定
- 諸問題,諸手段の有効活用
- 医療サービス提供者とのパートナーシップを有効なものに発展させる
- 行動を起こす
米国がん協会は「I Can Cope」というプログラムを作った.患者が自分で病気を理解し,治療のために対処方法を学ぶと,患者が自分で自立を促進することができる.I Can Copeプログラムは以下の通りである.
- 診断と治療
- 治療の副作用
- 感情と自尊心
- がんとつきあう
- コミュニケーション技法
- 地域リソース
- 経済的問題
- 疼痛管理
- 栄養管理
- 疲労対処
エンパワーメントの効果
エンパワーメントの効果としては,症状の厳しさが低減し,疼痛緩和がはかられる.また,生活管理ができ,活動性が高まり,生活諸手段や環境が改善することで生活の満足度が高まる.医者と患者のコミュニケーションが改善し,治療のコンプライアンスが高まり,医療効果も高まる.実際「セルフマネジメント」の実施によって,症状が15~30%軽減し,最良の医療サービスによって症状が40~60%軽減する.そして,医療サービスと「セルフマネジメント」を併用することで,症状は55~90%も軽減する.(以下私見)プラセボだと言われようとも,ただ漫然と与えられた薬を飲むのと,自らがこれなら効くだろうと信じて選んだ薬を飲むのでは,わけが違うと思う.
アドボカシー
セルフ・アドボカシーとは,個人が医療提供者に,家族に,友人にどのようにコミュニケーションするかである.病気であることを開示するか,公表するかが問題である.困ったことは主張しないと,変わらない.これからのかしこい患者は,よく勉強し,情報を知るとともに,発信することも重要である.不平不満をいう,我慢とあきらめの時代は終わったのである.(以下私見)このブログがまさにそれである.
細胞の命と人間の仕組み
人間は約60兆個の細胞からできている.細胞病理学の父・ウイルヒョーは「全ての細胞は細胞から生まれる.細胞が死ぬから生命が終わる」と細胞死が個体死の原因と考えた.しかし,脳神経の大部分が変性壊死に陥った脳死患者でも,栄養管理と感染防御を徹底させれば,心,腸,肝,膵,腎,筋肉等の組織細胞はきわめて健康であり,心臓が止らない限りきわめて長期間健康で生きながらえる.最も重要と思われる脳細胞の死といえども,個体の死に直結していない.
もともと細胞は死ぬようにつくられている.「ネクローシス」は細胞の受身の死で他殺という病的な死であるが,「アポトーシス」は遺伝子にプログラムされている細胞消滅の自殺死である.身体は,不要な細胞や損傷した細胞を積極的に排除して,どんどん入れ替えている.したがって,全ての細胞は自然に死ぬべき寿命が決められている.
生命を維持するために,毎日約500リットルの酸素を燃やし,莫大なエネルギーを費やし続けることが必要である.1人の人間の動脈,静脈,毛細血管と合わせて,全長が約10万キロメートルで酸素を全身に運ぶ.水に溶けにくい酸素を体内に溶かすには,約100トンもの体液が必要となる.わずか5リットルの血液しか持たないヒトは,酸素を赤血球のヘモグロビンに濃縮結合し,これを全身に循環させることによりこの難点を解決している.しかし,赤血球だって疲れるので,約120日の寿命で新しいものに変わる.
身体には,傷を受けても病気になっても勝手に治ろうとする力が備わっている.これを「自然治癒力」という.これは以下の3つの力に分けられる.
- 恒常性維持機能(色々な変化に対して身体を正常な状態に保つ力)
- 自己再生機能(傷を負っても,元に戻ろうとする力)
- 自己防衛機能(細菌やウィルスなどの外敵と戦う力)
ストレス
ストレスとは本来,生物が外的あるいは内的な刺激に適応していく反応とプロセスのことをいう.どんな時でも,生物の身体に何らかの反応を起こさせるものが「ストレッサー」であり,刺激の種類に関係なく,それにより生体に生じる反応が「ストレス」である.ストレッサーは大きく5つに分類できる.
- 物理的:温度,騒音,光,部屋の狭さ
- 化学的:排気ガス,酒,たばこ,アルコール
- 生物学的:細菌,カビ,花粉,ウィルス
- 心理学的:怒り,不安,不満,悲しみ
- 社会的:配偶者の死,転勤,失業,借金
普段の生活でストレスを感じている人は,男性で76.9%,女性で84.2%にものぼっている(平成14年国民栄養調査結果による).ストレスに対処することを「コーピング」というが,これには4つの方法がある.
- 直接対処する
- ストレスの状況の解釈を調節する
- ストレスの状態をコントロールする
- ストレスから一時的に逃げる
コーピング方略を実行するかどうかを規定する要因には以下のものがあれば,コーピングしやすい.この要因を高める方策がエンパワーメントである.
- ストレッサーに対する認知的評価
- 自己効力感
- 問題解決スキル
- 社会的スキル
- ソーシャル・サポートなどの役割
スピリチュアル・ケア
患者には病気に対する4つの出会いがある.
- 日常の出会い:軽度の感染症や外傷,保証,検査
- ドラマ的出会い:危機や悪い知らせ
- 変化の儀式的出会い:新たに慢性疾患の診断が下されるというような,突然の難題を抱えること
- 維持期の儀式的出会い:小児や出生前の診察や,慢性疾患の管理のための診察などの出会い
これらを視点を変えて生きる喜びを見出させることがスピリチュアル・ケアである.
笑い
「笑いを取る」というのは,人をどうにかして笑わそうとする行動である.原始的伝染とは相手の表情を知覚して,それを模倣することである.補足運動野として知られている左前頭葉の一部を刺激したら,必ず「笑い」だけを喚起することがあるという.人の脳には,相手の感情を読み取るミラーニューロンがある.これが働くと,つられ笑いが起きる.共感するのがミラーニューロンである.笑いの医学的効果として,以下のものがある.
- 副腎ホルモンが変化
- セロトニン神経の活性化
- 副交感神経優位
- 血糖値が下がる
- 脳内麻薬が出る
- 免疫能が高まる
補完・代替医療
近代西洋医学に対して,東洋の鍼・灸・漢方などの伝統医療,スイスや英国のハーブ医療は,通常の医療に置き換わる代替医療や,通常の医療を補完する医療とし,両者を合わせて補完・代替医療と呼ぶ.WHOの定義によれば,伝統医学は多様な文化的背景に根ざす風土固有の規範,信念や経験に基づく知識,技能,実践法が集約されたものであり,その体系が説明可能であるかどうかによらず,人々の健康維持とともに,身体的,精神的な病を予防,診断,改善あるいは治療する手段として利用されてきたものである.
漢方薬局では,処方箋調剤,メーカーの表示を読んで自己判断で一般の人が服用できるもの,薬局医薬品製造業の許可のある薬局が製造する薬局製剤の漢方薬の3種類を扱う.厚生労働省で,あんまマッサージなどの指圧師,鍼師,灸師と組み合わせて鍼灸マッサージ師は三療師といわれ,国家資格が認められていて無資格施術はできない.
補完・代替医療の種類は,次のように大きく9つに分けられる.
- 古くからある伝統的療法や民間療法
- 用手療法
- 心理療法
- 食事療法
- 健康食品療法
- 薬用・香料植物療法
- 薬理学的療法
- 免疫療法
- その他
富山医科薬科大学では,和漢薬による治療を日本ではじめて行ってきた.対象は以下の通りである.
- 原因の分からない病気や明らかな病態の見いだせないもの
- 病気の原因は分かっていても治療法の確立していないもの
- 副作用などで現代医学の治療法が受けにくいもの
- 心と身体の異常が絡み合っている病気
- 病変があちらこちらにわたり愁訴の多いもの
テキサス大学のMD Anderson Cancer CenterのIntegrative Medicine Programでは以下の7つのカテゴリのComplementary / Integrative Therapyが各臨床部門との連携の元に行われている.
- Alternative Medical System
- Herbal/Plant Biologic Therapies
- (Non-Plant) Biologic Therapies
- Nutrition & Special Diets
- Manipulative & Body-based Methods
- Energy Therapies
- Mind-Body Approaches
安全に高い質の医療を受ける
安全に医療を受けることは患者の権利である.患者の権利は,できてきた段階により4段階に分けられる.第1段階は,患者が最低限の人間扱いされるように求めたものである.第2段階では,かわいそうな患者として意識のない人,意思の表示ができない人にも権利があるというものに発達してきた.第3段階は,患者1人ずつの個人の尊厳を求めたものである.そして,第4段階は患者に対して医療消費者としての義務が加わったものである.
病院の種類
公的病院は,医療制度上の分類として,医療法で特定機能病院と地域医療支援病院の2つに定められている.特定機能病院とは厚生労働大臣の承認を受け高度な医療を提供し,高度な医療技術を開発し,医療研修を行う目的で設立された病院で,全国の79の大学病院および国立循環器病センターと国立がんセンターの計81施設が承認されている(2005年現在).地域医療支援病院とは,厚生労働省が定めた県に数個ずつある,地域密着型で高度な医療を行う病院である.
厚生労働省は,医療サービスを地域密着の一次医療圏,一般的な医療サービスを行う二次医療圏,高度な医療を行う三次医療圏という考え方をしている.三次医療圏とは,ほぼ県1つに該当し,二次医療圏は必要性に応じて各県で数個ある.地域医療支援病院は,二次医療圏に1個あるが強制ではないので,患者移動が首都圏と京阪奈に多い.
救急体制
都道府県ごとに作成される医療計画において,初期,第二次,第三次救急医療の体制も整備されている.初期救急とは入院や手術を伴わない医療であり,休日夜間急患センターや在宅当番医などによって行われる.第二次救急とは,入院や手術を要する症例に対する医療である.第三次救急とは,第二次救急まででは対応できない心筋梗塞や脳卒中,頭部損傷等,重篤な疾患や多発外傷に対する医療であり,救命救急センターや高度救命救急センターがこれにあたる.
外傷では,「ABCルール」を覚えておこう.A(airway)は気道確保と頸椎保護,B(breathing)は酸素投与と換気,C(circulation)は外出血のコントロールと循環の維持である.
セカンドオピニオン
ファーストオピニオンは重要で,主治医に自分の病名,進行度と治療方針の説明をしっかりと聞く.加えて患者本人が,自分で治療法や治療医を選ぶために,主治医とは別の医師の意見を聞くのがセカンドオピニオンである.がんの場合のセカンドオピニオンの医師の選択は,外科医,放射線治療医,化学療法専門の内科医,および大学病院やがんセンターなど専門的に特定の疾患の治療を行っているところであるなど,専門性のある病院や医師が最適である.
医学部の卒前のコア・カリキュラム
医師になるためには,教養教育,臨床前医学教育,臨床実習という6年間の医学教育課程がある.基本事項は,医師としての素養や資質と能力として必要な患者中心の医療の実践,安全への配慮,信頼される人間関係,自ら問題を発見する姿勢や研究への動機づけなどを含む課題探求・問題解決能力の育成などで,単なる知識の獲得よりも,今日の医学・医療の現場と,一般社会から強く求められている教育内容である.
一般的な医学教育
学習者が,学習によって,より望ましい状態に変化するために,一般目標(General Instruction Objective : GIO)と行動目標(Specific Behavioral Objectives : SBOs)を明示する.学習者がすべての行動目標ができることになれば,その総和として一般目標に到達できる.
現在の日本の医学教育で行われていない教育は,専門医師のものでは,家庭医医療,放射線治療,腫瘍内科,チーム医療,補完・代替医療,感染症対策,医療管理などである.
医療コミュニケーション
医師が「どうされました?」といったとき,患者は1番困っている症状を1つだけいう.それについて「もっと詳しく話して下さい」という質問が医師から出る.そうしたら患者としては,次の8つのことを話すようにする.
- 症状のある部位
- 症状の性質
- 症状の持続時間
- 経過
- 症状の起きる状況
- 症状を憎悪,寛解させる因子
- 症状に随伴する他の症状
- 症状に対する自分の対応
良い医師にかかりたい場合には,患者は次のことを注意して伝えるようにすると良い.
- 心理的・社会的情報
- 病気や医療に関する考え
- 検査や治療に関する希望
- とくに心配していること
- 無駄な言葉は使わない
- 大きな声で,明瞭に,ゆっくりと
また,医療面接の場で,患者として特に気をつけなければならないのは次の3つである.
- その病気について1番知りたいことを整理しておき,それを1番先に話す
- 知ったかぶりをしない
- 世間一般の常識を忘れないこと
病院の広告
以前は病院の広告は,医療法によって厳しく内容が規制され,医療機関の名称・所在地・診療科目くらいしか公表できなかった.しかし,2002年からはこれに加えて,医師の略歴,手術件数,分娩件数,平均在院日数,医療機能評価機構の認定結果,専門医資格,セカンドオピニオンの対応なども公表できるようになった.これは患者に医療情報を公開し,患者の選択の幅を広げ,最終的には医療の質が改善されることを目指しているのであろう.
日本の専門医制度の現状
医師は,麻酔科を除く診療科については法令上認められたすべての診療科名を標榜することができる.ある診療科の病気に対して専門的な知識や技能を持っている医師がいるときに,その医師を専門医などと呼んでいる.この専門医は国が認定しているわけではなく,各学会独自に認定の条件を決めている.この専門医が,事実上わが国で唯一の公的な医師の技術や知識レベルの専門性を示すものとなっている.わが国ではこれらの専門医資格を取ったからといって,医師の待遇が変わることは少ない.欧米では報酬増に繋がるのが一般的である.(以下私見)なので,病院の診療科名では最初に書いてあるものが得意な診療分野になっているので,病院を選ぶときに役立つ知識だと思う.
第三者による病院の評価
日本医療機能評価機構は1995年に設立され,医療機関の機能を第三者評価する機関である.病院から提出される書面に基づく審査と,評価調査者が実際に病院に出向いて行う訪問審査からなっている.
医療の質を直接的に評価するための指標を臨床評価指標という.わが国ではまだこの臨床評価指標は公的に確立していない.米国ではJCAHOが行っており,病院の格付けに使われている.
医療の質
もともと医療は患者の物語に基づいた医療(Narrative Based Medicine : NBM)だったが,西洋医療の発達で医師の経験からくる医療になった.それが見直され,証拠に基づいた医療(Evidenced Based Medicine: EBM)で目の前の患者を論理的に治していこうというようになった.医療制度においては証拠に基づいた医療管理(Evidenced Based Healthcare : EBH)が始められ,数字を元に,厚生労働省の政策も変わってきた.
医療の質はストラクチャー,プロセス,アウトカムで表されてきた.ストラクチャーは設備であったり,看護師の数などのシステムである.アウトカムは,生または死,病気,精神的心理的解剖学的構造や機能の喪失,行動や活動を行う能力が制限される障害,能力の欠如からハンディキャップを持った状態などである.しかし,病人にとっては,病気の経過と医療のプロセスがそのまま医療の質である.一般によい医療の質とは,アクセスがよく,利用しやすい,的確で現在の医療水準に照らして正しい,継続性,効果的,潜在的な効能,効率的でコストパフォーマンスが高い,タイミング良く対応が迅速,公平・公正,倫理観・価値観・規範・法制度に則すること,患者の視点・患者の満足,医療環境の安全性などがあげられている.
患者の権利
患者の権利については,世界医師会による患者の権利に関するリスボン宣言(1981年採択,1995年改訂)が有名である.この宣言の中では以下のような権利が挙げられている.
- 良質の医療を受ける権利
- 医療機関を選択できる権利
- 十分な説明を受け,自己決定できる権利
- 患者の意思に反する行為を行わない
- 自己の情報を得る権利
- 尊厳や自己の秘密を尊重される権利
- 保健教育を受ける権利
- 宗教的な援助を受ける権利
対して,患者の責務としては,以下のようなものがある.
- 自分の健康に関する情報を提供する義務
- 治療上のルールを守り,治療に参加する義務
- 医療費を支払う義務
EBMにおける医学的根拠の吟味
EBMにおける医学的根拠として症例対照研究やRCTがある.症例対照研究は,ある時点から遡る方法で研究するものをいい,後ろ向きの研究である.例えば,タバコが肺がんの原因になっているかどうかを調べる場合,ある時点で肺がんになっている人を集め,喫煙の経験を聞く.その他に,肺がんでない人も集めて,喫煙経験を聞き,肺がんの人との比較をする.
RCT(ランダム化比較対象試験)は現在のところ,新しい薬物の治験だけでなく,薬物治療,リハビリテーション,手術法,放射線治療などあらゆる治療法の評価の基準といわれている.ある治療法が科学的に有効であると判定されるには,次の条件が満たされる必要がある.
- 対象を選択する際のランダム化
- 二重盲検法
RCTのデータ解析でも注意すべき点が指摘されている.例えば,臨床試験を最後まで履行した患者だけを解析の対象にすることにすると,偏りは避けられない.副作用があって来院しなくなったかもしれないし,効かなかったので来なくなったのかもしれない.逆に効いたのでもう良いと思ってこなかったのかもしれない.
また,RCTの問題点もある.臨床試験で対象とした患者は,きちんとインフォームドコンセントを得ることができた人たちであり,ある意味で自分の病気に対する意識の高い人たちである.また,難治例は医者があらかじめ選ばないということもあるので,一般に経過が良くなる可能性が高い.大きな問題は,このような臨床試験での対象患者には,高齢者・小児・妊婦・合併症のあるものなどは含まれないことである.しかし,実際にはこのような患者が多いのが現実である.
医療費の現状
高齢者における終末期医療費は平均で総医療費の20%を占めており,85~100歳では約40%にも達している.死亡者の終末期1年間の医療費は,生存者に比べて全年齢平均で27.9倍,70歳以上でも5.3倍かかっている.
国際的に医療費を比較した場合,日本の1人当たりの医療費は世界第7位,国民所得との比率では世界第19位となっている.日本は他の国と比較して,社会保障のレベルは低い.日本の社会保障額は3.4%,公共事業費は6.0%である.しかも,公共事業が社会保障より多いのは日本だけである.イギリスでは8.9倍,ドイツでは3.7倍,フランス2.2倍,アメリカでさえ2.5倍と社会保障が公共事業より優先されている.国民が支払った税金と社会保険料が社会保障給付費としてどれだけ国民に還元されているだろうか.日本は41.6%で,スウェーデン75.6%,アメリカでさえ56.2%であり,他の国に比べ,以下に低い還元率であるかが分かる.
社会保障費の割合は医療・年金・福祉が1965年は,6:3:1であったものが,次第に福祉の割合が増えていった.高齢化社会を前に2000年からは介護保険を導入し,3:3:4に分配し直して,福祉に金を掛けようとしている.
ヘルスリテラシー
ヘルスリテラシーとはWHOによれば,「認識面でのスキルや,社会生活上のスキルを意味し,これにより健康増進や維持に必要な情報にアクセスし,理解し,利用していくための,個人的な意欲や能力を表すものである」.
死に方
社会学的死には,時代によって7つの死があり得る.
- 定年になり社会的な死を迎えると粗大ごみと揶揄され,
- 寝たきりは身体的不自由死
- 認知症は精神的不自由死と考えられるが,
- 最後の息が止ったとき,
- 聴診器で心臓の音が聞こえなくなったとき,
- 心電図で最後の心筋細胞の動きがなくなったとき,
- さらに,冷たくなってしまったとき,
と考えることができる.歴史的には,縄文時代は冷たくなってしまった時を死亡したとしたのであろう.
医学的死の定義
医学的死には,1つの臓器死,心臓死,全臓器死,細胞死,骨・歯死などの種類がある.人工透析をすれば腎臓は10数年生き残るので,全臓器死になるまでに時間がかかる.心臓死を持って法律的死亡というが,葬式中の爪と髭が伸びることをみれば,全細胞の死までは24~48時間かかる.一方で,がん細胞は宿主が死んでも生き残ることができ,ヘラという女性の子宮がんの細胞は研究のために増殖を繰返し,本人はなくなっても死なないで100年以上生き残っている.
死亡の認定が定義により幅があると法律上困るので,日本では呼吸の停止,心臓の停止,瞳孔散大の3つがある心臓死を持って死亡と決めている.脳死には大脳・小脳・脳幹・脊髄まであらゆる中枢神経系の不可逆的な機能停止をした全中枢神経死と,大脳・小脳・脳幹を含む全脳髄の不可逆的な機能停止の全脳死,および脳幹だけの不可逆的な機能停止の脳幹死がある.
死なせ方
死なせ方には,延命治療を手控えるWithholdと,始めた延命治療を途中でやめるWithdrawがある.しかしながら,治療の決定には医学的無利益という考え方を持っておくべきである.患者の病状が末期や重篤で,どの治療目標の達成も困難,または治療の結果が患者の苦痛を増すだけと判断される状況をいう.これには,心臓破裂に心臓マッサージするような質的無益と,高い確率(95.5%以上)で死亡するときに積極的治療をするような量的無利益の2種類があり,これには南カリフォルニアではガイドラインがある.
自分で決める死に方
安楽死とは,死期の近い患者を身体的・精神的苦痛から救うために死に至らしめることをいう.積極的安楽死には,法律上問題があり,1995年の東海大病院の事例で,以下の4つの条件が明らかになった.
- 耐え難い肉体的苦痛がある.
- 死が避けられず,その死期が迫っている.
- 肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし,他に代替手段がない.
- 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示がある.
尊厳死とは,回復の見込みのない不治の病気で死期が迫ったとき,患者本人が人間的な尊厳を保つため自活的に選ぶ死である.蘇生処置を施さないことが尊厳死ではないかと,間違って受け取られている場合が多いが,尊厳死にとは,人間としての尊厳を保って死に至ることである.人間としてケアされて死ねないなら,尊厳死ではない.
ホスピス,緩和ケア
ホスピス(hospice)とは,Hospiyiumが語源で元々中世ヨーロッパで巡礼や旅行者,病人を休ませる宿泊施設を指す.一般にホスピスでは,患者を中心に医療提供者,家族,友人,介護者などがドーナツ状にケアを行う学際的なチームアプローチの形を取り,患者の4つのニーズ(身体的,社会的,情緒的,精神的)を満たすことを目的としている.
ホーム > 教育