- 投稿: 2012年01月19日 23:27
- 更新: 2012年01月19日 23:27
- 教育
今学期受講している4科目のうち,「認知科学の展開(’08)」を聴講し終えたので,簡単なまとめをしておく.難しかった・・・.
認知科学
21世紀最大の課題の1つである,私たちの「心」をめぐる議論は,新たな局面を迎えている.その取り組みを包括して,認知科学と呼ぶ.20世紀中頃からの情報理論,数理言語学,ならびにコンピュータの実現,さらには脳神経学などの発展とともに,現在の認知科学がある.
デカルトのパラダイム
デカルトの立場を一言で示すと「心身二元論」者である.彼によれば,人間は「心と体をもつ存在である」と規定された.第一原理が「我思う,ゆえに我在り(私は考える,それゆえに,私は存在する)」(ego cogito, ergo sum (I think, therefore I am))である.「心とは思惟するもの」という観点である.彼の思惟の定義をみると,単に考えることにとどまらず,「知・情・意」と包括される我々の抱く「意識」内容全般を含むものである.一方,人の身体は,人以外のあらゆる生き物を含み,「機械」である,と規定された.そして,この機械の作動原理を「反射」に求めた.
さらにデカルトは,心と身体を区分する際の指標として,心に備わっていて身体にはないものとして,「言葉」と「自由意志」をあげる.つまり,心あるものには,言葉が自覚的に操れるが,心のない身体は,言葉を自覚的に操れないということになる.
ホッブスのパラダイム
ホッブス自身も心の中心に「推理すること」をおく.しかし,デカルトとの決定的な違いは,心を,身体と同様の物質,つまり機械とみなす「一元論」者である点である.したがって,彼の主張は,「心は計算機である」ということに収束する.しかも,その計算の仕組みを,アリストテレスの形式論理学(三段論法)が支えていることを主張する.この成果の一端が「現代記号論理学」,中でも,「命題論理学」と「述語論理学」の体系化であるといってよいだろう.
考える力と記憶・知識
「知識偏重,記憶偏重の試験をやめた方が良い」「本当の意味での考える力を育てる教育をすべきである」.このような意見に反対する人はいないであろう.では,なぜいつまでもこうした思いは続いているのであろうか.なぜ,誰もが嫌がる知識偏重型の試験を止めて,本当の考える力を測る試験を行わないのであろうか.この疑問に答えることは大変に難しいが,極論すれば,この疑問への答えは,次のどちらかでしかない.
- 人類は昔から本当の知力・考える力を測る試験問題を作りたいと思っているが,まだ作ることができていない.人間の知力や考える力についてもう少し科学的に解明されたならば,そのような試験を作ることができる.
- 人間の知力・考える力とは,本来,知識や記憶に依存した能力であり,知識や記憶とは無関係に本当の知力・考える力があると思うのは幻想に過ぎず,間違った考え方である.つまり,そのような試験問題は本来作ることができない.
結局,このどちらの答えが正しいかは,人間の知力・考える力というものがどのようなものであるのかについて,正しくそして詳細に解明されない限り,答えることができない.残念ながら,人類は未だに,人間の知の働きの特徴と知の仕組みを明らかにしてはいない.
考える力の経験(知識)依存性
我々の心的機能に,記憶や知識と無関係な本当の考える力と呼ばれる機能があるとしよう.これらの機能をコンピュータ内部での存在に喩えていうとすれば,記憶や知識に対応するものとしてデータベースとでもいうべき存在が考えられ,本当の考える力に対応するものとしてデータの依存しない処理手順,あるいは処理アルゴリズムとでも称すべきものが考えられることになる.もしも我々人間の思考能力が処理手順のみによって支えられている能力であるならば,物理学的に同じ思考を要求する問題の間で解答に違いが出たり,難しさに違いが出たりはしないはずである.また,論理学的に同じ思考を要求する問題の間で同じ回答が出てもよいはずである.しかしながら,人間は,物理学的に同質の問題や論理学的に同質の問題に対して,異なる答えを出し,異なる難易度を感じる.
なぜそうなのか?それは,自分の記憶の中に,その問題場面に似た経験や知識がある場合には易しく,そうでない場合には難しくなる,ということであろう.つまり,人間の考える力は,経験や記憶や知識などと無関係であるとはいえないということである.このように考えると,我々人間の考える力とは,過去の経験の記憶を使って,今目の前にある問題に対して,妥当な答え・予測を導き出そうとする力である,といえそうである.
類推
類推とは,新しい問題を解こうとする際に,過去の経験や既に得ている知識の中から,つまり記憶の中から,その問題に本質的に類似しているものを引き出して使うタイプの推論のことをいう.「直感的に感じる」ということ自体が,類推による無意識的な推論処理が我々の心の中で自動的に行われた結果の表れである,ということができるだろう.
知識の表象
我々の脳は,画像全体を見たとしても,その画像全体の表象を作るのではなくて,部分部分に分けて表象を作る.例えば,三角形があったという表象,四角形があったという表象,星形があったという表象に分けて作り,それぞれを独立的に保持する.だから,それら3つの表象の間で位置の取り違えのある記憶が生じる.
我々の脳は,視覚画像を見た場合でも,最終的にはその解釈結果を概念的に,さらにいえば,言語に変換した形で情報を保持する.だから,我々は三角形の図形があったとか,灰色の図形があった,などの記憶についての自覚が生じる.
感度
全ての感覚系の基本的な性能は,閾値という心理物理学的測定値に基づく感度によって記述できる.感度と閾値は逆数関係にあり,一般に閾値が低いと感度は高い.感度は絶対閾による絶対感度と相対閾による相対感度に大きく分けられる.絶対閾はある刺激がない状態から確実にその刺激を区別できる最小量を決定することである.
色彩
桿体系と錐体系では感度と画質の鮮明さ以外にも大きな違いがある.人間は可視光の範囲全体で150程度の色相を区別することができ,色の明るさや鮮やかさを加えれば,区別できる色数は700万以上程度あり,そのうち1万弱には色名がある.赤,緑,青の3原色の構造が網膜上にも存在し,桿体と錐体という2つの光受容器のうち,錐体はさらに3つの型に区分される.つまり比較的短い波長に感受性が高いS錐体,中程度の波長に対するM錐体,長波長のL錐体であり,3つの受容器の活動比率が脳に伝えられ色覚が生起すると考える.
視聴覚情報の相補性
我々は音波の全周波数域ではなく,20~20kHzの範囲のみを聞くことができる.さらに,この範囲内の全ての音を同程度の鋭敏さで検知できるわけではなく,およそ中間の周波数1000~1500Hzの音に対して最も感度がよい.音が両耳で同じに聞こえるのはまれで,左右どちらかから来る音波はその音源と同側の耳でより先に強く聞こえる.この大きさと到達時間が若干異なる2つの情報を利用して,その音がどこから来たのかを知ることが可能である.この処理は両目を使う視覚の奥行き知覚と似ているが,視覚ほどの制度はない.しかし,音による定位は同時に360度全方位の検出が可能である.
味覚
味覚は舌の味蕾とよばれる味受容器による.甘さは舌の先,しょっぱさも舌の前部だがやや両側部で,酸っぱいものは中部の側面で,苦いものは舌の根本部分で検知される.4つの基本的な味に対する絶対感度は比較的高いが,各々の味の強度に対する相対感度である識別力はやや低い.
知覚的体制化
知覚システムが最初に行う重要な働きは,背景からさまざまな対象を区別することである.知覚システムには,見たり聞いたりするものを意味のあるものにまとめる働きがあり,これを知覚の体制化(perceptual organization)という.
顔認知のモデル
顔の認知には,物体の認知の延長として考えられない側面がいくつかある.例えば,どの人も形態上は目や口,鼻の相対的位置が同じであるが,それにもかかわらず,我々はそれらの微妙な違いを区別して人の顔を判別する.その人が誰であるかを認知するために以下の4つの過程が仮定されている.
- 我々の網膜上に写った像から,その人の顔の構造的符号化がなされる(構造的符号化過程)
- その符号化された顔が,顔認知ユニット内の過去の表象と照合され,既知性の判断がなされる(顔認知ユニットの活性化)
- その人がどんな人かという意味情報にアクセスして個人を同定する(個人同定ノードへのアクセス)
- その人の名前を生成する(名前生成)
注意の種類
特定の空間方向に向ける注意のことを空間的注意(spatial attention)という.何かある特徴や部分にのみ注意を傾けて情報処理を集中的に行う注意を集中的注意(focused attention)という.洗濯するという機能が強調される場合には,選択的注意(selective attention)という場合もある.集中的注意や選択的注意とは正反対の状況であり,複数の事象に同時に注意を分配している状況を分割的注意(divided attention)という.注意の喚起が強制的に促される場合を受動的注意,何かに自ら積極的に注意を向ける場合を能動的注意として区別することもある.また,注意対象を凝視してみるように行動に表われる注意(overt attention)と,視線とは別の空間位置に注意を向ける隠された注意(covert attention)を区別することもある.その他,何かが起こるのを神経をとがらせてじっと待っている注意のことを,ビジランス(vigilance)という.
発達の段階説
ピアジェは認知発達を以下のように4つの段階で捉えている.
- 感覚-運動期(乳幼児期):赤ん坊は主に感覚や動きによって周囲を探索し,知識を得る.
- 前操作期(就学前の幼児期):ここでいう操作とは,論理的思考とと言い換えても良い.具体的な物の見えにとらわれ,動くものは生きているなどのアニミズム的な思考,非論理的な思考もみられる.
- 具体的操作期(学童期):具体的な事物や手続きによって論理的思考が可能となる.
- 形式的操作期(思春期以降):具体的な内容から離れ,抽象的な記号操作や推論が可能となる.
ピアジェの考えは,
- 段階ごとに思考の質が異なる
- 生物学的な基礎を持ち,どのような文化にある人でも,同じような順序で発達が進む
- 発達的変化は全般的,領域一般的である
といった特徴を持つ.
語彙獲得に関する仮説
言語学者であるチョムスキーは,文法能力は環境要因,例えば親の言語活動を模倣することによっては学べないとした.大人は文法的に正しい言語情報しか提供せず,誤った文法を提示して「これは間違いである」と示すことをしない.にもかかわらず,子どもはやがて文法的な正誤を正確に行うことができるようになる.このことから,チョムスキーは子どもには言語学習装置が生得的に備わっていると考えた.
マークマンは,子どもが迷うことなくラベルを特定の事物や生物に付与できるのは,子どもが生得的に以下のような仮説を持っているからだと考えた.これらの仮説を言語的制約という.
- 事物全体仮説:ラベルは対象となる事物全体を指す.
- 分類カテゴリー仮説:ラベルはその事物のカテゴリーメンバーに対しても用いられる.
- 相互排他性仮説:1つの対象カテゴリーは1つだけラベルを持つ.
推論
論理学では,前提となる知識命題を正しいとするならば,必ず正しい結論を導き出す推論を演繹と呼ぶ.演繹に対して,個別的な事象の観察から一般的な結論を導き出す帰納や,未知の対象について類似した既知の対象の知識から推測する類推を区別する.心理学的知見からいえば,我々は演繹における形式性の真偽判断は大変苦手であり,推論の形式性に関する真偽判断よりも,知識命題の内容に関する自分自身の認識に基づいた真偽判断を行うことが多い.
命題の正しさ
帰納によって導き出された命題は常に正しさの度合いが問題となるため,特に人や社会現象など,因果関係が複雑で不確実な対象を扱う実証科学では推測統計学の考え方を使う.推測統計学とは,実際に観測されたデータの散らばりが理論的な分布に従うと仮定し,実験などで観察されたデータがランダムに起こる可能性が非常に低い場合に,その観測データが誤差ではなく,例えば薬物投与などの要因による影響であると考える方法である.
確証バイアス
帰納的推論過程では,帰納によっていったん仮説を作った後では,その命題を支持するデータだけを見つけようとする傾向を持つことが知られている.これは確証バイアスと呼ばれている.
アルゴリズムとヒューリスティックス
目標に対してステップを厳密に組み立て,そのステップを辿れば必ず目標に行き着く.このような手続きステップの定義をアルゴリズム(Algorithm)と呼ぶ.目標への到達は保証されてはいないが,うまくいけば,アルゴリズム的解決よりも遥かに短時間で解決できる方法をヒューリスティックス(Heuristics)という.ヒューリスティックスは,それなりに定評のある問題解決法とされているが,他の帰納的知識と本質的な違いはない.
類推
類推とは,未知のことがら(ターゲット)が持つ何らかの特徴が既知のことがら(ベースまたはソース)の特徴と類似している場合,ベースが持つその他の特徴をターゲットに適用するものである.
人間の言語処理
人間は,知らない言語の音声音響から,言語としての理解はなさない.連続した入力信号を離散的な言語単位に区切る処理は,分節化(Segmentation)と呼ばれており,人間の言語処理の特徴の1つである.分節化という特徴とともに,分節化された単位をいくつか集めて,より大きな単位に群化(Grouping)するという特徴もある.
心内辞書
言語入力を単語の列として認知できるためには,それ以前に単語が聞き手の脳内に習得されていなければならない.聞き手の記憶に蓄えられている単語の情報の集合は,心内辞書(Mental Lexicon)と呼ばれている.
単語優位効果
単語優位効果とは,見づらい条件下で提示された1文字は,単独で提示されたり,単語ではない文字列の中に提示されたりする場合よりも,単語の中の1文字として提示された場合の方が,知覚されやすいという現象をいう.単語優位効果は,心理学の中で古くから知られている文脈効果の一種といえる.
言語行為論
オースティンは,発話には情報を伝達する陳述と,発話すること自体が行為となるような言語行為(speech act)とがあることを指摘した.例えば,約束,要求,宣誓,命名,脅かしなどの発話は,情報内容を伝えるだけでなく,聞き手に特定の行為を行ったかのような効果をもたらす.このような発話を言語行為とよぶ.
言語行為には以下の3つの種類があるとされる.
- 話し手が発話するという行為そのものであり,発話行為(locutionary act)とよばれる
- 約束や要求など話し手が聞き手に伝えようとする意図であり,発話内行為(illocutionary act)とよばれる
- 発話が聞き手の環状や講堂に及ぼす影響であり,発話媒介行為(prelocutionary act)とよばれる
適切性条件
サールは,言語行為が成立するのに必要な条件を,言語的な内容と意図の側面に分け,適切性条件としてまとめた.適切性条件は以下の4つの条件からなる.
- 命題内容条件:発話の命題内容が満たすべき条件
- 準備条件:発話者および聞き手,場面,状況設定に関する条件
- 誠実性条件:発話者の意図に関する条件
- 本質条件:発話によって生じる行為の遂行業務に関する条件
会話の公準
グライスは発話における「字義通りの意味」と「含意」とを区別した.そして,字義通りの意味が円滑に伝達されるためには,話者間で以下の4つの約束事が守られていなければならないとした.この約束事を会話の公準という.
- 量の公準:必要な情報は全て提供する,必要以上の情報の提供は避ける.
- 質の公準:偽と考えられること,十分な根拠を欠くことはいわない.
- 関係の公準:無関係なことはいわない.
- 様態の公準:わかりにくい表現,曖昧な表現は避ける,できるだけ簡潔に表現する,秩序立った表現をする.
公準が守られている限り,聞き手は発話を字義的に解釈する.
音楽として聞こえる音列
ある音列はメロディとして聞こえるのに,別な音列は単なる音の羅列としてしか聞こえない.なにがその違いを決めているのであろうか.音列が音楽として聞こえるためには,次の2種類の知覚的体制化の処理が脳内でうまくなされる必要があるといえる.拍節的体制化と調性的体制化とよばれる2種類の処理である.
アージ理論
戸田は感情を,進化が作り上げた生き延び用ソフトウェアであると位置づけた上で,感情と行動を決定づけるスキーマとして多くの種類のアージ(urge)を想定した.金子によると,いじめの感情的特徴は,加害者側においては,妬み型の怒りアージ,誇示アージとして,また被害者側においては,当惑,悲嘆,秘匿,恥,追随などで特徴付けられるという.そして,いじめという現象が持つ諸特徴:非排除性,多層構造,非可視性,役割の入れ替わりが,順位性の中での順位の変化という観点からよく説明できるという.
認知科学と認知工学
使いやすいモノの設計学として登場した認知工学は,魅力あるモノの設計学へと進展を遂げている.ここには,感情科学と認知工学との興味深い強調的な関係がある.美しく楽しいモノについて科学し,工学するには,人間の感情についての精密な理論を欠かすことができない.
7つの設計原則
認知工学の古典的名著といってよいThe Psychology of Everyday Thingsにおいて,ノーマンは使いやすいモノのデザインのための7つの原則を提案している.
- 世界の中の知識と頭の中の知識の両方を利用する
- 作業の構造を単純化する
- 対象を目に見えるようにして,実行と評価の間に橋をかける
- 正しい対応付けをする
- 自然の制約や,人工的な制約の力を活用する
- エラーに備えたデザインをする
- 以上のすべてがうまくいかないときには,標準化する
魅力的なモノのための認知工学
ノーマンのEmotional Designでは,認知科学の知見に基づいて,次のような重要な提案が行われている.
Attractive things work better. (魅力的なモノは,良く動作する.)
注射エラー
川村によれば,注射エラーの背景は,次のような8種の要因にまとめることができるという.
- 情報伝達の混乱
- エラーを誘発するモノのデザイン
- 患者誤認を誘発する患者の類似性と行為の同時進行
- 注射準備,実施業務の途中中断
- 不正確な準備作業動作と不明確な作業区分,狭溢な作業空間
- タイムプレッシャー
- 病態と薬剤の一元的理解の不足
- 新卒者の臨床知識と技術の不足
- Newer: 平成23年度第2学期単位認定試験
- Older: UC闘病記~アサコールによる寛解維持期5