- 投稿: 2012年06月25日 00:15
- 更新: 2012年06月25日 00:15
- 教育
今学期受講している5科目のうち,「授業研究と学習過程(’10)」を聴講し終えたので,簡単なまとめをしておく.教育者としての基本的素養だった.
知識社会における学習と学校教育
国際的動向の中で,TIMSSやPISAなどの国際学力調査や国内での教育課程実態調査が行われてきている.日本ではこれらのテストで測定される,習得された知識や技能としての学力が低下している.また「学びからの逃走」といわれるように,学習に対する意欲も低下している.
この学習意欲や学力の低下,特に学力格差に対応し,全ての子どもたちが公教育である学校での授業に能動的に参加し,どの子もこれからの時代に必要なキー・コンピテンシーを習得できる質の授業を行うことが求められている.
OECDは知識基盤社会に求められる3つのキー・コンピテンシーとして,知識や技術だけではなく,様々な心理的・社会的なリソースを活用し,特定の文脈の中で複雑な課題に対応できる力の育成を国際的に求めてきている.
- 社会・文化的,技術的ツールを相互作用的に活用する能力
- 多様な集団における人間関係形成能力
- 自律的に行動する能力
OECDが2000年に実施した,15歳生徒の学校への取り組みとしての「参加度」と「帰属意識」の調査結果によると,日本,韓国,中国という東アジアの子どもたちが共通して,物理的に学校には出席しているが,学級や学校への帰属意識は他の国に比べて低い状況にあることがわかる.東アジア型の教育とも呼ばれる一斉型の授業形式が,現在の子どもたちの要求やこれからの知識社会の学習にあっているのかを考えていくことが必要になる.
知識社会の学習環境デザイン
学習科学の研究者であるSawyerは,20世紀の産業主義社会に対応する伝統的な学校教育のあり方を「教授主義」と呼び,それと対比して21世紀の知識社会の学習のあり方を示している.教授主義では「知識は正解に関する事実と問題を解決する手順から構成されている.学校教育の目的はこれらの事実と手順を生徒たちの頭に入れることである.教師はこれらの事実と手順を知っており,それを生徒に伝えることが仕事である.比較的単純な事実と手順から始まり,次第により複雑なものが学ばれる.この単純さと複雑さの基準や定義,教材の適切な配列は,教師や教科書の著者や数学者,科学者,歴史学者などの専門家によって決められる.学校教育の成功とは,生徒たちが多くの事実と手順を身につけていることであり,それはテストによって測定される」という見方で構成されてきたという.これに対し,21世紀の学習科学では次の点がポイントになる.
- より深い概念的な理解を大事にする.
- 指導法だけでなく,学習に焦点をあてる.
- 学習環境を創る.
- 学習者の既有知識に基づく環境.
- 省察を促す.
「学習者中心」とは,生徒たちが教室に持ち込む知識や技能,態度などに関心を払い,授業の場で生徒が思考し学習するのに適した学習課題やその課題の提示順序,生徒が好む学習活動や得意とする活動などに配慮して学習活動を組織していくことである.
「知識中心」とは,断片的な知識が問題の表層的な面に注目した浅い理解にとどまるのに対し,根本的な原理や中核となる概念間の関連付けに注目し,学習方略なども含めて教えていくことを目的とすることである.
「評価中心」は,指導する前の事前の診断や最後の総括的な評価だけではなく,学習の過程において形成的に評価する機会を準備することで,教師と生徒の両者が,学習の向上を自分の目で捉えられる工夫をすることである.
「コミュニティ中心」は,学校や教室の中に,ともに学び合う仲間意識や規範が成立するように,互いの知識を説明や質問を介して共有したり,相互にヒントを与え協力して問題解決に取り組むなどの活動を授業の中に積極的に入れていくことである.
深い理解を促すには,断片的な知識ではなく,すでに持っている知識と学んでいる知識間がきちんと統合されていく授業が求められている.この知識統合のためには,
- 学習者が現在持っている知識や考えを引き出す,
- 新しい知識や考えが与えられる,
- 自分の知識や考えを,規準を持って自分で評価する,
- 自分の持っている知識や考えを分類したり整理する
という活動の過程が,カリキュラム,単元,授業に組み込まれていることが必要となる.
教師の授業に対する信念と行動
教師は,自らの被教育経験や教職経験を通して学習に対する信念を暗黙のうちに形成してきている.信念は「~すべき,~するとよい」というように知識や行動を方向付ける心理学的に価値づけられた認識である.必ずしも常に一貫しているわけではなく,あることについて何がよい,正しいと思っているかの認識である.
子どもの自立性を支援すべきと考えている信念が強い教師と弱い教師では,算数授業で自立性支援高群の教師は発展的な開かれた質問が多く,児童同士間でのやり取りが高いのに対し,低群の教師は教師が主導権を握ることが多く,教師が質問し子どもが答えるパタンが多いことが具体的に示されている.
課題への認知的興味・意欲と深い関与
新奇な情報や複雑な情報が多すぎず複雑すぎず,単調すぎない,ほどよい複雑さと適切な量と質の情報に対して,学習者は興味を持つ.一般的には,既有知識と情報の間にずれや葛藤,矛盾が生じたときに意外性や驚きとしての不均衡が生じ,その曖昧さ,不確実さ,複雑さの不均衡を解消しようとして新たな情報を探索するようになる.興味にはその場で生じる「状況的な興味」と,分野や内容には私は興味がある,得意であるということから継続的にもたらされる「個人的興味」がある.
学校での活動や授業での学習に興味や意欲を持ち,集中し没頭する機会や時間を長く保証することが学業成果や学校での行動に影響を与えることが示されてきている.参加しているという「行動的関与」,教師や仲間,課題と自分が繋がっているという感覚や好き嫌いのような「感情的な関与」,そして複雑な考え方を理解し,難しい技能を取得しようと注意を払い熟慮しようとする「認知的関与」の強さと持続期間が,学習行動を変え,教育の質に影響を及ぼす.授業の導入において興味や意欲を歓喜すればよいということではなく,授業や単元において深く関与し続ける課題や過程の質が問われているのである.
学習者が形成する学習観と学習方略
学習動機には,功利的に捉えるか,内容自体に関心があるのかという次元があり,後者の内容関与的動機には充実思考,訓練思考,実用思考といった内容が含まれ相互に関連性があることが示されている.
学習効果を高めるために意図的にとられる行動を,心理学では「学習方略」と呼ぶ.学習方略には,大きく分けるならば,ある情報をより深く認知処理するために学習の対象への関わりのために使用する方略,自己の理解過程を対象にしてモニタリングや評価修正のために使用する方略,また時間や環境,他者など自分を取り巻く環境の側への関わりに使用する方略に分けることができる.
知識の学習
知識は,宣言的知識と手続き的知識の2種類に大別することができる.宣言的知識とは,例えば「地球は丸い」「平行四辺形とは向かい合う二辺が各々平行な四角形である」というように,言語で事実が記述でき,その各々の正誤が判断できる知識である.手続き的知識は「分数の割り算のやり方」「跳び箱の跳び方」など,「もし~ならば~せよ」というようなIf-thenルールと呼ばれる形で手順を記述できるが,必ずしも全て言語化できるとは限らず,長期的反復練習することで習得できる場合が多い知識である.前者は「わかる」知識,後者は「できる」知識といえる.
断片的内容や手順の記憶だけではなく,原理や概念枠組みを深く理解することが,知識をいつでもどこでも使えるよう活性化し,転移を促す.一方,一夜漬けではすぐに忘れたり,利用できなくなったりすることが多い.学んだつもりの知識が,学習法が不適切であったために失われることは,知識の剥落現象と呼ばれる.カリキュラムをこなして教えたつもりでも,生徒側が知識をネットワーク化して構成し定着していなければ,生きた知識となって働かない.したがって,生徒が知識を自ら活用して問題解決や原理を発見する学習活動などが求められるのである.精選された内容を深く関連付けて理解していく活動が重要である.
問題解決の過程
問題解決とは,解き方のわからない問題を解く過程を指す.心理学では一般的に,「生活体が,何らかの目標を有しているが,その目標に到達しようとする試みが直接的にはうまくいかないという問題場面において,目標に到達するための手段・方法を見出すこと」を問題解決という.
よく定義された問題の解決方法には,アルゴリズムとヒューリスティックスがある.アルゴリズムとは,問題解決のための一連の規則的な手続きのことである.ヒューリスティックスとは,ある問題を解決する際に,必ず解決できるとは限らないが,うまくいけば解決に要する時間や手続きを減少させることができるような方法である.
問題解決の過程について,ブランスフォードらはIDEALという考え方を示している.ブランスフォードらの狙いは,専門家が持つような問題解決への分析的な視点を一般の人ももてるようにし,自らの問題解決過程を客観的に把握しコントロールする力を付けさせることにあった.
- Identifying problems
- Defining problems
- Exploring alternative approaches
- Acting on a plan
- Looking at the effects and learn
教室
「教室」という言葉は,単なる物理的空間以上の意味を込めて用いられる.1つには,教科内容を学ぶ知的な場である.2つには,複数の人間が社会的関係を形成し維持する場である.3つには,制度的な場である.
学力としてのリテラシー
「3R’s 読み書き算術」と言われるように,学校は子供たちにリテラシーを教育する機能を担っている.ユネスコの学習権利宣言によれば「学習権とは,読み書きの権利であり,問い続け,深く考える権利であり,想像し,創造する権利であり,自分自身の世界を読み取り,歴史をつづる権利であり,あらゆる教育の手立てを得る権利であり,個人的・集団的力量を発達させる権利である」と述べられている.そして「リテラシーとは読み書き能力だけではなく,大人になって経済生活に十全に参加するための職業的,技術的な知識を含む概念」と定義されている.OECDのPISAでは,数学的リテラシーという言葉を「数学が世界で果たす役割を見つけ,理解し,現在および将来の個人の生活,職業生活,友人や家族や親族との社会生活,建設的で関心を持った思慮深い市民としての生活において,確実な数学的根拠に基づき判断を行い,数学に携わる能力」と定義している.
思考を促す教室コミュニケーション
子供の思考を促すという視点から教室談話を見ると,いくつかの段階に分けることができる.第一は,教師が発問し,一人の生徒が答える,その回答の正否に焦点があてられて,教師が説明や質問をし,授業を進めるというT-C連鎖によって形成される談話である.第二は,指名した生徒の答えの背景にある思考や解き方を教師が吟味して話すようなT-C談話である.第三は,生徒たちが発言を通して,できるだけ多様な考え方を相互に語り合い,教師はそれらを整理し,生徒が吟味できるよう組織化していく談話である.教師の支援には,子供たちの関係をつなぎ参加を促す「社会的な足場かけ」と,特定の教科内容,教材理解へとつなぐ「分析的な足場かけ」がある.
協働学習の機能と過程
「3人よれば文殊の智恵」という言葉があるように,複数の人で考えることの重要性は言われてきている.また競い合うより助け合うことが公教育としての学校教育では大事にされている.
複数の人間が相互作用を通して学び合うことを「協働学習」という.協働は,作業の均一な配分とか成員の均質性を前提とするのではなく,成員間の異質性,活動の多様性を前提とし,異質な他社との相互作用によって成立する活動のありようを指すのである.
協働学習の利点を心理的過程に即して考えるならば,第一には,説明や質問を行うことで自分の不明確な点が明らかになり,より深く理解できるようになる理解深化という点である.第二には,集団全体としてより豊かな知識ベースを持つことができるので,限られた時間内で思考が節約でき,アクセス可能,利用可能な知識が増える点である.第三には,相手の反応などの社会的手がかりによって,自己の認知過程や思考のモニタリングができる点である.そして第四には,やりとりをすることで参加への動機が高められ,同じ意見や活動を共有することによって,グループ意識が高まることなどがあげられる.
人間は,経験をもとに,経験を重ねながら,どのような状況でも用いることができる抽象的で一般化された知識であるスキーマを形成していく.多様な他者との相互作用を前提とした協働学習においては,複数の人間のスキーマに接することで,個人のスキーマが量的に増加するというだけではなく,経験の多様性に基づいて質的にも多様なスキーマの形成が期待できる.
授業における学習評価の目的
人間の評価活動には「価値判断としての評価」と「問題解決としての評価」の2つがあり,教師は「問題解決しての評価」を日常的に行っている.
学習評価をその実施時期や機能という点から分類すると,「診断的評価」「形成的評価」「総括的評価」の3つに分けることができる.これら3つの評価のうち,教育実践において重要だとされているのは,形成的評価である.OECDでは,世界各国における実践事例をもとに,形成的評価の6つの要素を提起している.
- 相互作用を促進する教室文化の確立とアセスメントツールの使用
- 学習ゴールの確立とそれらのゴールに向けたここの生徒の学力進歩の追跡
- 多様な生徒のニーズを満たす様々な指導方法の活用
- 生徒の理解を把握・予想することへの様々なアプローチの使用
- 生徒の学力達成状況へのフィードバックと確認されたニーズに応じて授業を合わせること
- 学習プロセスへの生徒の積極的な関与
これらの6項目からは,形成的評価のあり方として,学習者の多様な学びの姿をとらえ,個に応じた対応を進めていくこと,学習者も形成的評価のプロセスに参加すること,教師と学習者が評価プロセスを共有することを通して,反省的な学習の文化,評価の文化を教室に構築することが,示唆される.
形成的評価に基づく教育実践の改善に向けては,フィードバック機能がより重視される.指導者へのフィードバックでは,評価情報を,以降の授業やカリキュラム改善に生かすことが目指される.学習者へのフィードバックは,評価情報を学習者が自らの学習の改善に役立てることができるように示すことが目指される.学習者へのフィードバックは,教師が,学習者にとっての「思考の支援者」となることや「メタ認知的役割」を果たすことであるともいわれている.
授業を単位として行われる形成的評価は,授業中に,学習者が生成する発話や教室での相互作用を手がかりに,学習者の学習の状況や理解度を把握する.授業の過程は,いわば形成的評価の繰り返しである.
到達度評価
形成的評価をマクロサイクルで考える際には,指導と評価の一体化に加え,「目標と指導と評価の一体化」が目指されるべきである.到達度評価とは,評価者からは独立に,客観的な目標や到達基準をたて,学習者が「何」を「どの程度」達成したかを把握する評価方法である.
新しい学力観や到達度評価の導入によって,「評価規準(「のりじゅん」と読むことで,基準「もとじゅん」と区別する)」に基づいて評価を行うことが求められるようになっている.評価規準とは,教育の目標として,目指すべき学習の状況といった価値を含んだ内容である.評価規準は学校,学級ごとに設定するものである.単元や教科のねらいを踏まえながら,学習の到達度を適切に把握できることはもちろんのこと,指導と対応していること,学習者や学校の実態に則すること,教師の過重な負担にならないこと,学習者や保護者にも分かりやすいこと,に留意する必要がある.
「評価基準(もとじゅん)」は,評価規準で示された目標を,学習者がどの程度達成したかを量的な尺度によって把握し判断する目安となるものである.実際には,どのような状態であれば達成したかを具体的に判断するための分割点が設定される.
協働的活動における評価
協働的な学習活動の特徴を学習評価という点からみると,主として次のような特徴がある.
- 他者への説明の必要が生じることから,言語的やりとりのなかに学習者より高次な認知過程が顕在化する
- メンバー間で認知的葛藤が生じ,その調整や創造的課題解決の過程が示される
- 「読み書き」だけではなく口頭での説明や図表の提示など多様な様式によって認知過程を把握することが可能となる
- ソーシャルスキルや市民的資質,価値や態度,仕事への熱心さがより明らかになる
- 教師評価だけではなく,相互評価や自己評価の機会も増加し,その手だても,客観的テストに加え論述テストや観察,インタビュー,ソーシャルスキルの演じ
などにわたる.
パフォーマンス評価とポートフォリオ評価
「真正の評価」の代表的な評価にパフォーマンス評価とポートフォリオ評価がある.
パフォーマンスとは「自分の考え方や感じ方といった内面の精神状況を身振りや動作や絵画や言語などの媒体を通じて外面に表出すること,またはそのように表出されたもの」である.パフォーマンス評価は「ある特定の文脈のもとで,様々な知識や技能などを用いて行われる人のふるまいや作品を,直接的に評価する方法」でいえる.
ポートフォリオとは,学習の過程において学習者が制作した作品や集めた写真や記事,書きつづったメモや作文などあらゆる成果物の集積である.ポートフォリオを用いた評価とは,これらの中から学習者の達成や発達を示すものを選択し,その価値を仲間や教師とともに認め合うとともにその学習者への次なる働きかけやカリキュラムの改善に役立てるのである.
カリキュラム
「カリキュラム」という語にはいくつかの意味がある.とりわけ我が国においては.次の2つの意味で用いられることが多かった.1つには「公的な枠組み」である.2つには「教育計画」である.現実には,「公的枠組み」としての意味合いが強いため,教師主体の「教育計画」という意味は空洞化している.
「カリキュラム」という語は「学習経験の総体」と再定義されつつある.従来のカリキュラム観は.教師が教えた事柄が同一であることを前提としていた.しかし,現実の子どもの学習経験は,教師が予測し教えている事柄以上のものである.「学習経験の総体」とのカリキュラム観は子どもの学習経験の価値をより広い社会的文化的視野からとらえ直すことの必要性,そのことの文化的価値をあらためて問うことの必要性を提起する.
カリキュラムの水準
国家が編成するナショナルカリキュラムは,日本の場合「学習指導要領」である.地域カリキュラムは,地域の教育委員会などが主体となって作成される.当該学校の各学年各教科で策定された計画カリキュラムとしての学校カリキュラムに沿って授業を行うが,計画と実施が一致するとは限らず実施カリキュラムは計画カリキュラムを書き換えることとなりうる.教師が実施したカリキュラムを子どもがその通りに経験しているとは限らず子どもの側からの経験カリキュラムに沿って,指導や学習の成果を評価する必要がある.
授業のデザイン
教師の「ねがい」は,授業を通して子どもにどのような力をつけさせたいか,どのような子ども育ってほしいかといういわば,学習課題や教材に対する教師の教育的価値観である.授業の「目標」は,その授業で達成したい子どもの姿,学習の成果である.「学習者の実態」は,授業に参加する子どもの授業参加のあり方,学習経験,生活経験,発達段階,関係性などである.「教材の研究」は,授業における教師の仕事の中核の1つである.「教授方略」は,予想されうる様々な状況に対応するための基本方針を立てることである.「学習環境・条件」は,学習空間の構成の,教育メディアも含めた学習を支援するための人的物的資源である.
従来,授業に関する教師の仕事は,授業の計画を立て,授業を行い,そして評価するという作業に分けられるという見方が広く採られてきた.藤岡完治が述べているように,授業デザインという考え方は,授業が複雑性や曖昧性をその本質として有していることを前提としている.授業を行うという教師の仕事は,教師が予め立てた計画通りに子どもを操作し動かすことではない.それは授業前でも,授業中でも,授業後でも,不断に続けられる教師の専門職たる営みである.(注※この科目を受講し始めたのは今学期であり,あのエントリを書いたのは3月である.)
授業デザインと教師の専門性
授業の過程における教師の仕事を「学習環境デザイン」の4つの視点と関わらせながら「テーマを設定する」「コミュニケーションを組織する」「認識を共有する」という3点から検討する.
テーマを設定するために,「ねがい」と「目標」を明確化すること,子どもの事実から考えること,子どもや学校を取り巻く環境をふまえること,である.
教師が子どもと教材との橋渡しとなり,「学習者中心」の学習環境を構成することとともに「知識中心」の学習環境を構成することの必要性が生じる.しかし,このような学習環境の構成は事前に計画できるものではなく,教師には即興的対応が求められる.このように,教師や子ども一人ひとりが様々な認知的社会的な背景を持ち,様々なねがいや思いを教室に持ち込みその実現を果たそうとする.教室は様々な目標が網の目のように絡まり合うジレンマ状況であり,教師はそこでやりくりをしていくジレンママネージャである.
授業へのアプローチの多様性
授業の研究は,大きく2つに分けることができる.1つには,子どもの学習過程,学習集団としての教室における授業参加の規範,参加者間の関係性,コミュニケーションのありよう,などを具体的な教科学習の文脈において把握しようとするものである.2つには,授業や教材の開発と実践,分析と評価,改善と新たな実践といったデザインを具体的で固有名の学習者や教師を対象として実際に行うというものである.
この2つの研究の志向性を分けるものは,研究者自身がどのように対象に対する位置取りをするのかということである.心理学や教育学,社会学の理論を基盤として普遍理論の生成確立を志向するのか,対象となる授業の文脈に基づき,特定の範囲の文脈を共有する中でその特徴を説明する局所理論の生成を志向するのか,個別の実践や実践者の中に暗黙に働いている実践に密着した理論を見いだしていくのか,という違いである.
学習研究としての授業研究
学習を「経験の結果として生じる比較的永続的な行動の変化」とする行動主義の学習論の元では,条件付けや反復,結果の即時フィードバックが有効であるとみなされた.人間の知的行動を,情報処理モデルで説明し,学習を「既有知識を使いながら,新たな情報を取り入れ,頭の中に新たな知識の構造を作り出し,変化させていくこと」と捉える認知主義の学習論の元では,記憶,知識構築,試行,問題解決などの概念で人間の学習を説明した.
他者との相互作用における認知過程に焦点を当てた社会文化的アプローチでは,学習は「大人-子ども,子ども間の協同による,文化的道具に媒介された活動から生まれる」とされ,授業が行われている文脈や社会的,文化的,制度的,歴史的状況との関連で学習者や教師の行為をとらえることがめざされた.
デザイン実験
少数の教室での学習事例を丁寧に記述し,検討して,先行研究の知見から改善のデザインや教授プランを考え,実行し,評価を通してより一般化可能なデザイン原理を導き出す研究をデザイン実験という.学校を基盤としたカリキュラム開発を行い研究チームと学校とが連携したプロジェクトとして行われることが多い.手続きは次の通りである.
- 「どのような理解や技能を学習者に獲得して欲しいか」を定義する,ポリシーの確立の段階である.
- 授業設計の前に,学習者が学ぶべきことを想定して,教授者が一貫して持つべき教育方針のようなものを明確に記述する.
- 次に検討する「要素技術」とは,学習場面で実際に使用する教授法,教材,活動などの様々な手段のことである.
- 学習活動の記録をデータとして収集し,「計画段階で選択した要素技術が適切に機能したか」「それらの支援に基づいて学習者はどこまで理解のレベルを向上させたか」あるいは「期待される認知活動に従事したか」を明らかにする.
- 形成的評価や総括的評価を活用して,「さらによくるすところ」「うまく機能しなかったところ」を明らかにして,修正してさらに実践を続けるのである.
教師の知識の特徴
授業を行うには,まず教科や教材に対する知識が必要である.しかしそれだけでは授業はできない.その教材をどのように教えたら学習者にとってわかりやすいか,学習指導の方法に関する知識や,学習者のわかり方についての知識が必要となる.このような教師の知識をShulmanは「授業を想定した教材内容の知識」とよんでいる.
Grossmanは,授業を想定した教材内容の知識を構成するものとして次の3つをあげている.1つには「生徒の理解に関する知識」である.2つには「カリキュラムについての知識」である.3つには「授業方法に関する知識」である.教師は,これらの知識を総動員させて授業をデザインしていく.重要なのは,これらの知識が別々に存在するのではなく,教科や教材を教える目的についての概念に基づいた統合された複合的な知識になっているという点である.
教師の知識はまた「行為のなかの知」であるといわれる.教師の仕事は,不確かな個別事例の文脈に依存し,実践のなかに理を見出しながら状況と対話する「反省的実践家」である.反省的実践家が状況と対話する「行為のなかの省察」を支える知識が「行為のなかの知」であるというのである.
熟達者の特徴
ある特定の領域の専門知識や技能に秀でているものを熟達者という.熟達者の特徴は,第1に,優れた記憶能力があること,第2に,問題を解決する方略の選択や必要な情報を探し出す能力に長けていること,第3に,長い時間を掛けて積み上げられた結果として卓越した能力を示すこと,である.また,様々な職業における熟達研究の結果,様々な領域における熟達者に共通する特徴として,次の3点が挙げられるという.
- 遂行が早く正確である.
- 多くの事柄を,容易にかつ正確に記憶できる.
- ある分野の熟達者はその分野において卓越しているのであり,未経験の分野では同等の能力を発揮できない.
適応的熟達者としての教師
熟達のあり方は,領域により,あるいは人により異なるタイプをとることが明らかになっている.すなわち,1つには,問題解の手続きが定型化しており,それを1度習得すれば後はそれを確実に速く行うことが求められる仕事,あるいはそのような熟達者である.2つには,状況の変化に応じて問題解決の手続きを柔軟に変えていくことが求められる仕事,あるいはそのような熟達者である.前者は「定型的熟達者」,後者は「適応的熟達者」とよばれる.
Hatanoらは,適応的熟達に向けた動機づけ的基板として次の4点を指摘している.
- 絶えず新奇な問題に遭遇すること
- 対話的相互作用に従事すること
- 緊急な外的必要性から解放されていること
- 理解を重視する集団に所属していること
よく考えられた練習とメンタリング
よく考えられた練習であるためには,そこでの活動は「作業」や「遊び」と違って,以下のような要件を備えている必要がある.
- 指導者は,高度なレベルの行為とそれに結びつく練習を得るための最も良い方法についての知識を蓄積していくこと
- 個々人が,自分のおかれた状況についての重要なポイントに注目したり,自分の行為の結果についての知識を自分で得たり指導者からフィードバックしてもらったりして徐々に改善できるような経験を繰返しできること
- 改善すべき行為が何であるのかが明確で活動が構造化されていること
- 弱点を補強するための特定の課題が課され,行為は注意深くモニターされていること
- 個々人は,その実践によって目的とする行為が改善されることを自覚してその実践に取り組めること
- すぐに一時的な成果が得られるわけではなく,逆に指導者やコーチといった環境を整えることでコストがかかることを理解し,長期にわたる実践の結果を期待せねばならないこと
メンタリングは,社会活動としての非行少年の更正支援を指す場合もあれば,専門的職業人のキャリア発達支援などを指す場合もある.後者の場合は,上司や先輩,同僚などがメンターとなることが多い.メンタリングの活動としては,知識や技能,集団での振る舞い方などを直接的に説明する教育的活動,信頼関係を築いたりエンパワーメントする個人的支援,組織的活動の状況における支援,活動範囲の拡大やより中心的な存在になるための後援などが含まれる.
未来の学校教育へのシナリオ
授業が今後どのように変わっていくのかは,長期的視点に立ってみると,学校にどのような機能が期待され,国際的に,そして各国がいかなる教育政策を目指すかによって変わってくる.OECDでは,学校教育が将来どのように進展するかについて,6つのシナリオを示している.
- 強固な官僚的学校システム
- 市場モデルの拡大
- 社会の中核的センターとしての学校
- 学習組織の中心としての学校
- 学習者ネットワークとネットワーク社会
- 教員大脱出-溶解シナリオ
シナリオ4が示すように,学校が地域の学びのコミュニティの中核となって本来的な学校機能を果たすためには,「公的な信頼」が鍵となる.歴史的にみると,時代によって,誰が子どもの教育の責任を負うのか,その教育の目的は何であるのか,そしていかに教えられ評価され,何を学習に期待するのかという次元での変化がある.師弟制による学習の時代,学校から大学へという学習を考える時代,そして生涯にわたる学習を考える時代へと順に変わってきている.
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