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人間の考える力

  • 投稿: 2011年11月14日 00:06
  • 更新: 2011年11月14日 01:00
  • 教育

認知科学の展開(’08)第3回から抜粋です.

人間や動物に関わるあらゆる学問において,「nature or nurture?」問題は大昔から一大テーマであり続けている.この疑問は,認知科学でいえば,我々個々人が持っているさまざまな心的能力や行動特性が「遺伝によっているのか,環境によっているのか」という疑問になる.言い換えれば「先天的か後天的か」となる.しかし,野生児の研究や生得的解発機構に関する研究などから得られた過去の知見から,人間は「遺伝」という基礎のもとに,環境からのさまざまな「経験」によって,つまりは「nature and nurture」によって,人間になっているといえるだろう.

よく教育に関して,次のような意見が交わされることがある.「知識偏重,記憶偏重の試験を止めた方が良い」「本当の意味での考える力を育てる教育をすべきである」.このような意見に反対する人はいないであろう.このような思いは現代の日本のみならず,大昔から,しかも洋の東西を問わずにあるものではないかと思われる.では,何故いつまでもこうした思いは続いているのであろうか.何故誰もが嫌がる知識偏重型の試験を止めて,本当の考える力を測る試験を行わないのであろうか.極論すれば,この疑問への答えは次のどちらかでしかない.

結局,このどちらの答えが正しいかは,人間の知力・考える力というものがどのようなものであるかについて,正しくそして詳細に解明されない限り,答えることができない.残念ながら,人類は未だに,人間の知の働きの特徴と知の仕組みを明らかにはしてはいない.

ここで次のような問題を考えたい.

この問題を解こうとする際に感じることを率直に述べてもらうと,意外に多くの人が,この問題は難しく答えに自信がない,と報告する.また,実際の解答もいずれかに集中することはなく,それぞれある程度の割合を得る.これは,老若男女,さまざまな年代,さまざまな職業の人に解いてもらった結果からいえるものである.

次に以下の問題を考えたい.

先の問題に比べて,この問題は易しく感じる.この2つの問題を並べてみると,気づき始める人も多いが,実はこの2つの問題は,物理学的には全く同質の問題である.何故,物理学的には同質の問題であるはずなのに,多くの人にとって,飛行機の問題は難しく,崖の問題は易しいのだろうか.

ここで,さらに以下の問題を考えたい.

これらも飛行機と崖の問題と同様に,カードの問題は難しく,封筒の問題は易しく感じられる.実はこの問題も論理学的に同質の問題である.今,我々の心的機能に,記憶や知識とは無関係な「本当の考える力」があると仮定する.これらの機能をコンピュータ内部に喩えれば,記憶や知識はデータベース,本当の考える力は処理アルゴリズムと考えることができる.もし,我々人間の思考能力がコンピュータのような処理手順のみによって支えられている能力であるならば,物理学的に同じ思考を要求する問題も論理学的に同じ思考を要求する問題も,解答に違いが出たり,難しさに違いが出たりはしないはずである.しかし,人間は物理学的に同質の問題や論理学的に同質の問題に対して,異なる答えを出し,異なる難易度を感じる.

この答えは,自分の記憶の中に,その問題場面に似た経験や知識がある場合には易しく,そうでない場合には難しくなるのである.つまり一般的にいえば,人間の考える力は,知識や記憶や知識などと無関係であるとはいえないということである.我々人間の「考える力」とは,我々が思っている以上に,記憶や経験や知識に基づいているものなのではないだろうか.そして,過去の経験の記憶を使って,いま目の前にある問題に対して,妥当な答え・予測を導き出そうとする力といえそうである.

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