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情報の世界(’10)

  • 投稿: 2011年03月31日 18:48
  • 更新: 2011年03月31日 18:48
  • 教育

2011年第1学期は以下の4科目を受講します.

  • 情報の世界(’10)
  • 思春期・青年期の心理臨床(’09)
  • 心理臨床とイメージ(’10)
  • 記憶の心理学(’08)

テキストは届いているし,ビデオやラジオも全部録画・ダウンロード済なので,いつでも勉強できます.ということで,やる気が出ない現状に踏ん切りをつけるために,情報の世界(’10)を学期開始前にフライング終了させておきました.こうしておくと,学期が始まってからが楽になるのです.情報の世界は基礎科目だし,知っている分野なので,さくさくと進んでいきたいと思います.

放送授業の中で初めて聞き手の人が出てきました.そのため,駆け引きを期待したのですが,そうでもなかったです.でも,聞き手がいるだけで放送授業の雰囲気はこうも変わるんですね.淡々と進むわけではないので,なかなか聞きやすいです.以下,全講義を一括りにして,適当にまとめていきます.

インターネットには膨大な情報が存在する

「世の中には膨大な情報が存在する」という主張があるが,ある観点からは間違いである.同じWebサイトを見た場合でも,それぞれの関心の範囲と度合いによって,情報の受け取り方は様々に異なる.そのため,ある人にとって「何も得られない」Webサイトは,世の中に無数に存在している.もちろん,各Webサイトから有益な情報を得ている人は常に存在するので,社会全体としては情報の源であることは確かである.しかし,対象を個人に絞った途端に,ほとんどすべてはゴミ同然となる.

情報を扱う力

現在では情報化が進み利便性が向上したために,かえって「情報を扱う力」を身につけにくくなっている面がある.特に「自分の力で情報を作り出すこと」すなわち情報化の能力を身につけることが難しい.なぜなら現在では情報は「すでにあるもの」ちすて流通しているからである.このような上京では,流通している情報を「使う」ことこそが情報を扱う力であると考えられがちである.情報の性質を学ぶことは「出来合いの情報を使う」という方向に偏りすぎた情報社会での生活を見直し,情報社会を健全な意味で「マイペースに生きる」ための第一歩としての意味を持つ.

記号

人に情報を認知させる物質的な根拠のことを一般に「記号」と呼ぶ.記号は人が五感を通して認知可能な物質的存在であると同時に,情報の内容を示す何らかの形式的な秩序を備えている.記号には2つの側面がある.1つは五感で認知可能な物質的な根拠としての側面であり,もう1つは意味や価値といった抽象概念としての側面である.記号論では前者を「記号表現」,後者を「記号内容」と呼ぶ.

コードとコンテクスト

情報環境とは「情報を読み取る人を取り巻き,その人が読み取る情報に影響を与える環境」を意味する.情報環境を記号論の言葉で表すならば,情報環境とは「人がどのように記号を分節するか」を規定する条件であるということができる.そして,記号論において文節を規定する条件としてあげられるのは「コード」と「コンテクスト」である.記号論におけるコードとは記号同士の関係や記号表現と記号内容の対応についての規則体系である.コンテクストは文節を行う主体による,文節の現場を取り巻くその時々の状況に関する認識である.

記号論におけるコミュニケーション

記号論においては,コミュニケーションは送り手の側(記号化)と読み手の側(解読)との相互に独立したプロセスの組み合わせとして描かれる.すなわち,送り手の側はコミュニケーションの前提となるコンテクストとコード(記号化コード)にしたがって伝えるべき事柄に相当する記号を分節し,それを元にメッセージを作成する.これを記号化(エンコーディング)という.一方,読み手の側はメッセージをコミュニケーションの前提となるコンテクストとコード(解釈コード)に従ってメッセージから読み取るべき事柄に相当する記号を分節する.これを解読(デコーディング)という.メッセージをめぐって送り手と読み手が参照するコードやコンテクストは常に一致するとは限らない.記号の持つ一次的な意味をデノテーション(表示義)といい,記号に関連付けられた二次的な意味をコノテーション(共示義)という.

計算とアルゴリズム

計算は何かの問題の答えを求めるためにおこなうこと,そこで必要なこと全部を意味している.つまり,計算とは「一般的な問題解決の手段」を意味している.アルゴリズムは計算のやり方を表したものであり,以下の2つの条件を満たす必要がある.

  • 計算のやり方を明確に,曖昧さなく表現していること
  • いつかは停止することが保証されていること

計算量

計算量に関する議論では次のように取り扱う.

  • 今考えている計算システムで最も大きい(と思われる)係数だけを扱う.
  • 係数が1つになったので,係数の大きさは問題とせず,それがかかっている式だけに着目する.
  • 式がいくつかの項の和の形である場合は,問題の大きさが大きくなった場合に支配的になる項だけに着目する.
  • 残った1つの項について,先述の通り,かかっている定数係数は考えない.

WBS (Work Breakdown Structure)

プロジェクトでは必要な作業を階層構造に分解して管理する.一般的なシステム開発プロジェクトを例にとると,プロジェクトは要求定義工程,設計工程,製造工程,テスト工程に分解できる.さらに要求定義工程は,分析,仕様化,検証等の作業に分解できる.分析は,ステークホルダー分析,課題分析に分解できる.このように作業を階層構造に分解し,表記したものをWBSとよぶ.

社会と法

「社会あるところに法あり(Ubi societas, ibi ius)」という法格言にも見られるように,法は社会にとって必要不可欠なものである.法の存在形式は大別して2通りがある.1つは文書化された「成文法」であり,例えば憲法や法律などである.もう1つは判例や慣習,条理などといった「不文法」がある.慣習については「公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習は,法令の規定により認められたもの又は法令に規定されていない事項に関するものに限り,法律と同一の効力を有する」とされ,条理についても「民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ習慣ナキモノハ条理ヲ遂行シテ裁判スヘシ」とされている.

法解釈の技法として,最も基本的なものは,用いられた文言に忠実に理解するというアプローチ(文理解釈)である.通常の用法を超えた意味内容をとらえようとするアプローチを拡張解釈,逆に,通常の用法よりも更に狭くとらえようとするアプローチを縮小解釈(限定解釈)という.法は全体として一貫性を持った体系的なものでなければならず,規定相互間に矛盾が生じないよう,整合的な解釈を施す必要がある(論理解釈).ある事実関係に対して適用すべき法が存在しないとき,類似の事実関係を想定して規定された法を適用すべきだとする解釈技法を類推解釈といい,ある事実関係を前提として規定された法が存在するときに,それ以外の事実関係に対しては適用されないとする解釈技法を反対解釈という.

「善意」と「悪意」,「推定する」と「みなす」

法における「善意」とは一定の事情を「知らないこと」,「悪意」とは「知っていること」を意味し,道徳的善意に関する評価を含むものではない.また「推定する」とは,当事者の意思や事実関係の存否やその評価が不明である場合に,一応の法律上の取り扱いを確定させる意味をもつ.これに対し「みなす」とは,AとBとが性質の異なるものである場合に,法律上,BについてAと同様の取り扱いをすることを意味し,BがAでないことの証明によって覆されることはない.

新規立法と法改正

いわゆる迷惑メール等に対しては,2002年に特定電子メール送信適正化法の制定と,特定商取引法の改正により,広告メールに対して一定の表示義務が課せられ,また,受信拒否の通知を受けた以降の広告メール送信が禁止されることとなった(オプトアウト).その後,2008年に両方が改正され,予め相手方の承諾を得ていない限り,原則として広告メールの送信が禁止されることとなった(オプトイン).

他人の著作物の複製物を無断でインターネット上で送信する行為に対しては,著作権法の改正により,著作者のみが有する権利として自動公衆送信権が創設された.この権利には送信可能化も含まれるものとされているため,サーバーへのアップロードなどにより,自動公衆送信できる状態を作り出せば,実際に送信された事実がなくとも権利侵害が成立し,著作者の権利保護が図られている.

わいせつな画像・映像とわいせつ物公然陳列罪

インターネット上のわいせつな画像・映像に関し,最高裁判所も実務レベルでも,刑法第175条のわいせつ物公然陳列罪の適用が可能との立場が採られている.しかし,わいせつ画像情報それ自体はわいせつ「物」ではあり得ないため,当該情報が記録されたサーバーコンピュータ,ないしはハードディスクがわいせつ物に該当し,それが公然と陳列されていると理解されている.

情報社会と主体性

情報社会における教育上の主題として「主体的に生きる力の育成」の重要性が指摘される.情報社会化の進展が,人間に本来備わるべき資質としての主体性を脅かすという認識がある.この認識は,たとえばマスメディアによる情報発信の独占が視聴者の洗脳や社会全体の価値観の画一化をもたらすといった議論に見られる.

主体性を「外部からの影響から孤立した自己の意思のみを根拠として価値判断や行動ができる資質」として規定する立場がある.これを「純粋な主体性」と呼ぶこととする.純粋な主体性は現実的には成立し得ない.なぜならば,言語や絵や図形など,何らかの記号体系を用いることなくして人がものを考えることはできないからである.主体性の規定を純粋な主体性よりも幅広く「外部からの影響下において,おおむね自己の意思に基づいて価値判断や行動ができているという実感が持てる状態」とするならば,もう少し現実的な議論が可能であろう.

情報社会,メディア,主体性の関係は「情報社会とはメディアが虚構としての主体性を形成する上での支配的な力を持つ社会である」と規定することができる.これは,情報社会が「メディアを経由して形成される個人の主体性」を通して編成される社会であるという見方と表裏をなしている.

問題解決能力の重要性

生産性の高い,発達した社会においては,基本的な生活をするためには様々な問題を自分で解決しなくても,解凍や解を求める方法はすでに分かっていて,誰かにやってもらうか,選択肢を選ぶだけでよい場合が多い.ところが情報をベースに発展してきている情報社会においては,その発達の速度があまりに速いために,いわゆる「他人任せ」にすると不利益をこうむったり法的問題を起こしたりしてしまう可能性が小さくない.必要なことは,いろいろな問題に対して行われている問題解決の原理を理解し,実際の状況が正常であるかそうでないかについての判断力を身につけておくことである.

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