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仕事・所得と資産選択(’08) 第11回

第11回は「団塊世代と資産運用」です.

団塊の世代とは,一般的に1947~1949年頃の3年間に生まれた人たちを指す.語源は堺屋太一の同名小説からである.人口からみると,団塊の世代は第1次ベビーブーム世代と呼ばれ,毎年260万人以上が生まれ,2007年には約680万人で,総人口に占める割合は約5.3%である.

2007年以降の数年間は,この世代が60歳以上に達して,毎年200万人以上が退職する.これを2007年問題という.2007年問題では,社会保障費の増加,労働力不足というマイナス要因のほか,退職金や年金を用いた消費力のアップ,再就職やボランティアなどの地域貢献による労働力や地域力のアップなど,プラスの面も多い.団塊の世代が65歳以上に到達する2012年には,65歳以上の高齢者が年に100万人ずつ増加すると予測されている.これを2012年問題という.

2006年の厚生労働省の調査によれば,団塊の世代は退職後の仕事に関して,60歳以降も仕事をしたい人が約70%,可能な限り仕事をしたいが約65%と答えている.2005年の野村総合研究所の調査においても,60歳以降も仕事を持ち続けたい人は80%,その目処が立っている人は22.8%にのぼっている.

60歳以上65歳未満の人が定年後も働き続けると,厚生年金に加入することになり,本来の年金ではなく,在職老齢年金を受け取ることがある.賃金と年金の月額の合計が28万円以下なら年金は全額支給,超えた場合は,超過分の半分が年金からカットされる.65歳以上であれば,48万円以下なら全額支給される.

2006年の厚生労働省の調査によれば,勤続年数が35年以上の場合,退職金は1300~2400万円が目安と考えられており,平均は2040万円となっている.退職金は課税対象であるが,税金面では優遇措置が設けられており,分離課税方式によって税金額が低く抑えられている.社会保険料は退職後も支払わなくてはならない.会社員だった人は健康保険と介護保険に加入し直さなければならない.この場合,健康保険の任意継続か,国民健康保険,家族の健康保険の被扶養者となることが多い.雑所得がどうのこうので,任意継続2年を経てから国民健康保険にした方が良いらしい.

2004年から改正高齢者雇用安定法が施行されている.これによって,年金の支給開始年齢の引き上げに合わせて,雇用確保を義務づける年齢が段階的に引き上げられている.事業主は,

  1. 定年の引き上げ
  2. 継続雇用制度の導入
  3. 定年の定めの廃止

のいずれかの措置を講じなければならない.さらに,50,60歳代における起業の割合が高まる傾向にある.しかし,20~40歳代が黒字基調であるのに対して,50歳代では赤字黒字が半分,60歳代では赤字が60%以上となっている.

仕事・所得と資産選択(’08) 第10回

第10回は「教育と子への投資効果」です.

厚生労働省によると,不妊治療を受けている人は28.5万人,不妊に悩む人はその5倍はいるといわれている.不妊治療にはタイミング法,体外受精,顕微授精がある.しかし,不妊治療は保険が適用されない.一般に人工授精では1~3万円,体外受精は20~35万円,顕微授精は30~40万円もかかる.朝日新聞によれば,治療費の平均は153万円であった.厚生労働省は不妊治療に関する助成金(特定不妊治療費助成事業)を設けている.対象となる治療法は体外受精および顕微授精であるが,給付は1年度あたり上限1回10万円で,通年2年支給される.ただし,夫婦合算の所得ベースで730万円未満という所得制限がある(2007年4月).

妊娠や分娩は健康保険の対象外のため,検診料は10~12万円といわれている.2007年4月からは妊娠8,20,24,30,36週前後の5回は検診料が無料である.出産にかかる総費用は66.6万円である.ただし,健康保険制度から,出産育児一時金が35万円支払われる.また,女性が産休を取得する場合,健康保険から出産手当が支給される.欠勤1日につき標準報酬日額の2/3が勤務先が加入している健康保険から支給される.

育児費用は人それぞれであるが,一般に月12000円が目安である.これにはミルク代,おむつ代,食事代,洋服代が含まれている.ほ乳瓶やベビーカー,ベビーベッドなどの育児用品は含まれないので,購入する場合は20万円,レンタルの場合で約半額である.

幼小中高大は省略.

教育費は1人1000万円以上かかる.このため,子どもの出産自体を考え直す人もいるほどである.これほど高額な費用を何の準備もせずに出費できる人はほとんどいない.多くの人は子どもを出産した時から,こども保険などで準備を始めている.こども保険とは,親に万が一のことがあったときに,それ以降の保険料は免除され,祝い金や満期金は契約通り受け取れる保証が付いている保険商品を指す.

教育費は投資の中でも,自分以外のものにその投資効果が出る,特異な投資である.一般の投資と異なるのは,人間に投資するため,意志を持った人間次第で投資効果が異なる点である.また,投資効果がすぐにわからないのも教育投資ならではである.教育投資はかなりの長期にわたるため,すぐに経済効果は現れない.また,教育とは人間形成を目的としているため,経済的効果はなくとも人格者を育てたという人的効果もある.

経済が不安定な時代だからこそ,遺産が残せない,あるいはお金の価値が変わるため,経済で残すのではなく,教育として子どもに財産を生前分与しておくと考えることもできよう.

強調部分は私による強調である.

以下は私見.まさにこの通りで,教育効果がすぐに得られるというのは薄っぺらい教育である.深い教育は人格形成に係わるので,すぐには効果が見られないのが普通である.良くある例で言えば,卒業生が数年後に恩師の元を訪れて「あのとき先生に言われた○○が今になってわかるようになりました」とか,「さんざん叱られてうぜぇと思ってたけど,社会に出たら誰も叱ってくれない.叱ってもらえるってことはすごく大切だってわかりました」とか.大学のわずか4年の在学中になにか効果を顕在化させたいなんて,薄っぺらいですよ.ましてや,研究室に在籍する1年やら3年程度の間に成果を出させようとせっせと何かを試みようとする教育者らしからぬ大学教員がいるのは,教育機関として残念な限りである.もちろん,大学生活(または大学院まで含む)の集大成としての成果物を出したいと考えるのは,工学としては至って自然で,それは私もそうしたいところである.というか,すべきだと思う.しかし,それがゴールやマストではないと思う.本質的には,その学生の将来を見据えた全人格的人間形成を目論んだ指導をするべきだと思う.そして,それはそんなに簡単なことでも,システマティックにできることでもない.だから,教育はそんなに簡単なものではないと何度も(ry.

大学と社会(’08) 第13回

第13回は「多様化する学生」です.そろそろ核心に迫ってきた.

1990年代初めには18歳人口は200万人を超えていたが,その後は急減し,2006年には133万人になっている.大学志願者数も90年代初めには90万人を超えていたが,2006年には70万人を下回っている.しかし一方で,進学率は一貫して上昇している.このような背景によって,各大学は学生定員を埋めるために合格率を上げて入学者を確保する行動をとった.

1990年代初めにはバブル経済がはじけ,長期にわたる不況を経験する.これにより卒業後の進路も大きく変化し,就職も進学しない,大卒無業やフリーターが急速に増え始めた.この動きは求人倍率の動きとほぼ対応している.

このような変革の中で,学力や価値観の多様な学生を選抜するために起こったのが,入試の多様化である.国公立大学の場合,1996年では一般入試が90%,推薦とその他が10%であったが,2006年には一般入試が84%,推薦が13%になっている.私立大学は一般入試が67%ともともと低めではあったが,51%にまで減少し,対して推薦が42%まで伸び,AO入試を含むその他は8%まで上昇している.

東京大学が行っている「全国大学生調査」によると進学の目的も多様化している.最も多いのが「自分の将来の方向を見つける」となっている.大学の学習に直接関わる「広い教養,ものの見方を身につける」や「専門分野の知識・理解を深める」は,3番手と4番手に位置している.一方で「社会人になるまでの時間をエンジョイする」を選んだ学生が22%にのぼっている.

1990年以降,大学が取り組んできたことには教育改革もある.代表的なものとして,学生による授業評価,FD,シラバス,GPAである.これは私見であるが,これらの教育改革に取り組んでいない,または真摯ではない大学組織は,これからの時代の生き残りは難しいのではないかと思う.特に,社会への説明責任を考えた場合,いくら大学が教育機関であると同時に研究機関であるといっても,顧客である学生またはその親に対して,優れた教育の場を提供できていることを説明できなくては全く以て意味がない.一昔前のいわゆる教授推薦があった頃ならいざ知らず,近年の就活における推薦の役立たず加減を見るに,大学は研究者の視点で学生を育成していても出口を提供できなけば,学生とその親に対してなんらメリットを与えられてないのと同じである.大学が時代の要請によって,教育機関から研究機関と変革を遂げてきたように,今,大学には就職予備校としての役割が期待されているのではないだろうか.

教育改革を矢継ぎ早に試みてきた日本の大学だが,いくつかの課題が残されている.まず,日本の学生は授業への出席時間が長い反面,授業外での学習時間は圧倒的に少ない.そのため,トータルの学習時間は各国よりも短くなっている.しかし,課外活動やアルバイトに際立った特徴があるわけでもなく,残った時間はどうなっているのか気になるところである.ところで,この結果には注意すべき点がある.授業への出席時間は長いが,その時間は勉強しているのだろうか?近年の傾向では,確かに授業への出席率が良く,真面目に授業を受けに来ているという見方ができる.その反面,授業に来ても勉強をせずに寝ていたり,遊んでいたり,はたまたそうではなくても全く集中していない学生が増えている.そのため,この結果を鑑みれば,日本は他国に対して圧倒的に学習時間が少ないと言わざるを得ない.

九州大学が欧州と共同で実施している「卒業生のキャリアと大学教育の評価に関する日欧調査」によれば,日本はグループ学習よりも教師主導の学習形態を重視している.これは他国も同様の傾向である.理論や概念枠組みが重視される一方で,経験的・実務的知識は重視されていない.

経済産業省の社会人基礎力によれば,社会人として以下の3つの能力が必要とされている.

  • 前に踏み出す力
  • 考え抜く力
  • チームで働く力

社会人基礎力は一見すると,大学教育を通じて形成される能力とは直接関連がないように思われるかもしれない.事実,こうした能力のみを取り出して育成することは難しいかもしれない.では,大学生が在学中に授業を通じて身につけたもの,何が在学中に向上したかを検討しよう.4年生になると,幅広い思考や異なる考えを受容する力が向上したと考えている反面,リーダーシップや数量的分析の向上感はさほどない.

このように,日本の大学は様々な教育改革を試みてきたにも関わらず,課題が残されている.これらの課題を克服しつつ,これからの大学,特に学士課程教育に求められるのは,学問知や専門知に加えて,それを獲得するプロセスで身につくと思われる「知を運用する能力」であろう.ユニバーサル化時代の学士課程教育に求められているのは,学士課程教育の一部分,あるいは学士課程教育に外か何かを付け加えるだけではなく,学士課程教育全体の再考なのかもしれない.

強調部分は私による.

大学と社会(’08) 第12回

第12回は「変貌する大学教師」です.がおー.

大学の機能には,教育,研究,社会サービスの3つがある.歴史的には,大学は教育の場であり,その後,大学に近代科学が導入された19世紀には大学は研究の場ともなり,20世紀には社会へのサービスが期待されるようになった.大学教員の役割は,それらの機能に対応して,教育者,研究者,社会サービスの遂行者としての3つがあるが,大学の管理運営の役割も持っている.

19世紀ドイツの研究大学のモデルは,アメリカ,日本など世界の高等教育制度に大きな影響を与えた.研究施設で,「研究を通した高度な教育」が行われ,教員と学生が学問共同体の一員としてともに真理の探究を目指した点である.いわゆる「教育と研究の統一」というフンボルトの大学理念である.19世紀後半になると,ウィスコンシン大学が「教育と研究によって州民に貢献すること」を大学の理念とした.こうして,20世紀に入ると,大学教員には,教育と研究に加えて,社会サービスという役割が加わった.

教員の職務は学校教育法第58条によって定められ,旧法では,教授は「学生を教授し,その研究を指導し,又は研究に従事する」,助教授は「教授の職務を助ける」,助手は「教授及び助教授の職務を助ける」とされ,独立した専門職としての位置づけは弱かった.新法では,助教授が廃止され,新しく准教授が設けられ,助手のうち主として教育研究を行う者のために「助教」の職を設けた.また,教授,准教授,助教の職務は,全く同一になり,その違いは,資格要件だけになった.特に,新法第58条においては,上位の者を「助ける」という規定はなくなった

これまで教授に従属して研究せざるを得なかった若手教員は,自立して教育研究に邁進できるようになった.しかし,若手教員にどの程度責任ある役割を与え,実力を発揮させるかは,各大学・大学院研究家の運営の如何にかかっている

大学教員の国際比較調査(有本・江原編,1996)によれば,「私の仕事は相当な心理的緊張を伴っている」という質問に肯定的に解凍する日本の大学教員は55.9%にのぼった.「教育活動と研究活動のどちらに関心があるか」を尋ねたところ,教育は27.5%,研究は72.5%と,全体平均(教育44.0%,研究56.0%)よりも研究志向が強かった.

最近は,外部の者による第三者評価が行われ,教員個人の教育研究などの業績が人事評価や待遇に反映するよう求める声もある.大学教員は,心理的な圧力をますます強く受けるようになっている.大学教員が力を発揮できるよう意図した制度改革が行われてきたが,それらの改革の結果,我が国の大学教育や研究活動の質が向上するか否かは,今後明らかになっていくであろう.

強調部分はすべて私による強調である.

以下は,私見.若手研究者の補助金などが仕分けられ,ポスドクが甘えだとか,博士進学は無駄だとか論じられる昨今において,研究大学は社会に対して一体どんな貢献をしているのだろうか.社会は研究大学を求めているのだろうか.優れた研究者が在籍する私立大学は,顧客である学生ならびにその保護者に対してメリットであるといえるだろうか.真に社会が求めているのは,教育大学,ひいては所詮,就職予備校なのではないだろうか.このような時代にあって,大学在籍の研究者の価値はどれ程であろうか.

大学と社会(’08) 第11回

第11回は「大学の組織と運営」です.

大学の管理運営は,歴史的に企業や官庁の運営とは異なったものであるとされてきた.しかし,大学は多様な財源を求めて教育サービスを提供するなど企業と同様の行動を取るようになり,企業的な大学運営が進められるようになってきた.

大学管理運営には,大学管理,大学運営,管理運営,大学経営など多様な用語が使われており,しばしば混乱が見られる.

大学の設置認可権は文部科学大臣に属する.大学を設置しようとするものは,中央教育審議会の審議を経て定められた大学設置基準に基づき,大学設置・学校法人審議会の審査を経て,文部科学大臣の認可を受けなければならない.

大学設置の規制緩和が進むに従って重視されてきたのは事後チェックである.2007年1月には,構造改革特区によって認可された株式会社立大学が,教員組織や教育方法が大学設置基準に違反しているとして,学校教育法による初の勧告を受けることになった.サイバー大学かと思ったらLEC大学だった.

大学の運営機構には共通する制度が置かれている.学長及び事務職員は必置であり,副学長,学部長,技術職員その他必要な職員を置くことができる.学長は「公務をつかさどり,所属職員を総督する」ものである.教授会は重要事項を審議する機関である.教授,准教授,講師,助教などの職員は,教育研究を担当し,管理運営を業務とはしないが,教授会の構成員として運営を担うほか,法令に特に定めはないものの,学科・講座などの運営に参加する.大学は学問の自由の制度的保障として自治が認められており,その内容は大学教員は教育研究の職務に関して身分上・職務上の上司の指揮監督を受けず,教育研究の自由が保障され,その身分が保障される.強調部分は私による強調です.

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