Home > 教育 > 大学と社会(’08) 第13回

大学と社会(’08) 第13回

  • 投稿: 2010年12月25日 14:59
  • 更新: 2010年12月25日 15:21
  • 教育

第13回は「多様化する学生」です.そろそろ核心に迫ってきた.

1990年代初めには18歳人口は200万人を超えていたが,その後は急減し,2006年には133万人になっている.大学志願者数も90年代初めには90万人を超えていたが,2006年には70万人を下回っている.しかし一方で,進学率は一貫して上昇している.このような背景によって,各大学は学生定員を埋めるために合格率を上げて入学者を確保する行動をとった.

1990年代初めにはバブル経済がはじけ,長期にわたる不況を経験する.これにより卒業後の進路も大きく変化し,就職も進学しない,大卒無業やフリーターが急速に増え始めた.この動きは求人倍率の動きとほぼ対応している.

このような変革の中で,学力や価値観の多様な学生を選抜するために起こったのが,入試の多様化である.国公立大学の場合,1996年では一般入試が90%,推薦とその他が10%であったが,2006年には一般入試が84%,推薦が13%になっている.私立大学は一般入試が67%ともともと低めではあったが,51%にまで減少し,対して推薦が42%まで伸び,AO入試を含むその他は8%まで上昇している.

東京大学が行っている「全国大学生調査」によると進学の目的も多様化している.最も多いのが「自分の将来の方向を見つける」となっている.大学の学習に直接関わる「広い教養,ものの見方を身につける」や「専門分野の知識・理解を深める」は,3番手と4番手に位置している.一方で「社会人になるまでの時間をエンジョイする」を選んだ学生が22%にのぼっている.

1990年以降,大学が取り組んできたことには教育改革もある.代表的なものとして,学生による授業評価,FD,シラバス,GPAである.これは私見であるが,これらの教育改革に取り組んでいない,または真摯ではない大学組織は,これからの時代の生き残りは難しいのではないかと思う.特に,社会への説明責任を考えた場合,いくら大学が教育機関であると同時に研究機関であるといっても,顧客である学生またはその親に対して,優れた教育の場を提供できていることを説明できなくては全く以て意味がない.一昔前のいわゆる教授推薦があった頃ならいざ知らず,近年の就活における推薦の役立たず加減を見るに,大学は研究者の視点で学生を育成していても出口を提供できなけば,学生とその親に対してなんらメリットを与えられてないのと同じである.大学が時代の要請によって,教育機関から研究機関と変革を遂げてきたように,今,大学には就職予備校としての役割が期待されているのではないだろうか.

教育改革を矢継ぎ早に試みてきた日本の大学だが,いくつかの課題が残されている.まず,日本の学生は授業への出席時間が長い反面,授業外での学習時間は圧倒的に少ない.そのため,トータルの学習時間は各国よりも短くなっている.しかし,課外活動やアルバイトに際立った特徴があるわけでもなく,残った時間はどうなっているのか気になるところである.ところで,この結果には注意すべき点がある.授業への出席時間は長いが,その時間は勉強しているのだろうか?近年の傾向では,確かに授業への出席率が良く,真面目に授業を受けに来ているという見方ができる.その反面,授業に来ても勉強をせずに寝ていたり,遊んでいたり,はたまたそうではなくても全く集中していない学生が増えている.そのため,この結果を鑑みれば,日本は他国に対して圧倒的に学習時間が少ないと言わざるを得ない.

九州大学が欧州と共同で実施している「卒業生のキャリアと大学教育の評価に関する日欧調査」によれば,日本はグループ学習よりも教師主導の学習形態を重視している.これは他国も同様の傾向である.理論や概念枠組みが重視される一方で,経験的・実務的知識は重視されていない.

経済産業省の社会人基礎力によれば,社会人として以下の3つの能力が必要とされている.

  • 前に踏み出す力
  • 考え抜く力
  • チームで働く力

社会人基礎力は一見すると,大学教育を通じて形成される能力とは直接関連がないように思われるかもしれない.事実,こうした能力のみを取り出して育成することは難しいかもしれない.では,大学生が在学中に授業を通じて身につけたもの,何が在学中に向上したかを検討しよう.4年生になると,幅広い思考や異なる考えを受容する力が向上したと考えている反面,リーダーシップや数量的分析の向上感はさほどない.

このように,日本の大学は様々な教育改革を試みてきたにも関わらず,課題が残されている.これらの課題を克服しつつ,これからの大学,特に学士課程教育に求められるのは,学問知や専門知に加えて,それを獲得するプロセスで身につくと思われる「知を運用する能力」であろう.ユニバーサル化時代の学士課程教育に求められているのは,学士課程教育の一部分,あるいは学士課程教育に外か何かを付け加えるだけではなく,学士課程教育全体の再考なのかもしれない.

強調部分は私による.

Home > 教育 > 大学と社会(’08) 第13回

Return to page top