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人生

アロマセラピー,はじめました.

5月15日に「たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学」で「日本人に急増中 ストレスに弱い脳 徹底解明&改善スペシャル」が放送されました.どこからどう解釈しても,ネガティブ・神経質のストレス脳でした.現在抱えている持病のどれもこれもが,どこからどう考えてもストレス起因だし,こんな状態じゃ,これからも持病が増え続けることは放射能漏れよりも明らかなので,何とかしなくてはいけないという危機感に駆られました.運が良いことに番組では改善策も提示しており,なにやらアロマセラピーで改善するというではないですか.これは,はじめるしかない.

ということで,アロマセラピー,はじめました.

しかし,ぶっちゃけ,香水とか匂いが苦手な私としては,何をどうして良いのかサッパリわかりません.「誰か助けてー」って言ったら,詳しい方に助けてもらえたので,貢ぎ物を携えて,そそくさと教えてもらいに行きました.まぁ,なんだ.素人って怖いね.素人のオレ思考では「リラックスといえばラベンダーっぽくね?」とか思ってて,実は勢いでラベンダーのアロマオイルを買えばいいんじゃないかと思っていたんですが,色々と嗅いでみるとビックリ!ラベンダーは好きじゃない匂いでした.

他にも色々と試してみたところ,ティートリーってのがダメっぽいです.傾向としては尖った匂いがダメで,やんわりとした柑橘系が好きみたいです.すごいね.匂いって多彩だね.あんなに違いがあるとは思わなかったよ.で,色々試してみて,2種類買ってみました.2種類あると,匂いに飽きてきても,交互に使えば効果的とのこと.なるほどなるほど.和論文と英論文の関係ですね!(違う)

左はスプレータイプで,シュッ☆っとすれば良いので簡単に使えるということで買いました.右はマグカップ・アロマ法や枕・アロマ法に使う用です.

両方とも好みの匂いですが,傾向は違うので,なかなか不思議です.KEWガーデンのは柑橘系ベースで,yuicaのは樹木系ベースです.

で,使い始めてみたんですが,いやー,ビックリ.香水とか嫌いなんですが,ただ単に好みの匂いじゃないってだけなんですね.買ったアロマはステキです.寝る前にベッドの上の空間にスプレーしゅっ☆とすれば,超安眠ですよ.スッキリ起床です.すてき!コットンを購入すれば,枕・アロマ法も導入できちゃいます!

まとめ

いいかんじ!ストレスフリーになれるか!乞うご期待!

大病を患って思うところ

ちょうど寛解期を1年維持することができ,UCとしてももうすぐ3年目を迎えるので,ちょっと過去を振り返ってみようかと思います.

1年目はまさに闘病の1年で,よくわからないことだらけでした.下血してもリカバリーできるという意味では,比較的早い段階からコントローラブルでした.しかしそれは,下血したらペン注という対処療法的で,何故そうなったかという原因を切り分けることができずに,苦労しました.何度も調子を崩しているうちに,食べ物の影響はほとんどないこと,寝不足・ストレスの影響は大きいことなどがわかってきて,段々とコントロールが容易になってきました.要は,難病を盾にサボるだけの簡単な療養です.

2年目になると,薬がペンタサからアサコールに変わり,それを機に体調が大幅な改善を遂げました.アサコールのおかげで,UCは寛解期と呼んで差し支えない状態に固定することができました.一方で,UCが改善したにもかかわらず,なかなか調子が上がってこず(単なる甘え,怠け),昨年全く研究していなかったために業績を出せない焦燥感と,次年度は就職活動をしなければならない不安感で,精神面はどんどん不調になっていきました.この頃は,精神的に不安定すぎて,心療内科に通うことも検討しましたが,精神的に荒廃状態であったため,心療内科に行くという決断ができませんでした.ここで,誰かが無理にでも連れて行ってくれれば行ったのでしょうが,自らでは決断するに至りませんでした.ましてや「病院に行くべきはおまえらだ」と考えに至るくらいには,精神的荒廃は進んでいました.しかしながら,どんなきっかけがあったのか,なにがあったのか思い出せませんが,いつの間にかその不調からも脱し,なんとか平々凡々と3年目に向かう日々を過ごしました.

そんな経験から,大病を患って思うところがあったので,書いておこうと思います.

病気で怖いことは,長期化することだと思います.大病だとしても,短期で快復する類は先が見えるので何とかなりそうな気がします.しかしながら,大病ではないとしても長期化する病気は,先の見え無さから精神的に滅入ってしまいます.この辺の感覚は実際に病気を患った人じゃないとわからないと思います.

UCに限りませんが,見た目には病人に見えない病気というのは,かなり多くあります.実際,私の場合,発症してから2ヶ月間は診断がつかなかったため,上司に報告しなかったのですが,報告して初めて体調不良だと気づかれるくらいには,内臓疾患は気づかれません.ですので,電車やバスなどで,妊婦や杖をついている人に優しくするのは当然のことと思いますが,見た目ではわからない愛護すべき人がいるということは認識しておくべきと思います.私にいわせれば,見た目でわかる人にだけ優しくするのは差別的で偽善的でしょう.もし,本当に善意があるのであれば,全ての人に優しく振る舞うと良いでしょう.それが本当の善意だと思います.

「自分の目で見て,耳で聞いたことしか信じない」という人は少なからずいると思います.私もそこまでではないですが,実体験こそ最優先しています.そのため「やってみた」とか「作ってみた」とか「行ってみた」とか,そういう類が大好きです.世の中には体験しないと分からないことはたくさんあります.だから,神は私に試練として,経験として,大病を与えたのでしょう.「自らの身を以て,その苦しみを理解しなさい」と.

私は大病を患うことで,その辛さを身に染みて理解しています.1日1日が非常に大事であること.明日も今日と同じように動けるわけではないこと.そのために,中長期的な計画をよく理解し,よく準備し,膨大なマージンを準備しておくこと.そのためには,動ける最大限の範囲で,コツコツと積み上げておかなければならないこと.そして,動けないときには,潔く積み上げたマージンを切り崩し,快復に努めること.なんといっても,多くを求めることなく,諦めること.

それらを私は身を以て理解しているので,自らの実体験として,言葉に重みを持たせて,多くの人に伝える使命があると思います.実体験からの言葉は,深く心に届くのではないかと思います.私は学もないし,齢も重ねていないし,含蓄あることも大して言えないので,嘘偽り無い体験談くらいは伝えないといけないかなって思ってます.

それから,時間の捉え方も違うと思います.発症前から「タイミング」というものの重要性は理解していましたが,発症後はことさらに思います.寛解期を長期に維持している今はそうでもないですが,活動期や不安定な寛解期においては,「タイミング」の難しさを痛感しました.例えば,学会があったとしても,それは私の体調と関係なく開催されるので,学会参加の唯一の楽しみである二次会に参加できないという,何のために学会に来ているのかわからない状態になります.それ以外でも「調子が良いときに○○に行きましょう」などと言われると,それは基本的に日程調整不能を意味します.調子の良さは自分ではコントロールできないので,調子が良いところを見計らっていると,「今日調子が良い,誰かご飯行こう」といっても誰も捕まらず,「○日に食べに行こう」となると,その日が調子良いとは限らないわけです.

同じように,「今度行きましょう」と言われたとしても,その「今度」の感覚が一般人とは大きく変わります.難病患者や長期罹患者や持病持ちにとって,長期的に調子が良いとは限らないわけで,「今度」が数ヶ月後だとして,その時に調子が良い状態を保っていられるとは限りません.健常者は時間が無限にあるかのような前提で,難病患者は時間を有限かつ短く考えるのではないかなと思います.死にはしませんが,余命と同じような感覚かと・・・.

などと言うことから,学んだことは以下の通りです.

人生を生き抜いていく上で,最も大事なものは,金でも学でも人脈でもなく,健康です.

はじめてのマウスピース

表題の通りなんですが,はじめてマウスピースなるものを入手しました.別に,格闘技を始める予定はないんですが・・・.

なんで?

平たくいうと,歯が折れそうだから.もうちょっと説明すると,歯ぎしりが酷すぎるらしいから.さらに詳細に説明すると,ストレスマジヤバイ.

真面目に説明すると,私の右上1-4の神経は死んでいて,失活歯になっています.特に,1-2についてはすでに20年近く経過しています.3-4についても2年が経過しています.ご存じのように,失活歯は枯れた木と同じなので,朽ち行く運命にあります.20年も現状を維持しているのは,奇跡といえるレベルです.なぜそんな状態になっているのかについては,過去のエントリを見ると良いと思います.

ということで,これらの失活歯は差し歯にすることが,すでに決定されているのですが,差し歯を差すべき土台となる骨がないので,液状化減少しているところに杭を打ち込んでも意味がないように,今は施術できないのです.ということで,骨ができるまで,歯を養生しながら待っているのですが,どうもダメそうです.しかも,ダメなのが,1-2じゃなくて,3だというから困りものです.

で,どうダメなのかというと,どうも歯ぎしりが酷いようです.前歯に限らず,全体の歯がすり減っているようで,犬歯など尖っているべき歯が丸くなっているそうです.この歯ぎしりの件は手術したときの病院でも指摘され,「そんなことないと思うんですけど・・・」と答えたところ「寝てるうちに無意識にやってるんだよ」と言われました.寝ているときは寝ているので,自分が何をしているかなんてわかりません・・・.歯ぎしりをしていようが,論文書いていようが,徘徊していようが,知ったこっちゃありません.しかし,その歯ぎしりが原因で,失活歯である右上3にヒビが入ってしまったようです.

一般的に,歯が割れるときは縦方向に割れます.縦方向に割れると,差し歯を入れられませんので,入れ歯にするかインプラントにする必要性が出てきます.個人的には,3-4は抜髄してから間もないので,まさかと思っていましたが,どうもことは深刻のようで,このままだと差し歯を入れるまで持たないかもしれないとのこと・・・.えー.

じゃぁどうするの?

ということで,マウスピースです.専門用語ではナイトガードと呼んだりするそうです.ナイトガード,多い日でも安心☆・・・閑話休題.読んで字の如く,寝ている間に歯を守るために装着します.マウスピースは自分の歯形と噛み合わせに合わせて作られます.皆さんご存じの,あの気持ち悪いピンクのやつで型を取られます.何年経っても美味しくないな,あれは(食べ物ではありませんw).

で.できてきたのがこれ.

オレの歯形にピッタリになってます.思ったよりも薄くて,違和感は少ないです.実際に装着するとこんな感じ.

よかったね!

そもそも論でいけば,歯ぎしりが原因であるのに,ナイトガードを使うということは,根本的な解決になっていません.対処療法的に過ぎません.ですので,本来であれば歯ぎしりを解消することを目指すべきですが,どうなんでしょうか?原因は諸説あるようで,噛み合わせの問題もあるようです.事実,噛み合わせはずれていて,顎関節症気味でもあるので,それを治して解決するなら,万々歳です.で,そう尋ねたら,実は顎関節症も治せないらしいです.緩和することはできるけど,治せないらしいです.

顎関節症の原因は,たぶん私の場合,うつ伏せ寝が原因だと思います.うつ伏せ寝の上に,左を下にして寝ることが多いんですが,下顎は右にずれているので,合致します.うつ伏せ寝は百害あって一利なしです.ちなみに,内臓疾患を持っている人はうつ伏せ寝の傾向が強いそうです.これも合致しますね.ダメ人間ですね.

それから,最新の科学によりますと,歯ぎしりの主因は噛み合わせではなく,ストレスだとのことです.ふむ.ストレス起因で発症する可能性がある病気で,私の持病は,UC,突発性難聴,慢性首こり,歯ぎしり,ストレートネックなどなど,うーん.どう考えても,ほとんどの持病がストレス起因です,本当にありがとうございました.しかも,ほぼ全部が社会人になってから・・・困った困った.生きにくい社会です.

まとめ

とりま,マウスピース装備になりました.差し歯を入れるまで,頑張って養生する.でも,歯ぎしりが治らないんだから,差し歯を入れてもマウスピースは必要だろうなぁ・・・.セラミックの差し歯だと,すぐに割れちゃいそう.マウスピースも作り直しなんだろうなぁ・・・.

201205191035追記

1週間使ってみての感想です.とにかくヤバイ.起床時の口の中の雑菌超繁殖ネバネバ感がヤバイ.手術前に戻ったような感じです.実にヤバイ.それから,マウスピースを外した直後は噛み合わせの違和感があります.すぐになれるけど・・・.なんかあれです.あんまりいいものではないです・・・.

UC闘病記~アサコールによる寛解維持期7

アサコールによる寛解維持期も7に突入したときことは,2ヶ月毎の通院ですから,1年の寛解維持を達成したようです.これはかなり順調な部類と思われます.ということで,いつも通り寛解維持を継続するだけの,簡単な記録です.特記なき場合は,体温・体重・血圧・脈拍は朝の測定,アサコールを朝晩2回で 6錠(2400mg),便1回.

  • 4月25日 36.7度,67.0kg,血圧124/79,脈拍71.
  • 4月26日 36.6度,66.5kg,血圧122/82,脈拍69.
  • 4月27日 36.2度,67.2kg,血圧119/83,脈拍64.
  • 4月28日 36.6度,67.2kg,血圧118/78,脈拍72.
  • 4月29日 36.5度,66.7kg,血圧121/76,脈拍69.
  • 4月30日 36.4度,66.4kg,血圧126/77,脈拍67.
  • 5月1日 36.8度,66.9kg,血圧121/82,脈拍79.風邪っぽい諸症状.
  • 5月2日 36.6度,67.3kg,血圧125/85,脈拍72.風邪っぽい諸症状.
  • 5月3日 36.7度,67.2kg,血圧124/77,脈拍76.風邪っぽい諸症状.
  • 5月6日 36.1度,66.5kg,血圧117/84,脈拍68.
  • 5月7日 36.5度,67.3kg,血圧120/79,脈拍72.
  • 5月8日 36.3度,67.0kg,血圧119/78,脈拍78.
  • 5月9日 36.2度,66.6kg,血圧119/83,脈拍72.
  • 5月10日 36.5度,67.0kg,血圧119/80,脈拍73.
  • 5月11日 36.3度,67.7kg,血圧116/78,脈拍79.
  • 5月12日 36.5度,67.4kg,血圧121/76,脈拍69.
  • 5月13日 36.5度,67.2kg,血圧120/78,脈拍69.
  • 5月14日 36.6度,67.2kg,血圧116/78,脈拍75.
  • 5月15日 36.6度,67.2kg,血圧121/81,脈拍74.
  • 5月16日 36.5度,66.8kg,血圧111/80,脈拍68.
  • 5月17日 36.3度,66.7kg,血圧121/81,脈拍71.
  • 5月18日 36.4度,67.1kg,血圧126/78,脈拍77.
  • 5月19日 36.4度,67.0kg,血圧122/82,脈拍68.
  • 5月20日 36.5度,68.0kg,血圧125/79,脈拍72.食べ過ぎ.
  • 5月21日 36.6度,67.5kg,血圧122/80,脈拍76.
  • 5月22日 36.5度,66.7kg,血圧112/82,脈拍72.
  • 5月23日 36.5度,66.9kg,血圧113/77,脈拍66.
  • 5月24日 36.4度,67.4kg,血圧125/78,脈拍71.夜の薬を飲み忘れた疑惑.
  • 5月25日 36.4度,67.3kg,血圧121/77,脈拍66.
  • 5月26日 36.3度,66.7kg,血圧118/81,脈拍72.お腹痛くて下痢だった.
  • 5月27日 36.4度,66.8kg,血圧118/75,脈拍72.
  • 5月28日 36.3度,66.9kg,血圧111/81,脈拍74.
  • 5月29日 36.4度,67.2kg,血圧128/78,脈拍78.
  • 5月31日 36.6度,67.7kg,血圧123/77,脈拍69.
  • 6月1日 36.5度,67.8kg,血圧118/81,脈拍75.
  • 6月2日 36.5度,67.6kg,血圧115/79,脈拍75.
  • 6月3日 37.4度,67.6kg,血圧111/73,脈拍99.風邪で死にそう.
  • 6月4日 36.7度,67.5kg,血圧113/82,脈拍78.あと一息で治るかも?
  • 6月5日 36.7度,67.0kg,血圧121/71,脈拍73.喉と頭が痛い.
  • 6月6日 36.4度,66.8kg,血圧119/79,脈拍76.喉が痛くて咳が出る.
  • 6月7日 36.6度,67.1kg,血圧115/83,脈拍78.咳と痰.
  • 6月8日 36.6度,67.0kg,血圧121/81,脈拍78.咳と痰.
  • 6月9日 36.4度,67.1kg,血圧120/77,脈拍78.咳と痰.
  • 6月10日 36.3度,66.7kg,血圧122/77,脈拍77.咳と痰.
  • 6月11日 36.4度,67.0kg,血圧116/81,脈拍74.咳と痰.
  • 6月12日 36.5度,66.8kg,血圧118/80,脈拍76.咳と痰.
  • 6月13日 36.7度,66.8kg,血圧115/81,脈拍81.咳.
  • 6月14日 36.4度,67.1kg,血圧114/82,脈拍72.咳.
  • 6月15日 36.7度,67.8kg,血圧116/80,脈拍76.ゆるい咳.腰痛ヤバイ.
  • 6月16日 36.2度,67.3kg,血圧121/81,脈拍75.ゆるい咳.腰痛ヤバイ.
  • 6月17日 36.7度,67.4kg,血圧118/80,脈拍78.ゆるい咳.腰痛ヤバイ.
  • 6月18日 36.3度,67.1kg,血圧126/79,脈拍73.ゆるい咳.腰痛ヤバイ.赤かった.
  • 6月19日 36.3度,67.8kg,血圧115/81,脈拍74.ゆるい咳.腰痛ヤバイ.

矛盾と葛藤と批判と

もう皆さんはとっくに読み終えていると思いますが,内田樹先生の最終講義を未だに読み進めています.

どうにもこうにも,内田先生の教育に対する姿勢と私のそれは近いように思います.実際には,全然近くない(足下にも及ばないという意味で)ので,正確な表現をするならば,憧れているだと思います.内田先生の著作については,以前,下流志向についてエントリを書きました.今回は,最終講義の第5章「教育に等価交換はいらない」から,かいつまみつつ,思ったことをちょっと書こうかななどと思いました.いつものレビューのように書いていきたいのですが,共感した部分を引用しようとすると,全文引用になってしまうので,最終講義のレビューはできないかなって思ってます.ですので,今回は一節を抜き出して,ほんの少し書きます.

僕自身にしても,教育とは何か,学校とは何かという問いに対して,十代から様々な個人的解答を試みてきました.そして,それは全部間違っていた.だから,今僕がしゃべっているこの話にしても,構造的に間違っているんです.でも,それでいいんです.(中略)

もし,教師が「教育とは何か?」という問いに最終的な正解を自分は出したと思ったとしたら,その人は教師としてはたぶん機能しなくなってしまうでしょう.どうしていいかわからなくて,じたばたしているのが教師の常態だからです.(中略)「子どもをどう教育すればいいか,私には全部わかっている」という人がいたとしたら,その人は教師には不向きだと僕は思います.

最終講義 pp.227-228

私が学生時代にやっていたブログでは,「教育はこうあるべき」とか「こういう風に指導すべき」といった持論を展開していました.このブログにも「教育」のカテゴリがあり,約60エントリありますが,大半が放送大学の学びについてであって,教育論を論じたものはないと思います.何故そうなったのかというのは,まさにこの一節の通りです.

学生時代はTAをやっていたとはいえ,所詮は学生です.教える立場ではなく教えられる立場です.その中で,多くの授業を経験して,いいところ・わるいところを見て,「こうしよう」「あぁしよう」と思考を巡らしていました.それは「教えられる側」から「教える側」を考えていたのです.それはそれで,当時の自分としては正しかったんだと思います.その時に考え得る,できる,最大限だったと思います.

しかし今,教えられる側から教える側になって,その考えのほとんどが,間違っていたとは言わないまでも,実現可能性のない夢物語だったと気づかされました.例えば,学生時代は授業中の脇道トークが非常に重要だと考えていました.しかし,教える側になってみると,それは非常に難しいことだったのです.なんといっても,カリキュラムを普通にこなすだけで精一杯であり,脇道に手を出す余裕が全くないのです.それは単純に,自分の未熟さが原因なら良いのですが,だからといって,今の教育を適当で済ませて良いわけではありません.そして,迷ってます.どうしていいのかわからなくなっています.そして,今はどうしているかといえば,自分が考えた方法論ではなく,学生時代の先生方がとっていた方法論をそのまま使っています.つまり,劣化コピーです.でも,じたばたしてます.

文化人類学が観察した限りのすべての社会集団では,父親とおじさんはこの男の子に対して,相反する態度をとるそうです.父親が息子に対してきわめて権威的で,親子の交流が少ない社会では,おじさんが甥を甘やかす.反対に,父と息子が親密な社会では,おじさんが恐るべきソーシャライザーとなって,甥に社会規範をびしびしと教え込む.

(中略)それぞれが彼に対して相反することを言う.一人の男は「こうしなさい」と言い,もう一人の男は「そんなことしなくていいんだよ」と言う.一人は「この掟を守れ」と言い,一人は「そんなの適当でいいんだよ」と言う.同格の社会的威信を持った二人の同性のロールモデルが全く違う命令を下す.この葛藤のうちに子どもは幼児のときから投げ込まれている.(中略)

何のためにそんな葛藤を仕掛けるのか,その理由はもうおわかりですね.子どもを成熟させるためです.(中略)子どもというのは「こうすればよろしい」という単一のガイドラインによって導かれて成長するのではなく,「この人はこう言い,この人はこう言う.さて,どちらに従えばよいのだろう」という永遠の葛藤に導かれて成長するのです.

最終講義 p.233

ここでようやく主題のキーワードが出てきます.矛盾と葛藤です.私の解釈では,矛盾の渦中で葛藤することで,自ら考え,自らで選び,自らで進むことができるようになるということではないかと思います.「単一のガイドライン」というのは,いわゆる「準備されたレール」のことだと思います.この指摘は,それが正しいかどうかは別として,教師は異論を述べる立場をとりなさいということだと思います.

そして,結論として,以下の言葉に結びつけたいです.

この世界に希望をもつためには批判し続けることこそが必要だ ? Edward W. Said (1935-2003)

このブログでの座右の銘となっているサイードの言葉ですが,実は今まで薄っぺらい理解しかできていなかったようです.今までは「何かを良くしようと思ったら批判して改善していかなくてはならない.そして怠ってはならない」程度の意味だと思っていたのですが,内田先生の言葉から眺めると,また違う側面が見えてきます.つまり,次代を育成する(この世界に希望をもつ)ためには,矛盾と葛藤を与え続ける(批判し続ける)ことが必要だと言っているのではないかと感じます.

まとめ

一番大事なことは,ロールモデルとなる大人たちが異なる価値観を持っているということなんです.同一の価値観に収斂してはならない.「今の世の中はこれでいいんだよ」という人がいたら,「世の中,これじゃいけない」ということを言う人が同時にいなければならない.

最終講義 p.236

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