Home > 雑記 > 大病を患って思うところ

大病を患って思うところ

  • 投稿: 2012年05月12日 20:14
  • 更新: 2012年05月15日 10:45
  • 雑記

ちょうど寛解期を1年維持することができ,UCとしてももうすぐ3年目を迎えるので,ちょっと過去を振り返ってみようかと思います.

1年目はまさに闘病の1年で,よくわからないことだらけでした.下血してもリカバリーできるという意味では,比較的早い段階からコントローラブルでした.しかしそれは,下血したらペン注という対処療法的で,何故そうなったかという原因を切り分けることができずに,苦労しました.何度も調子を崩しているうちに,食べ物の影響はほとんどないこと,寝不足・ストレスの影響は大きいことなどがわかってきて,段々とコントロールが容易になってきました.要は,難病を盾にサボるだけの簡単な療養です.

2年目になると,薬がペンタサからアサコールに変わり,それを機に体調が大幅な改善を遂げました.アサコールのおかげで,UCは寛解期と呼んで差し支えない状態に固定することができました.一方で,UCが改善したにもかかわらず,なかなか調子が上がってこず(単なる甘え,怠け),昨年全く研究していなかったために業績を出せない焦燥感と,次年度は就職活動をしなければならない不安感で,精神面はどんどん不調になっていきました.この頃は,精神的に不安定すぎて,心療内科に通うことも検討しましたが,精神的に荒廃状態であったため,心療内科に行くという決断ができませんでした.ここで,誰かが無理にでも連れて行ってくれれば行ったのでしょうが,自らでは決断するに至りませんでした.ましてや「病院に行くべきはおまえらだ」と考えに至るくらいには,精神的荒廃は進んでいました.しかしながら,どんなきっかけがあったのか,なにがあったのか思い出せませんが,いつの間にかその不調からも脱し,なんとか平々凡々と3年目に向かう日々を過ごしました.

そんな経験から,大病を患って思うところがあったので,書いておこうと思います.

病気で怖いことは,長期化することだと思います.大病だとしても,短期で快復する類は先が見えるので何とかなりそうな気がします.しかしながら,大病ではないとしても長期化する病気は,先の見え無さから精神的に滅入ってしまいます.この辺の感覚は実際に病気を患った人じゃないとわからないと思います.

UCに限りませんが,見た目には病人に見えない病気というのは,かなり多くあります.実際,私の場合,発症してから2ヶ月間は診断がつかなかったため,上司に報告しなかったのですが,報告して初めて体調不良だと気づかれるくらいには,内臓疾患は気づかれません.ですので,電車やバスなどで,妊婦や杖をついている人に優しくするのは当然のことと思いますが,見た目ではわからない愛護すべき人がいるということは認識しておくべきと思います.私にいわせれば,見た目でわかる人にだけ優しくするのは差別的で偽善的でしょう.もし,本当に善意があるのであれば,全ての人に優しく振る舞うと良いでしょう.それが本当の善意だと思います.

「自分の目で見て,耳で聞いたことしか信じない」という人は少なからずいると思います.私もそこまでではないですが,実体験こそ最優先しています.そのため「やってみた」とか「作ってみた」とか「行ってみた」とか,そういう類が大好きです.世の中には体験しないと分からないことはたくさんあります.だから,神は私に試練として,経験として,大病を与えたのでしょう.「自らの身を以て,その苦しみを理解しなさい」と.

私は大病を患うことで,その辛さを身に染みて理解しています.1日1日が非常に大事であること.明日も今日と同じように動けるわけではないこと.そのために,中長期的な計画をよく理解し,よく準備し,膨大なマージンを準備しておくこと.そのためには,動ける最大限の範囲で,コツコツと積み上げておかなければならないこと.そして,動けないときには,潔く積み上げたマージンを切り崩し,快復に努めること.なんといっても,多くを求めることなく,諦めること.

それらを私は身を以て理解しているので,自らの実体験として,言葉に重みを持たせて,多くの人に伝える使命があると思います.実体験からの言葉は,深く心に届くのではないかと思います.私は学もないし,齢も重ねていないし,含蓄あることも大して言えないので,嘘偽り無い体験談くらいは伝えないといけないかなって思ってます.

それから,時間の捉え方も違うと思います.発症前から「タイミング」というものの重要性は理解していましたが,発症後はことさらに思います.寛解期を長期に維持している今はそうでもないですが,活動期や不安定な寛解期においては,「タイミング」の難しさを痛感しました.例えば,学会があったとしても,それは私の体調と関係なく開催されるので,学会参加の唯一の楽しみである二次会に参加できないという,何のために学会に来ているのかわからない状態になります.それ以外でも「調子が良いときに○○に行きましょう」などと言われると,それは基本的に日程調整不能を意味します.調子の良さは自分ではコントロールできないので,調子が良いところを見計らっていると,「今日調子が良い,誰かご飯行こう」といっても誰も捕まらず,「○日に食べに行こう」となると,その日が調子良いとは限らないわけです.

同じように,「今度行きましょう」と言われたとしても,その「今度」の感覚が一般人とは大きく変わります.難病患者や長期罹患者や持病持ちにとって,長期的に調子が良いとは限らないわけで,「今度」が数ヶ月後だとして,その時に調子が良い状態を保っていられるとは限りません.健常者は時間が無限にあるかのような前提で,難病患者は時間を有限かつ短く考えるのではないかなと思います.死にはしませんが,余命と同じような感覚かと・・・.

などと言うことから,学んだことは以下の通りです.

人生を生き抜いていく上で,最も大事なものは,金でも学でも人脈でもなく,健康です.

Home > 雑記 > 大病を患って思うところ

Return to page top