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大学と社会(’08) 第15回

第15回は「21世紀の大学-政策的観点から-」です.

1990年代に始まる現在の大学改革の特徴は,政府自らが改革に乗り出すというよりは,政府が各大学の改革努力を促し,それによって大学革命を実現するという新たな手法を採用したところにある.政府自身があるべき1つの大学像を示すのではなく,政府が大学改革の方向性を誘導するような制度の枠組みを作り,具体的な改革を各大学の選択や判断に委ねようとするところに特徴がある.近年の規制緩和の流れの中で,政府の政策の基本は,制度の枠組みの中での判断は民間事業者の事由だが,あとからその判断の妥当性や事業を評価し,その結果によって適切な行政処分を行うという方向に変わりつつある.すなわち,大学による教育課程の工夫が大幅に自由化されたことになる.これによる教養教育の弱体化という思わぬ副産物もあったが,大学の個性化の促進に果たした役割は大きかった.

大学評価は1991年の大学審議会答申によって導入されたが,当初は大学自らが点検し評価するという「自己点検・評価」制度であった.しかし,1988年の答申に基づく第三者評価,2004年にはすべての大学が7年に1回,文部科学大臣が認証した評価機関による評価を受けなければならないというように,制度が進化した.

学生の就職にあたって,いわゆる日本的雇用慣行すなわち「若年時新卒一斉定期採用」の中で,学生の素質が企業にされれば良く,学生が大学で何を学んできたか,その結果どのような能力を身につけることができたのか,ということはさほど問われることがなかった.すなわち,大学は入学試験をしっかりとやって学生の潜在能力を評価しておけば,企業はその評価を学生の潜在能力の指標として信用し,就職の際に大いに参考にしてきた.しかし,18歳人口の減少によって,かつては受験生はお互いに競争して少しでも良い大学を目指したものであったが,いまや逆に,多くの大学は学生から選ばれる対象になりつつある.

従来のように,18歳の若者を難しい入試によって選抜し,これをもって潜在能力を判別し企業に送り出すという,安易な役割とは決別しなければならない.また,教員の個人的関心に基づくアカデミックな学問研究の一端を切り分けて,学生に学問研究の楽しみを話しても,多くの学生には受け入れられがたくなってきた.教育内容には最新の注意と準備が必要になってきた.これらは,大学の教育研究のあり方の核心に迫る問題である.

18歳人口は2009年頃まで減り続け,2010年代になると120万人台で安定化する.しかし,その先にさらなる現象があり得るということが重要であり,厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が2006年に公表したデータによれば,今世紀半ばには,18歳人口は70万人程度にまで減少すると考えられている.

すなわち,我々はもはや18歳人口にのみ頼って大学経営を続けることは困難である.大学を若い時期に限った教育機関として捉えるのではなく,人生のあらゆる段階で,いつでも教育を受け直すことのできる教育機関として位置づけ直す必要がある.以前のように変化のあまり大きくなかった社会においては,若いときに1度大学教育を受ければ,それで十分であったのが,知識社会化が進み,最新の知識の活用とその運用能力が求められる今日,一旦獲得した知識であっても,その陳腐化すならち役に立たなくなる状況は急速に進む.

強調部分は私による強調である.

以下は私見.博士卒後,助教として着任し,教育学の背景を持たない教育職員としての自分の有り得無さ加減に嫌気がさし,放送大学に入学し教育学のほんの基礎を勉強しているのは,全く以て無駄ではないと思った.生涯学習,リカレント教育を大学が推し進めているのであれば,何故大学教員こそ教育の現場で学び直そうと思わないのかが不思議でならない.研究ばかりしていないで,教育学ぐらいは勉強した方が良いと思う.それは学生のためになるはずである.

大学と社会(’08) 第14回

第14回は「大学と社会貢献」です.

大学の社会貢献は,学内に集積された資源の開放,つまり大学開放という方法によって行われる.日本の大学が実施している大学開放には,正課教育の開放,機能的開放,人材提供事業,施設開放,産学官連携(受託,共同研究)のおよそ5種がある.

機能的開放の代表的なものに大学公開講座があり,1995年に500校を突破し,いまや全国の国公私立大学のほぼ9割が実施している.

大学開放事業を推進するにあたり,担当する大学教員はどう考えているのだろうか?

上表によれば,生きがいを感じているのは研究活動が最も多く,ついで教育活動である.対して,開放事業に生きがいを感じているのは3割に満たない.

研究,教育,大学開放の3種の活動の相関関係を調べたのが上表である.研究活動と教育活動,教育活動と大学開放事業には,有意な相関が認められた.つまり,大学開放事業は教育活動と互いに影響し合う関係にあるものの,研究活動とはむしろ疎遠な関係にある.

強調部分は私による強調である.

大学と社会(’08) 第13回

第13回は「多様化する学生」です.そろそろ核心に迫ってきた.

1990年代初めには18歳人口は200万人を超えていたが,その後は急減し,2006年には133万人になっている.大学志願者数も90年代初めには90万人を超えていたが,2006年には70万人を下回っている.しかし一方で,進学率は一貫して上昇している.このような背景によって,各大学は学生定員を埋めるために合格率を上げて入学者を確保する行動をとった.

1990年代初めにはバブル経済がはじけ,長期にわたる不況を経験する.これにより卒業後の進路も大きく変化し,就職も進学しない,大卒無業やフリーターが急速に増え始めた.この動きは求人倍率の動きとほぼ対応している.

このような変革の中で,学力や価値観の多様な学生を選抜するために起こったのが,入試の多様化である.国公立大学の場合,1996年では一般入試が90%,推薦とその他が10%であったが,2006年には一般入試が84%,推薦が13%になっている.私立大学は一般入試が67%ともともと低めではあったが,51%にまで減少し,対して推薦が42%まで伸び,AO入試を含むその他は8%まで上昇している.

東京大学が行っている「全国大学生調査」によると進学の目的も多様化している.最も多いのが「自分の将来の方向を見つける」となっている.大学の学習に直接関わる「広い教養,ものの見方を身につける」や「専門分野の知識・理解を深める」は,3番手と4番手に位置している.一方で「社会人になるまでの時間をエンジョイする」を選んだ学生が22%にのぼっている.

1990年以降,大学が取り組んできたことには教育改革もある.代表的なものとして,学生による授業評価,FD,シラバス,GPAである.これは私見であるが,これらの教育改革に取り組んでいない,または真摯ではない大学組織は,これからの時代の生き残りは難しいのではないかと思う.特に,社会への説明責任を考えた場合,いくら大学が教育機関であると同時に研究機関であるといっても,顧客である学生またはその親に対して,優れた教育の場を提供できていることを説明できなくては全く以て意味がない.一昔前のいわゆる教授推薦があった頃ならいざ知らず,近年の就活における推薦の役立たず加減を見るに,大学は研究者の視点で学生を育成していても出口を提供できなけば,学生とその親に対してなんらメリットを与えられてないのと同じである.大学が時代の要請によって,教育機関から研究機関と変革を遂げてきたように,今,大学には就職予備校としての役割が期待されているのではないだろうか.

教育改革を矢継ぎ早に試みてきた日本の大学だが,いくつかの課題が残されている.まず,日本の学生は授業への出席時間が長い反面,授業外での学習時間は圧倒的に少ない.そのため,トータルの学習時間は各国よりも短くなっている.しかし,課外活動やアルバイトに際立った特徴があるわけでもなく,残った時間はどうなっているのか気になるところである.ところで,この結果には注意すべき点がある.授業への出席時間は長いが,その時間は勉強しているのだろうか?近年の傾向では,確かに授業への出席率が良く,真面目に授業を受けに来ているという見方ができる.その反面,授業に来ても勉強をせずに寝ていたり,遊んでいたり,はたまたそうではなくても全く集中していない学生が増えている.そのため,この結果を鑑みれば,日本は他国に対して圧倒的に学習時間が少ないと言わざるを得ない.

九州大学が欧州と共同で実施している「卒業生のキャリアと大学教育の評価に関する日欧調査」によれば,日本はグループ学習よりも教師主導の学習形態を重視している.これは他国も同様の傾向である.理論や概念枠組みが重視される一方で,経験的・実務的知識は重視されていない.

経済産業省の社会人基礎力によれば,社会人として以下の3つの能力が必要とされている.

  • 前に踏み出す力
  • 考え抜く力
  • チームで働く力

社会人基礎力は一見すると,大学教育を通じて形成される能力とは直接関連がないように思われるかもしれない.事実,こうした能力のみを取り出して育成することは難しいかもしれない.では,大学生が在学中に授業を通じて身につけたもの,何が在学中に向上したかを検討しよう.4年生になると,幅広い思考や異なる考えを受容する力が向上したと考えている反面,リーダーシップや数量的分析の向上感はさほどない.

このように,日本の大学は様々な教育改革を試みてきたにも関わらず,課題が残されている.これらの課題を克服しつつ,これからの大学,特に学士課程教育に求められるのは,学問知や専門知に加えて,それを獲得するプロセスで身につくと思われる「知を運用する能力」であろう.ユニバーサル化時代の学士課程教育に求められているのは,学士課程教育の一部分,あるいは学士課程教育に外か何かを付け加えるだけではなく,学士課程教育全体の再考なのかもしれない.

強調部分は私による.

大学と社会(’08) 第12回

第12回は「変貌する大学教師」です.がおー.

大学の機能には,教育,研究,社会サービスの3つがある.歴史的には,大学は教育の場であり,その後,大学に近代科学が導入された19世紀には大学は研究の場ともなり,20世紀には社会へのサービスが期待されるようになった.大学教員の役割は,それらの機能に対応して,教育者,研究者,社会サービスの遂行者としての3つがあるが,大学の管理運営の役割も持っている.

19世紀ドイツの研究大学のモデルは,アメリカ,日本など世界の高等教育制度に大きな影響を与えた.研究施設で,「研究を通した高度な教育」が行われ,教員と学生が学問共同体の一員としてともに真理の探究を目指した点である.いわゆる「教育と研究の統一」というフンボルトの大学理念である.19世紀後半になると,ウィスコンシン大学が「教育と研究によって州民に貢献すること」を大学の理念とした.こうして,20世紀に入ると,大学教員には,教育と研究に加えて,社会サービスという役割が加わった.

教員の職務は学校教育法第58条によって定められ,旧法では,教授は「学生を教授し,その研究を指導し,又は研究に従事する」,助教授は「教授の職務を助ける」,助手は「教授及び助教授の職務を助ける」とされ,独立した専門職としての位置づけは弱かった.新法では,助教授が廃止され,新しく准教授が設けられ,助手のうち主として教育研究を行う者のために「助教」の職を設けた.また,教授,准教授,助教の職務は,全く同一になり,その違いは,資格要件だけになった.特に,新法第58条においては,上位の者を「助ける」という規定はなくなった

これまで教授に従属して研究せざるを得なかった若手教員は,自立して教育研究に邁進できるようになった.しかし,若手教員にどの程度責任ある役割を与え,実力を発揮させるかは,各大学・大学院研究家の運営の如何にかかっている

大学教員の国際比較調査(有本・江原編,1996)によれば,「私の仕事は相当な心理的緊張を伴っている」という質問に肯定的に解凍する日本の大学教員は55.9%にのぼった.「教育活動と研究活動のどちらに関心があるか」を尋ねたところ,教育は27.5%,研究は72.5%と,全体平均(教育44.0%,研究56.0%)よりも研究志向が強かった.

最近は,外部の者による第三者評価が行われ,教員個人の教育研究などの業績が人事評価や待遇に反映するよう求める声もある.大学教員は,心理的な圧力をますます強く受けるようになっている.大学教員が力を発揮できるよう意図した制度改革が行われてきたが,それらの改革の結果,我が国の大学教育や研究活動の質が向上するか否かは,今後明らかになっていくであろう.

強調部分はすべて私による強調である.

以下は,私見.若手研究者の補助金などが仕分けられ,ポスドクが甘えだとか,博士進学は無駄だとか論じられる昨今において,研究大学は社会に対して一体どんな貢献をしているのだろうか.社会は研究大学を求めているのだろうか.優れた研究者が在籍する私立大学は,顧客である学生ならびにその保護者に対してメリットであるといえるだろうか.真に社会が求めているのは,教育大学,ひいては所詮,就職予備校なのではないだろうか.このような時代にあって,大学在籍の研究者の価値はどれ程であろうか.

大学と社会(’08) 第11回

第11回は「大学の組織と運営」です.

大学の管理運営は,歴史的に企業や官庁の運営とは異なったものであるとされてきた.しかし,大学は多様な財源を求めて教育サービスを提供するなど企業と同様の行動を取るようになり,企業的な大学運営が進められるようになってきた.

大学管理運営には,大学管理,大学運営,管理運営,大学経営など多様な用語が使われており,しばしば混乱が見られる.

大学の設置認可権は文部科学大臣に属する.大学を設置しようとするものは,中央教育審議会の審議を経て定められた大学設置基準に基づき,大学設置・学校法人審議会の審査を経て,文部科学大臣の認可を受けなければならない.

大学設置の規制緩和が進むに従って重視されてきたのは事後チェックである.2007年1月には,構造改革特区によって認可された株式会社立大学が,教員組織や教育方法が大学設置基準に違反しているとして,学校教育法による初の勧告を受けることになった.サイバー大学かと思ったらLEC大学だった.

大学の運営機構には共通する制度が置かれている.学長及び事務職員は必置であり,副学長,学部長,技術職員その他必要な職員を置くことができる.学長は「公務をつかさどり,所属職員を総督する」ものである.教授会は重要事項を審議する機関である.教授,准教授,講師,助教などの職員は,教育研究を担当し,管理運営を業務とはしないが,教授会の構成員として運営を担うほか,法令に特に定めはないものの,学科・講座などの運営に参加する.大学は学問の自由の制度的保障として自治が認められており,その内容は大学教員は教育研究の職務に関して身分上・職務上の上司の指揮監督を受けず,教育研究の自由が保障され,その身分が保障される.強調部分は私による強調です.

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