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大学と社会(’08) 第15回

  • 投稿: 2011年01月09日 00:32
  • 更新: 2011年01月09日 00:32
  • 教育

第15回は「21世紀の大学-政策的観点から-」です.

1990年代に始まる現在の大学改革の特徴は,政府自らが改革に乗り出すというよりは,政府が各大学の改革努力を促し,それによって大学革命を実現するという新たな手法を採用したところにある.政府自身があるべき1つの大学像を示すのではなく,政府が大学改革の方向性を誘導するような制度の枠組みを作り,具体的な改革を各大学の選択や判断に委ねようとするところに特徴がある.近年の規制緩和の流れの中で,政府の政策の基本は,制度の枠組みの中での判断は民間事業者の事由だが,あとからその判断の妥当性や事業を評価し,その結果によって適切な行政処分を行うという方向に変わりつつある.すなわち,大学による教育課程の工夫が大幅に自由化されたことになる.これによる教養教育の弱体化という思わぬ副産物もあったが,大学の個性化の促進に果たした役割は大きかった.

大学評価は1991年の大学審議会答申によって導入されたが,当初は大学自らが点検し評価するという「自己点検・評価」制度であった.しかし,1988年の答申に基づく第三者評価,2004年にはすべての大学が7年に1回,文部科学大臣が認証した評価機関による評価を受けなければならないというように,制度が進化した.

学生の就職にあたって,いわゆる日本的雇用慣行すなわち「若年時新卒一斉定期採用」の中で,学生の素質が企業にされれば良く,学生が大学で何を学んできたか,その結果どのような能力を身につけることができたのか,ということはさほど問われることがなかった.すなわち,大学は入学試験をしっかりとやって学生の潜在能力を評価しておけば,企業はその評価を学生の潜在能力の指標として信用し,就職の際に大いに参考にしてきた.しかし,18歳人口の減少によって,かつては受験生はお互いに競争して少しでも良い大学を目指したものであったが,いまや逆に,多くの大学は学生から選ばれる対象になりつつある.

従来のように,18歳の若者を難しい入試によって選抜し,これをもって潜在能力を判別し企業に送り出すという,安易な役割とは決別しなければならない.また,教員の個人的関心に基づくアカデミックな学問研究の一端を切り分けて,学生に学問研究の楽しみを話しても,多くの学生には受け入れられがたくなってきた.教育内容には最新の注意と準備が必要になってきた.これらは,大学の教育研究のあり方の核心に迫る問題である.

18歳人口は2009年頃まで減り続け,2010年代になると120万人台で安定化する.しかし,その先にさらなる現象があり得るということが重要であり,厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が2006年に公表したデータによれば,今世紀半ばには,18歳人口は70万人程度にまで減少すると考えられている.

すなわち,我々はもはや18歳人口にのみ頼って大学経営を続けることは困難である.大学を若い時期に限った教育機関として捉えるのではなく,人生のあらゆる段階で,いつでも教育を受け直すことのできる教育機関として位置づけ直す必要がある.以前のように変化のあまり大きくなかった社会においては,若いときに1度大学教育を受ければ,それで十分であったのが,知識社会化が進み,最新の知識の活用とその運用能力が求められる今日,一旦獲得した知識であっても,その陳腐化すならち役に立たなくなる状況は急速に進む.

強調部分は私による強調である.

以下は私見.博士卒後,助教として着任し,教育学の背景を持たない教育職員としての自分の有り得無さ加減に嫌気がさし,放送大学に入学し教育学のほんの基礎を勉強しているのは,全く以て無駄ではないと思った.生涯学習,リカレント教育を大学が推し進めているのであれば,何故大学教員こそ教育の現場で学び直そうと思わないのかが不思議でならない.研究ばかりしていないで,教育学ぐらいは勉強した方が良いと思う.それは学生のためになるはずである.

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