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放送大学
あなたが放送大学で学ぶべき8つの理由
- 2011年11月20日
- 雑記
みなさん,勉強してますか?人間という生き物は低きに流れる生き物なので,学び続けないと学び続けられなくなるし,衰えるし,知識が古くなります.生涯にわたって教育を続けていくことを生涯学習とか,リカレント教育などといいますが,日本は遅れまくっていて,TPPやら国際化やらの波に飲み込まれたとき,日本人終了のお知らせが流れる可能性が高いです.
さて,そんなときに,「よし!学びを再開しよう!」と思ったとき,どうすればいいでしょうか?日本の大学は生涯学習に興味がないので,そういう取り組みをしている大学は本当に少なくて,不幸の極みです.最も真剣に取り組んでいるのは,間違いなく放送大学でしょう.
放送大学ってどんな大学?
放送大学は放送大学学園(文部科学省・総務省所管)によって設置された正規の大学です。 学士・修士の学位取得やキャリアアップ・自己実現など、生涯学習を目指す方を応援します。
放送大学はよく国立大学だと思われていますが,私立大学です.放送大学の特徴としては,以下のようなことが挙げられると思います.
- 約300科目の講義が開講されている
- 面接授業,放送授業(テレビ,ラジオ)がある
- 授業料は1科目11000円(テキスト代込み)のみ
- 8万人の在学生がいて,なかなかのマンモス大学
- 全国57カ所(各都道府県に最低1カ所はある)に学習センター・サテライトセンターがある
- 条件によっては満15歳から入学可能
というわけで,僕は教育者として,日本人が明るい未来を作り出すための手助けをする義務があるので,あなたが放送大学で学ぶべき理由を説明してきたいと思います.
放送授業はタダ
放送大学の放送授業は,地上波だと関東圏の一部でしか流れていません.しかし,2011年10月より,CS放送からBS放送になり,全国の皆さんが視聴しやすくなりました.これらの放送は公共の電波を使って,無料で配信されています.WOWOWのようなスクランブルはかかっていません.ということは,視聴するのはタダです.見るのも聞くのもタダです.タダで学ぶことができます.なのに,学ぼうとしないあなたは,ただ怠けているだけです.学びの機会を自らの意思で逸しているのです.これは実に不幸なことです.
もし,テキストが欲しいと思ったら,アマゾン等の書店で購入することができます.放送大学に入学して受講すれば,1科目11000円でテキストが付いてきて,しかも単位認定試験に合格すれば,単位ももらえてしまうという,お値打ち価格になっています.
大学卒業を目指そう
放送大学は大学ですから,全科履修生として入学し,所定の単位を取得すれば,学士(教養)を取得できます.放送大学は通常,1科目2単位です.卒業要件としては124単位ですから,単純には62科目の履修が必要になります.しかし,放送大学の良いところは,4年で卒業しなくてはならないという,悪しき圧力はありません.何年かけて学んでも良いのです.在籍年数は10年となっているので,それまでにとっても良いですし,一旦退学になった後に,再入学でも良いのです.また,既に大学を卒業している人や短大卒などの場合,編入扱いで,いくつかの単位が認定される場合があります.学びは自由です.自分が学びたいように,自分で計画して,自分のために学ぶことができます.それが放送大学です.他大学はどうでしょうか?
大学院もあるよ
放送大学には大学院もあり,修士(学術)の学位が取得できます.ということは,もちろん研究もできます.当然ながら,学部において,卒業研究をすることもできます.
意識の高い学生,すごすぎる講師陣
放送大学は無試験入学の全入大学ですが,学生の学びに対する意識は高いです.私が思うに,日本で最も学習意欲が高い大学だと思います.東大?はぁ?入学時に頭が良いだけで,半分は入学後に遊んで暮らしてるだろ.そして,それら学生を指導する講師陣もこれまた普通じゃない凄さです.恐らく,これだけの講師陣を要する大学,日本でここだけだと思います.何故なら,東大名誉教授やら,京大名誉教授やらがゴロゴロいて,時代の最先端を牽引してきた一線級の講師陣が勢揃いです.心理学系の講師だと「河合隼雄先生に師事した」とか「小此木啓吾先生に師事した」とかいう,超すごい先生たちがゴロゴロでてきます.日本で最も優れた講義は,放送大学で繰り広げられているのだよ!
グランドスラムを目指そう
放送大学教養学部には以下の5つのコースがあります.
- 生活と福祉コース
- 心理と教育コース
- 社会と産業コース
- 人間と文化コース
- 自然と環境コース
来年度から,情報系のコースができるとかいう噂を聞きましたが・・・.これら5コースすべてを卒業すると,グランドスラムとなり,名誉学生になります.名誉学生になると,入学金と授業料が免除になるという,何とも神々しい名誉を与えられます.これを目指さずに,何のために生きているのか.ポイズン.
学割が使えるよ
正規の大学ですから,学生は学生としての権利を行使することができます.つまり,アドビやマイクロソフトやアップルのアカデミックディスカウントが利用できます.また,携帯電話各社の学割も適用されます.JRの学割は通信制大学のため,適用がありません(あるにはあるけど,特殊な扱いになる).なんといっても,飲み会などで「学生,手を上げて」で手を上げることができます.学生料金になるかどうかは人徳だと思います.
図書館が超強力
これだけのために放送大学に入るのはありだと思うくらいに,強力です.以下のような電子図書が閲覧可能です.
- NetLibrary
- JapanKnowledge
- CiNii
- 日経BP記事検索サービス
- ScienceDirect
- SpringerLink
- JSTOR (The Arts and Sciences I Collection)
- DOAJ (Directory of Open Access Journals)
すごいです.私の現所属組織はSpringerを契約していないので,放送大学の学生として読めばいいのです.
【主に情報系研究者方面で所属機関の契約が貧弱で電子ジャーナルの利用が困難な方々へ】放送大学が超強力な件について lib.ouj.ac.jp/search/e-journ…
— 田中実(SCIS2013非公式アカウン)さん (@k4403) 11月 15, 2011
すごすぎます・・・.
色々な資格が取れるよ
放送大学では以下のような資格を目指すことができます.
- 教員免許状(教職課程がないので免許状の新規取得は不可)
- 司書教諭
- 看護師国家試験受験資格
- 学士(看護学)の学位取得
- 認定心理士
- 臨床心理士(受験資格)
- 学芸員
- 司書
- 社会教育主事
- 社会福祉主事
- 介護教員講習会(一部履修可能)
- 税理士試験(受験資格)
- 社会保険労務士試験(受験資格)
- 臨床工学技士専攻科入学資格試験(受験資格)
まとめ
あなたが求めている学びが,そこにある.それが,放送大学.
人間の考える力
- 2011年11月14日
- 教育
認知科学の展開(’08)第3回から抜粋です.
人間や動物に関わるあらゆる学問において,「nature or nurture?」問題は大昔から一大テーマであり続けている.この疑問は,認知科学でいえば,我々個々人が持っているさまざまな心的能力や行動特性が「遺伝によっているのか,環境によっているのか」という疑問になる.言い換えれば「先天的か後天的か」となる.しかし,野生児の研究や生得的解発機構に関する研究などから得られた過去の知見から,人間は「遺伝」という基礎のもとに,環境からのさまざまな「経験」によって,つまりは「nature and nurture」によって,人間になっているといえるだろう.
よく教育に関して,次のような意見が交わされることがある.「知識偏重,記憶偏重の試験を止めた方が良い」「本当の意味での考える力を育てる教育をすべきである」.このような意見に反対する人はいないであろう.このような思いは現代の日本のみならず,大昔から,しかも洋の東西を問わずにあるものではないかと思われる.では,何故いつまでもこうした思いは続いているのであろうか.何故誰もが嫌がる知識偏重型の試験を止めて,本当の考える力を測る試験を行わないのであろうか.極論すれば,この疑問への答えは次のどちらかでしかない.
結局,このどちらの答えが正しいかは,人間の知力・考える力というものがどのようなものであるかについて,正しくそして詳細に解明されない限り,答えることができない.残念ながら,人類は未だに,人間の知の働きの特徴と知の仕組みを明らかにはしてはいない.
ここで次のような問題を考えたい.
この問題を解こうとする際に感じることを率直に述べてもらうと,意外に多くの人が,この問題は難しく答えに自信がない,と報告する.また,実際の解答もいずれかに集中することはなく,それぞれある程度の割合を得る.これは,老若男女,さまざまな年代,さまざまな職業の人に解いてもらった結果からいえるものである.
次に以下の問題を考えたい.
先の問題に比べて,この問題は易しく感じる.この2つの問題を並べてみると,気づき始める人も多いが,実はこの2つの問題は,物理学的には全く同質の問題である.何故,物理学的には同質の問題であるはずなのに,多くの人にとって,飛行機の問題は難しく,崖の問題は易しいのだろうか.
ここで,さらに以下の問題を考えたい.
これらも飛行機と崖の問題と同様に,カードの問題は難しく,封筒の問題は易しく感じられる.実はこの問題も論理学的に同質の問題である.今,我々の心的機能に,記憶や知識とは無関係な「本当の考える力」があると仮定する.これらの機能をコンピュータ内部に喩えれば,記憶や知識はデータベース,本当の考える力は処理アルゴリズムと考えることができる.もし,我々人間の思考能力がコンピュータのような処理手順のみによって支えられている能力であるならば,物理学的に同じ思考を要求する問題も論理学的に同じ思考を要求する問題も,解答に違いが出たり,難しさに違いが出たりはしないはずである.しかし,人間は物理学的に同質の問題や論理学的に同質の問題に対して,異なる答えを出し,異なる難易度を感じる.
この答えは,自分の記憶の中に,その問題場面に似た経験や知識がある場合には易しく,そうでない場合には難しくなるのである.つまり一般的にいえば,人間の考える力は,知識や記憶や知識などと無関係であるとはいえないということである.我々人間の「考える力」とは,我々が思っている以上に,記憶や経験や知識に基づいているものなのではないだろうか.そして,過去の経験の記憶を使って,いま目の前にある問題に対して,妥当な答え・予測を導き出そうとする力といえそうである.
かしこくなる患者学(’07)
- 2011年11月06日
- 教育
今学期受講している4科目のうち,「かしこくなる患者学(’07)」を聴講し終えたので,簡単なまとめをしておく.この科目はラジオ講義なのだが,仕事・所得と資産選択(’08)と同じくらいに面白かった.主には主任講師のキャラだと思うが.
エンパワーメント
OECDでは各国の医療制度を評価する基準として,「公平性」「効率性」「有効性」「エンパワーメント」の4つをあげている.日本の医療制度は公平性は優れているが,効率性と有効性は十分ではなく,エンパワーメントについては非常に遅れている.エンパワーメントという単語そのものは「能力をつける」「権限を与える」という意味である.1人ひとりの自己肯定感や自尊心を回復し,個人が内側からやる気になるというモチベーショナルな側面と,自分の人生のさまざまな選択において自己決定をし,自分で統御していると感じ,医療者に権限委譲をし,医療に決定参加するという人間関係の側面を持っている.さらには,社会資源を再検討し,条件整備を行っていこうと自分の属する社会の構造に影響を与える過程にもなる.これが「アドボカシー」という言葉になる.(以下私見)UCの主治医と私の関係はまさにこれに該当すると思う.主治医は治療に必要な環境や手段を提示し,私がそれを選択する.だから,薬がペンタサからアサコールに変わったり,ペン注を間欠投薬したりできた.入院していないのも,プレドニンを使っていないのも,同様である.
エンパワーメント患者になるために
- イメージトレーニング
- 生きることを決めること
- 今日は素晴らしいことが始まるぞ,と思うこと
- 元気になった,よかった,ありがとう,と思うこと
- 病状の変化・管理を自分でやる
- 良いこと探し
(以下私見)2番だけやってます.医者に「どうですか?」と聞かれて「いつもと同じです」というのは答えになっていない.「○○は××で変わりないです」などと答えるのが正しい.医者は私のことは知らないのだから,説明しなくてはならない.
セルフマネジメント
セルフマネジメントのスキルは次の5つである.
- 問題解決
- 自己決定
- 諸問題,諸手段の有効活用
- 医療サービス提供者とのパートナーシップを有効なものに発展させる
- 行動を起こす
米国がん協会は「I Can Cope」というプログラムを作った.患者が自分で病気を理解し,治療のために対処方法を学ぶと,患者が自分で自立を促進することができる.I Can Copeプログラムは以下の通りである.
- 診断と治療
- 治療の副作用
- 感情と自尊心
- がんとつきあう
- コミュニケーション技法
- 地域リソース
- 経済的問題
- 疼痛管理
- 栄養管理
- 疲労対処
エンパワーメントの効果
エンパワーメントの効果としては,症状の厳しさが低減し,疼痛緩和がはかられる.また,生活管理ができ,活動性が高まり,生活諸手段や環境が改善することで生活の満足度が高まる.医者と患者のコミュニケーションが改善し,治療のコンプライアンスが高まり,医療効果も高まる.実際「セルフマネジメント」の実施によって,症状が15~30%軽減し,最良の医療サービスによって症状が40~60%軽減する.そして,医療サービスと「セルフマネジメント」を併用することで,症状は55~90%も軽減する.(以下私見)プラセボだと言われようとも,ただ漫然と与えられた薬を飲むのと,自らがこれなら効くだろうと信じて選んだ薬を飲むのでは,わけが違うと思う.
アドボカシー
セルフ・アドボカシーとは,個人が医療提供者に,家族に,友人にどのようにコミュニケーションするかである.病気であることを開示するか,公表するかが問題である.困ったことは主張しないと,変わらない.これからのかしこい患者は,よく勉強し,情報を知るとともに,発信することも重要である.不平不満をいう,我慢とあきらめの時代は終わったのである.(以下私見)このブログがまさにそれである.
細胞の命と人間の仕組み
人間は約60兆個の細胞からできている.細胞病理学の父・ウイルヒョーは「全ての細胞は細胞から生まれる.細胞が死ぬから生命が終わる」と細胞死が個体死の原因と考えた.しかし,脳神経の大部分が変性壊死に陥った脳死患者でも,栄養管理と感染防御を徹底させれば,心,腸,肝,膵,腎,筋肉等の組織細胞はきわめて健康であり,心臓が止らない限りきわめて長期間健康で生きながらえる.最も重要と思われる脳細胞の死といえども,個体の死に直結していない.
もともと細胞は死ぬようにつくられている.「ネクローシス」は細胞の受身の死で他殺という病的な死であるが,「アポトーシス」は遺伝子にプログラムされている細胞消滅の自殺死である.身体は,不要な細胞や損傷した細胞を積極的に排除して,どんどん入れ替えている.したがって,全ての細胞は自然に死ぬべき寿命が決められている.
生命を維持するために,毎日約500リットルの酸素を燃やし,莫大なエネルギーを費やし続けることが必要である.1人の人間の動脈,静脈,毛細血管と合わせて,全長が約10万キロメートルで酸素を全身に運ぶ.水に溶けにくい酸素を体内に溶かすには,約100トンもの体液が必要となる.わずか5リットルの血液しか持たないヒトは,酸素を赤血球のヘモグロビンに濃縮結合し,これを全身に循環させることによりこの難点を解決している.しかし,赤血球だって疲れるので,約120日の寿命で新しいものに変わる.
身体には,傷を受けても病気になっても勝手に治ろうとする力が備わっている.これを「自然治癒力」という.これは以下の3つの力に分けられる.
- 恒常性維持機能(色々な変化に対して身体を正常な状態に保つ力)
- 自己再生機能(傷を負っても,元に戻ろうとする力)
- 自己防衛機能(細菌やウィルスなどの外敵と戦う力)
ストレス
ストレスとは本来,生物が外的あるいは内的な刺激に適応していく反応とプロセスのことをいう.どんな時でも,生物の身体に何らかの反応を起こさせるものが「ストレッサー」であり,刺激の種類に関係なく,それにより生体に生じる反応が「ストレス」である.ストレッサーは大きく5つに分類できる.
- 物理的:温度,騒音,光,部屋の狭さ
- 化学的:排気ガス,酒,たばこ,アルコール
- 生物学的:細菌,カビ,花粉,ウィルス
- 心理学的:怒り,不安,不満,悲しみ
- 社会的:配偶者の死,転勤,失業,借金
普段の生活でストレスを感じている人は,男性で76.9%,女性で84.2%にものぼっている(平成14年国民栄養調査結果による).ストレスに対処することを「コーピング」というが,これには4つの方法がある.
- 直接対処する
- ストレスの状況の解釈を調節する
- ストレスの状態をコントロールする
- ストレスから一時的に逃げる
コーピング方略を実行するかどうかを規定する要因には以下のものがあれば,コーピングしやすい.この要因を高める方策がエンパワーメントである.
- ストレッサーに対する認知的評価
- 自己効力感
- 問題解決スキル
- 社会的スキル
- ソーシャル・サポートなどの役割
スピリチュアル・ケア
患者には病気に対する4つの出会いがある.
- 日常の出会い:軽度の感染症や外傷,保証,検査
- ドラマ的出会い:危機や悪い知らせ
- 変化の儀式的出会い:新たに慢性疾患の診断が下されるというような,突然の難題を抱えること
- 維持期の儀式的出会い:小児や出生前の診察や,慢性疾患の管理のための診察などの出会い
これらを視点を変えて生きる喜びを見出させることがスピリチュアル・ケアである.
笑い
「笑いを取る」というのは,人をどうにかして笑わそうとする行動である.原始的伝染とは相手の表情を知覚して,それを模倣することである.補足運動野として知られている左前頭葉の一部を刺激したら,必ず「笑い」だけを喚起することがあるという.人の脳には,相手の感情を読み取るミラーニューロンがある.これが働くと,つられ笑いが起きる.共感するのがミラーニューロンである.笑いの医学的効果として,以下のものがある.
- 副腎ホルモンが変化
- セロトニン神経の活性化
- 副交感神経優位
- 血糖値が下がる
- 脳内麻薬が出る
- 免疫能が高まる
補完・代替医療
近代西洋医学に対して,東洋の鍼・灸・漢方などの伝統医療,スイスや英国のハーブ医療は,通常の医療に置き換わる代替医療や,通常の医療を補完する医療とし,両者を合わせて補完・代替医療と呼ぶ.WHOの定義によれば,伝統医学は多様な文化的背景に根ざす風土固有の規範,信念や経験に基づく知識,技能,実践法が集約されたものであり,その体系が説明可能であるかどうかによらず,人々の健康維持とともに,身体的,精神的な病を予防,診断,改善あるいは治療する手段として利用されてきたものである.
漢方薬局では,処方箋調剤,メーカーの表示を読んで自己判断で一般の人が服用できるもの,薬局医薬品製造業の許可のある薬局が製造する薬局製剤の漢方薬の3種類を扱う.厚生労働省で,あんまマッサージなどの指圧師,鍼師,灸師と組み合わせて鍼灸マッサージ師は三療師といわれ,国家資格が認められていて無資格施術はできない.
補完・代替医療の種類は,次のように大きく9つに分けられる.
- 古くからある伝統的療法や民間療法
- 用手療法
- 心理療法
- 食事療法
- 健康食品療法
- 薬用・香料植物療法
- 薬理学的療法
- 免疫療法
- その他
富山医科薬科大学では,和漢薬による治療を日本ではじめて行ってきた.対象は以下の通りである.
- 原因の分からない病気や明らかな病態の見いだせないもの
- 病気の原因は分かっていても治療法の確立していないもの
- 副作用などで現代医学の治療法が受けにくいもの
- 心と身体の異常が絡み合っている病気
- 病変があちらこちらにわたり愁訴の多いもの
テキサス大学のMD Anderson Cancer CenterのIntegrative Medicine Programでは以下の7つのカテゴリのComplementary / Integrative Therapyが各臨床部門との連携の元に行われている.
- Alternative Medical System
- Herbal/Plant Biologic Therapies
- (Non-Plant) Biologic Therapies
- Nutrition & Special Diets
- Manipulative & Body-based Methods
- Energy Therapies
- Mind-Body Approaches
安全に高い質の医療を受ける
安全に医療を受けることは患者の権利である.患者の権利は,できてきた段階により4段階に分けられる.第1段階は,患者が最低限の人間扱いされるように求めたものである.第2段階では,かわいそうな患者として意識のない人,意思の表示ができない人にも権利があるというものに発達してきた.第3段階は,患者1人ずつの個人の尊厳を求めたものである.そして,第4段階は患者に対して医療消費者としての義務が加わったものである.
病院の種類
公的病院は,医療制度上の分類として,医療法で特定機能病院と地域医療支援病院の2つに定められている.特定機能病院とは厚生労働大臣の承認を受け高度な医療を提供し,高度な医療技術を開発し,医療研修を行う目的で設立された病院で,全国の79の大学病院および国立循環器病センターと国立がんセンターの計81施設が承認されている(2005年現在).地域医療支援病院とは,厚生労働省が定めた県に数個ずつある,地域密着型で高度な医療を行う病院である.
厚生労働省は,医療サービスを地域密着の一次医療圏,一般的な医療サービスを行う二次医療圏,高度な医療を行う三次医療圏という考え方をしている.三次医療圏とは,ほぼ県1つに該当し,二次医療圏は必要性に応じて各県で数個ある.地域医療支援病院は,二次医療圏に1個あるが強制ではないので,患者移動が首都圏と京阪奈に多い.
救急体制
都道府県ごとに作成される医療計画において,初期,第二次,第三次救急医療の体制も整備されている.初期救急とは入院や手術を伴わない医療であり,休日夜間急患センターや在宅当番医などによって行われる.第二次救急とは,入院や手術を要する症例に対する医療である.第三次救急とは,第二次救急まででは対応できない心筋梗塞や脳卒中,頭部損傷等,重篤な疾患や多発外傷に対する医療であり,救命救急センターや高度救命救急センターがこれにあたる.
外傷では,「ABCルール」を覚えておこう.A(airway)は気道確保と頸椎保護,B(breathing)は酸素投与と換気,C(circulation)は外出血のコントロールと循環の維持である.
セカンドオピニオン
ファーストオピニオンは重要で,主治医に自分の病名,進行度と治療方針の説明をしっかりと聞く.加えて患者本人が,自分で治療法や治療医を選ぶために,主治医とは別の医師の意見を聞くのがセカンドオピニオンである.がんの場合のセカンドオピニオンの医師の選択は,外科医,放射線治療医,化学療法専門の内科医,および大学病院やがんセンターなど専門的に特定の疾患の治療を行っているところであるなど,専門性のある病院や医師が最適である.
医学部の卒前のコア・カリキュラム
医師になるためには,教養教育,臨床前医学教育,臨床実習という6年間の医学教育課程がある.基本事項は,医師としての素養や資質と能力として必要な患者中心の医療の実践,安全への配慮,信頼される人間関係,自ら問題を発見する姿勢や研究への動機づけなどを含む課題探求・問題解決能力の育成などで,単なる知識の獲得よりも,今日の医学・医療の現場と,一般社会から強く求められている教育内容である.
一般的な医学教育
学習者が,学習によって,より望ましい状態に変化するために,一般目標(General Instruction Objective : GIO)と行動目標(Specific Behavioral Objectives : SBOs)を明示する.学習者がすべての行動目標ができることになれば,その総和として一般目標に到達できる.
現在の日本の医学教育で行われていない教育は,専門医師のものでは,家庭医医療,放射線治療,腫瘍内科,チーム医療,補完・代替医療,感染症対策,医療管理などである.
医療コミュニケーション
医師が「どうされました?」といったとき,患者は1番困っている症状を1つだけいう.それについて「もっと詳しく話して下さい」という質問が医師から出る.そうしたら患者としては,次の8つのことを話すようにする.
- 症状のある部位
- 症状の性質
- 症状の持続時間
- 経過
- 症状の起きる状況
- 症状を憎悪,寛解させる因子
- 症状に随伴する他の症状
- 症状に対する自分の対応
良い医師にかかりたい場合には,患者は次のことを注意して伝えるようにすると良い.
- 心理的・社会的情報
- 病気や医療に関する考え
- 検査や治療に関する希望
- とくに心配していること
- 無駄な言葉は使わない
- 大きな声で,明瞭に,ゆっくりと
また,医療面接の場で,患者として特に気をつけなければならないのは次の3つである.
- その病気について1番知りたいことを整理しておき,それを1番先に話す
- 知ったかぶりをしない
- 世間一般の常識を忘れないこと
病院の広告
以前は病院の広告は,医療法によって厳しく内容が規制され,医療機関の名称・所在地・診療科目くらいしか公表できなかった.しかし,2002年からはこれに加えて,医師の略歴,手術件数,分娩件数,平均在院日数,医療機能評価機構の認定結果,専門医資格,セカンドオピニオンの対応なども公表できるようになった.これは患者に医療情報を公開し,患者の選択の幅を広げ,最終的には医療の質が改善されることを目指しているのであろう.
日本の専門医制度の現状
医師は,麻酔科を除く診療科については法令上認められたすべての診療科名を標榜することができる.ある診療科の病気に対して専門的な知識や技能を持っている医師がいるときに,その医師を専門医などと呼んでいる.この専門医は国が認定しているわけではなく,各学会独自に認定の条件を決めている.この専門医が,事実上わが国で唯一の公的な医師の技術や知識レベルの専門性を示すものとなっている.わが国ではこれらの専門医資格を取ったからといって,医師の待遇が変わることは少ない.欧米では報酬増に繋がるのが一般的である.(以下私見)なので,病院の診療科名では最初に書いてあるものが得意な診療分野になっているので,病院を選ぶときに役立つ知識だと思う.
第三者による病院の評価
日本医療機能評価機構は1995年に設立され,医療機関の機能を第三者評価する機関である.病院から提出される書面に基づく審査と,評価調査者が実際に病院に出向いて行う訪問審査からなっている.
医療の質を直接的に評価するための指標を臨床評価指標という.わが国ではまだこの臨床評価指標は公的に確立していない.米国ではJCAHOが行っており,病院の格付けに使われている.
医療の質
もともと医療は患者の物語に基づいた医療(Narrative Based Medicine : NBM)だったが,西洋医療の発達で医師の経験からくる医療になった.それが見直され,証拠に基づいた医療(Evidenced Based Medicine: EBM)で目の前の患者を論理的に治していこうというようになった.医療制度においては証拠に基づいた医療管理(Evidenced Based Healthcare : EBH)が始められ,数字を元に,厚生労働省の政策も変わってきた.
医療の質はストラクチャー,プロセス,アウトカムで表されてきた.ストラクチャーは設備であったり,看護師の数などのシステムである.アウトカムは,生または死,病気,精神的心理的解剖学的構造や機能の喪失,行動や活動を行う能力が制限される障害,能力の欠如からハンディキャップを持った状態などである.しかし,病人にとっては,病気の経過と医療のプロセスがそのまま医療の質である.一般によい医療の質とは,アクセスがよく,利用しやすい,的確で現在の医療水準に照らして正しい,継続性,効果的,潜在的な効能,効率的でコストパフォーマンスが高い,タイミング良く対応が迅速,公平・公正,倫理観・価値観・規範・法制度に則すること,患者の視点・患者の満足,医療環境の安全性などがあげられている.
患者の権利
患者の権利については,世界医師会による患者の権利に関するリスボン宣言(1981年採択,1995年改訂)が有名である.この宣言の中では以下のような権利が挙げられている.
- 良質の医療を受ける権利
- 医療機関を選択できる権利
- 十分な説明を受け,自己決定できる権利
- 患者の意思に反する行為を行わない
- 自己の情報を得る権利
- 尊厳や自己の秘密を尊重される権利
- 保健教育を受ける権利
- 宗教的な援助を受ける権利
対して,患者の責務としては,以下のようなものがある.
- 自分の健康に関する情報を提供する義務
- 治療上のルールを守り,治療に参加する義務
- 医療費を支払う義務
EBMにおける医学的根拠の吟味
EBMにおける医学的根拠として症例対照研究やRCTがある.症例対照研究は,ある時点から遡る方法で研究するものをいい,後ろ向きの研究である.例えば,タバコが肺がんの原因になっているかどうかを調べる場合,ある時点で肺がんになっている人を集め,喫煙の経験を聞く.その他に,肺がんでない人も集めて,喫煙経験を聞き,肺がんの人との比較をする.
RCT(ランダム化比較対象試験)は現在のところ,新しい薬物の治験だけでなく,薬物治療,リハビリテーション,手術法,放射線治療などあらゆる治療法の評価の基準といわれている.ある治療法が科学的に有効であると判定されるには,次の条件が満たされる必要がある.
- 対象を選択する際のランダム化
- 二重盲検法
RCTのデータ解析でも注意すべき点が指摘されている.例えば,臨床試験を最後まで履行した患者だけを解析の対象にすることにすると,偏りは避けられない.副作用があって来院しなくなったかもしれないし,効かなかったので来なくなったのかもしれない.逆に効いたのでもう良いと思ってこなかったのかもしれない.
また,RCTの問題点もある.臨床試験で対象とした患者は,きちんとインフォームドコンセントを得ることができた人たちであり,ある意味で自分の病気に対する意識の高い人たちである.また,難治例は医者があらかじめ選ばないということもあるので,一般に経過が良くなる可能性が高い.大きな問題は,このような臨床試験での対象患者には,高齢者・小児・妊婦・合併症のあるものなどは含まれないことである.しかし,実際にはこのような患者が多いのが現実である.
医療費の現状
高齢者における終末期医療費は平均で総医療費の20%を占めており,85~100歳では約40%にも達している.死亡者の終末期1年間の医療費は,生存者に比べて全年齢平均で27.9倍,70歳以上でも5.3倍かかっている.
国際的に医療費を比較した場合,日本の1人当たりの医療費は世界第7位,国民所得との比率では世界第19位となっている.日本は他の国と比較して,社会保障のレベルは低い.日本の社会保障額は3.4%,公共事業費は6.0%である.しかも,公共事業が社会保障より多いのは日本だけである.イギリスでは8.9倍,ドイツでは3.7倍,フランス2.2倍,アメリカでさえ2.5倍と社会保障が公共事業より優先されている.国民が支払った税金と社会保険料が社会保障給付費としてどれだけ国民に還元されているだろうか.日本は41.6%で,スウェーデン75.6%,アメリカでさえ56.2%であり,他の国に比べ,以下に低い還元率であるかが分かる.
社会保障費の割合は医療・年金・福祉が1965年は,6:3:1であったものが,次第に福祉の割合が増えていった.高齢化社会を前に2000年からは介護保険を導入し,3:3:4に分配し直して,福祉に金を掛けようとしている.
ヘルスリテラシー
ヘルスリテラシーとはWHOによれば,「認識面でのスキルや,社会生活上のスキルを意味し,これにより健康増進や維持に必要な情報にアクセスし,理解し,利用していくための,個人的な意欲や能力を表すものである」.
死に方
社会学的死には,時代によって7つの死があり得る.
- 定年になり社会的な死を迎えると粗大ごみと揶揄され,
- 寝たきりは身体的不自由死
- 認知症は精神的不自由死と考えられるが,
- 最後の息が止ったとき,
- 聴診器で心臓の音が聞こえなくなったとき,
- 心電図で最後の心筋細胞の動きがなくなったとき,
- さらに,冷たくなってしまったとき,
と考えることができる.歴史的には,縄文時代は冷たくなってしまった時を死亡したとしたのであろう.
医学的死の定義
医学的死には,1つの臓器死,心臓死,全臓器死,細胞死,骨・歯死などの種類がある.人工透析をすれば腎臓は10数年生き残るので,全臓器死になるまでに時間がかかる.心臓死を持って法律的死亡というが,葬式中の爪と髭が伸びることをみれば,全細胞の死までは24~48時間かかる.一方で,がん細胞は宿主が死んでも生き残ることができ,ヘラという女性の子宮がんの細胞は研究のために増殖を繰返し,本人はなくなっても死なないで100年以上生き残っている.
死亡の認定が定義により幅があると法律上困るので,日本では呼吸の停止,心臓の停止,瞳孔散大の3つがある心臓死を持って死亡と決めている.脳死には大脳・小脳・脳幹・脊髄まであらゆる中枢神経系の不可逆的な機能停止をした全中枢神経死と,大脳・小脳・脳幹を含む全脳髄の不可逆的な機能停止の全脳死,および脳幹だけの不可逆的な機能停止の脳幹死がある.
死なせ方
死なせ方には,延命治療を手控えるWithholdと,始めた延命治療を途中でやめるWithdrawがある.しかしながら,治療の決定には医学的無利益という考え方を持っておくべきである.患者の病状が末期や重篤で,どの治療目標の達成も困難,または治療の結果が患者の苦痛を増すだけと判断される状況をいう.これには,心臓破裂に心臓マッサージするような質的無益と,高い確率(95.5%以上)で死亡するときに積極的治療をするような量的無利益の2種類があり,これには南カリフォルニアではガイドラインがある.
自分で決める死に方
安楽死とは,死期の近い患者を身体的・精神的苦痛から救うために死に至らしめることをいう.積極的安楽死には,法律上問題があり,1995年の東海大病院の事例で,以下の4つの条件が明らかになった.
- 耐え難い肉体的苦痛がある.
- 死が避けられず,その死期が迫っている.
- 肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし,他に代替手段がない.
- 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示がある.
尊厳死とは,回復の見込みのない不治の病気で死期が迫ったとき,患者本人が人間的な尊厳を保つため自活的に選ぶ死である.蘇生処置を施さないことが尊厳死ではないかと,間違って受け取られている場合が多いが,尊厳死にとは,人間としての尊厳を保って死に至ることである.人間としてケアされて死ねないなら,尊厳死ではない.
ホスピス,緩和ケア
ホスピス(hospice)とは,Hospiyiumが語源で元々中世ヨーロッパで巡礼や旅行者,病人を休ませる宿泊施設を指す.一般にホスピスでは,患者を中心に医療提供者,家族,友人,介護者などがドーナツ状にケアを行う学際的なチームアプローチの形を取り,患者の4つのニーズ(身体的,社会的,情緒的,精神的)を満たすことを目的としている.
心の健康と病理(’08)
- 2011年10月23日
- 教育
今学期受講している4科目のうち,「心の健康と病理(’08)」を聴講し終えたので,簡単なまとめをしておく.
健康とは
「健康」の定義として,WHOの憲章前文がしばしば引用される.
健康とは,単に疾病又は病弱ではないということではなく,身体的,精神的及び社会的に良好な状態にあることである.
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
また,QOLはWHOでは以下のように定義している.
個人が生活する文化や価値観の中で目標や期待,基準または関心に関連した自分自身の生活の状況に関する認識
正常・異常と健康・病気
異常・正常は通常,病気・健康と対比され,異常は望ましくないこと,正常は望ましいことという意味合いが生じ,価値基準が加味される.一見,異常所見があっても病気とはいえないという場合もあるし,反対にどうも病気といわざるを得ないが,しかし所見はそれほど異常ではないということもある.要するに,正常・異常の所見は必ずしも健康・病気と1対1の対応をするわけではない.
疾病と疾患
健康ではない状態,すなわち病的な状態を医学では,通常「病気」という言葉よりも「疾病(illness)」という用語を使う.これに対して,「疾患(disease)」とは,疾病の中でも一定の病因(原因)があり,一定の症状(病態),経過,予後(転帰)を示し,一定の病理所見を示す病的な状態をいう.
精神疾患の定義
DSM-IV-TRでは精神疾患を以下のように定義している.
各精神疾患は,臨床的意味のある行動または心理的症候群または様式であって,それがある人に起こり,現存する心痛または能力低下を伴っているか,死,苦痛,能力低下,または自由の重大な喪失の危険が著しく増大しているものとして概念化される.さらに,この症候群または様式は,単にある特別な出来事,例えば,愛する人の死に対して予測され,文化的に容認される反応であってはならない.もとの原因がなんであろうと現在では,その個人に行動的,心理的または生物学的機能不全が現われていることが考慮されなければならない.本来,個人と社会の間に存在する偏った行動あるいは葛藤も,その偏りや葛藤が上に述べたように個人の機能不全の一症状でなければ精神疾患ではない.
人間理解の方法
人間を理解しようとするとき,どのようにとらえたらよいだろうか.「こころとからだ」では「からだ」「こころ」「発達」の3側面からの理解を論じている.このような視点に立った場合,次の視点から人間をとらえられる.
- 生物学的視点
- 心理学的視点
- 精神分析学的視点
- 認知行動学的視点
- 人間学的視点
- 社会学的視点
医学領域においては,エンゲルが疾患の生物心理社会的モデルを提唱して以来,このモデルは人間行動と疾患に取り組むに当たって医学教育における基本的な観点として位置づけられてきた.しかしながら,理念的には生物心理社会的モデルの重要さが指摘されながらも,その限界が指摘されている.理念的にはもっともであり,異論を挟む余地はないが,実際的なアプローチとして有用性に欠けるという限界が指摘され,より実践的なモデルが求められるようになってきている.
メンタルヘルス
メンタルヘルス,精神保健とは,個人,集団および社会など様々なレベルで心の健康,精神健康を維持・向上させること,ならびにそのための実践的な活動を意味する.すなわち,精神障害,「心の病気」ではないというだけでなく,あるいは精神疾患の予防や治療にとどまらず,「心の健康」を保持・増進させ,心理的にも,身体的にも,社会的にもよりよい状態を目指すための諸活動をいう.
心の健康,メンタルヘルス,精神保健の問題を考えるに際し,その視点として2つの軸でとらえるのが一般的である.1つは,人間の生活を一生の時間軸でとらえ,乳幼児期,児童期,思春期・青年期,成人期,高齢期における各発達段階の側面から,すなわちライフサイクルの視点からみたものである.もう1つの軸は,人間の生活を空間軸の視点で捉え,基本的な生活の場としての家族,学校,職場,地域などにおける心の健康,精神保健を論ずるものである.
マーラーの発達論
マーラーは青年や成人の精神分析から発達を考えるとともに,主に乳幼児期早期までの発達について,詳しく研究し発達論を組み立てていった.
- 正常な自閉期
- 正常な共生期
- 分離-個体化期
- 分化期
- 練習期
- 再接近期
- 個の確立と情緒的な対象恒常性の萌芽期
乳幼児期の心の病理
赤ちゃんの表情や動作などに養育者が応答していくことによって,前言語的対話が促進されるが,養育者が応答しない場合や,応答したりしなかったりと反応が一定でない場合に,前言語的対話,ひいては言語機能の発達が困難になる.さらに,不快時の泣きや動作などに一貫した応答が得られない場合は,記憶や予測の発達が障害される.
児童期の心の健康と病理
発達段階にある子どもたちにとって,環境の失敗の最たる形は児童虐待といえよう.衣食住のケアが与えられなかったり(ネグレクト),身体的暴力や性的暴力を受けたり,自己愛の尊厳が認められないような心理的暴力を被ることが,子どもたちの心にどれだけの傷を残すかは,計り知れない.暴力で対象を支配することを学習してしまったり,性的関係で人と関係を作ることを学習してしまったりする場合もある.反応性愛着障害や,複雑性PTSD,解離性障害,境界性人格障害などの病像を発展させる可能性がある.
反応性愛着障害
基本的な身体的欲求や情緒的な欲求が持続的に無視されたり,一次的な養育者が繰返し変わったりすることによって,安定した愛着形成が阻害されることが病因とされている.臨床的特徴としては,抑制型と脱抑制型の2つのタイプが見られる.抑制型では,対人関係のほとんどで過度に警戒したり,極端に両仮的で矛盾した反応を示す.脱抑制型では,選択的な対象に愛着を示す能力が著しく欠如していて,よく知らない人に対して過度に馴れ馴れしいなど,無分別な社交性を示すという特徴がある.
世間体
世間体はSocial Skillであり,内面化された倫理道徳規範である.かつては,共同体の中で社会化教育がなされていたが,今日の子どもたちの世間体とは,メディアを介して知る情報やかっこよさといった具象に過ぎないので,人と人との関係を構築していくスキルになり得ないのである.
精神健康とは
一般的な心の健康(精神健康)の定義として代表的なものは以下の通りである.
精神的健康とは,精神的な疾病や障害を持っていないという消極的な意味だけではなく,社会の中で良好な適応を示すとともに必要な場合は社会や環境をも変えてゆけるような積極的な意味を含んでいる.また,主体の側からいえば,この適応に加えて強い苦悩やストレスを伴わず生活の満足感や充実感がなくてはならない.
高橋・近藤,2004.改訂 大学生のための精神医学,岩崎学術出版.
渡辺久雄は神経症的な障害から患者が回復していく過程で共通に認められる精神的な成長の諸側面を以下の4つにまとめている.
- 自己理解の深化
- 問題解決能力の育成
- 豊かな人間関係の構築
- 自己変革を基盤にしての外界変革への尽力
自殺
厚生労働省の人口動態統計によれば,死亡原因の上位は悪性新生物,心疾患,脳血管疾患,肺炎である.そして第5位が不慮の事故,第6位が自殺である.年齢別死因統計では,10~14歳で3位,15~19歳で2位,20~24歳で1位となり,25~29歳,30~34歳でも1位であり,死亡率は年代が上がるにつれて増加する.年間志望者数の約半数を自殺が占める20代後半をピークに青年期の自殺は目立つが,自殺による死亡率は,むしろ50代後半をピークに中高年の方が高い.つまり,自殺が若者に多いというのは,あくまで他の死因に比べて割合が高いのであって,実数としてはむしろ中高年より少ない.
心身症
心身症とは,いろいろな身体の病気の中でも,その発症や経過に心理社会的要因が密接に関与している場合にそう呼ばれる.代表的なものに,過敏性腸症候群(IBS),過呼吸症候群,摂食障害,月経前症候群(PMS)などがある.心理的ストレッサーとして,家庭生活においては親からの自立(依存・独立の葛藤),学校生活においては友人・異性・教師との関係,学業成績,進学,受験失敗,クラブ活動,社会生活としては,結婚・就職などがある.
認知症
認知症は85歳以上の高齢者では20~25%が認知症とされていることなどから,加齢が認知症発症の重要な要因の1つであることは間違いない.認知症を起こす原因には様々なものがあるが,最も頻度が高く社会的にも問題となっているのは,脳血管性認知症とアルツハイマー型認知症である.脳血管性認知症は,脳の血管が原因で認知症が発症するもので,多くの場合,脳の血管の動脈硬化症の変化による脳梗塞などの結果である.アルツハイマー症候群は,20世紀初頭にアルツハイマーによって報告された病で,脳の神経細胞が減少するとともに脳が萎縮するという原因不明の病であり,今日確実な予防法が確立していないこともあって,欧米諸外国同様に,わが国でも最も多く見られる認知症である.認知症の症状は以下の通りである.
- 記憶障害
- 見当識障害
- 計算力の障害
- 意欲・感情の障害
- 幻覚・妄想
- 夜間せん妄
- 問題行動
- 日常生活能力の低下
うつ病
高齢者の精神的な問題といえば認知症に関心が集中しがちであるが,うつ状態もまた,高齢期に多い精神保険上の問題である.うつ状態は65歳以上の高齢者の2~3%程度に見られるという報告が多い.うつ状態に見られる主な症状を挙げると次の通りである.
- 抑うつ気分
- 自己評価の低下
- 自責感・自罰傾向
- 自殺念慮・自殺企図
- 思考・行動の制止
- 興味・関心の低下
- 不安・焦燥
- 妄想
- 身体症状
一姫二太郎
乳幼児期・学童期に明らかになる発達障害や神経性習癖等の多くは,男性に多く女性に少ない.昔から「一姫二太郎」といわれ「女子の方が男子より育てやすい」と言い習わされてきた所以であろう.
摂食障害
摂食障害は,男女比1:6から1:10で女性に多いとされている.操作診断的には「神経性無食欲症(Anorexia Nervosa, AN)」と「神経性大食症(Bulimia Nervosa, BN)」に分けられる.精神的態度として,下坂は以下の7点をあげている.
- 成熟に対する嫌悪・拒否
- 幼年期への憧憬
- 男子羨望
- 厭世的観念
- 肥満嫌悪,痩身に対する偏愛と希求
- 禁欲主義
- 主知主義
本症例の家庭の大多数は,父親が無力で母親が優勢である.母親または母親代理者(多くは祖母)の支配的,抑制的,時には拒否的な養育と父親の無関心ないしは放任とによって,人格の本来の発達は幼少時から著しく阻害されているものが多い.
産後うつ病
産後うつ病の好発期は産後1ヶ月といわれてきたが,最近の研究で多くは産後2週間以内に発病していることが明らかになった.産後うつ病に特徴的な訴えとしては,「母乳の飲みが悪い」「赤ちゃんの具合が悪い」「赤ちゃんに愛情が感じられない」「赤ちゃんに申し訳ない」「自分は母親として失格だ」などがみられる.産後うつ病のスクリーニング法として,欧米でよく使用され,わが国でも活用が増えている質問票として,エジンバラ産後うつ病質問票がある.10項目で構成されていて,過去1週間の精神状態について4段階(0,1,2,3)で評定するので,最低0点,最高30点となる.産後うつ病をスクリーニングするためのカットオフポイントは,欧米では10~13点であるが,わが国では表現しない傾向があるため,9点以上を産後うつ病の疑いがあるとしてスクリーニングすることになっている.
ドメスティック・バイオレンス
ドメスティック・バイオレンスは,インティミットな間柄,すなわち性関係のある,または過去にあった間柄で起こる暴力である.身体的暴力のほか,経済的暴力,精神的暴力,性的暴力,社会的隔離,対物的暴力などがあるが,いずれも,相手をおとしめ,辱めるような,別の表現をすれば,相手の自尊環境を傷付け,自立性を失わせるような暴力であるという特徴がある.加害者の要素としては以下の4点がある.
- 共感性の欠如
- 情緒の不安定
- 激しく不安定な対人関係と見捨てられないための常軌を超えた振る舞い
- (いわゆる)男らしさ
加害者はパートナーが外の人と繋がることを制限し,出かけることを非常に嫌う.こうして被害者を情報や支援から遠ざけ,孤立化させる.日常生活に細かい独自のルールを作って,強制することで,安全感や自立の感覚を破壊する.
学校におけるメンタルヘルス
メンタルヘルス不全に陥った子どもたちを支援する方策の1つがスクールカウンセリング制度であるが,スクールカウンセリングだけで子どもたちのメンタルヘルス向上,あるいはメンタルヘルス不全に陥った子どもへの支援ができるというわけではない.学校教員,親,地域の人々,そして時には医療機関との協力関係や連携があって初めて子どもたちを支えることができるのである.
学校でのメンタルサポート
保健室といえば,怪我をして応急処置をしてもらう場所であったわけだが,「この先生になら話を聞いてもらえる」と感じた子どもたちが悩みを訴えたり,聞いてもらったりするわけである.学校におけるメンタルヘルスにおいて重要な概念に,コンサルテーションがある.学校の養護教諭や看護師,あるいは教師が生徒の相談に当たりながらも精神疾患や病理の深そうな情緒問題が向けられたり,相談行為に不安を感じたりする場合などに精神科医や心理カウンセラーに相談し対応の仕方を求めることがある.
最近の思春期・青年期の子どもたちの病理として,体験不足がある.さらに耐性欠如(日常語の忍耐力不足に近い),心の傷つきやすさ,グループ体験の不足や,彼らをサポートする教員の多忙さというものも指摘される.
不登校
不登校というと,昔は児童の学校嫌い,神経症としての学校恐怖症,神経症とは限らないので登校拒否と呼ばれていたこともある.ちなみに,旧文部省の学校基本調査では,1年の欠席日数が年間50日以上という定義(1966年)がなされていたが,最近では30日以上という定義(1991年)となっている.
最近の文部科学省の採用している小学校・中学校の不登校の様態分類は以下の4つである.
- 情緒混乱型
- 無気力型
- 遊び・非行型
- 複合型
の不登校事例を調査した比較的最近の研究がある.学校要因と家族要因と本人要因の3つに要因を区分する.学校要因とは,学業,教師の問題,進路選択,学校の規律,友人関係上のトラブルなどを指し,64%が学校要因とされた.
労働者における精神障害の頻度と自殺率
1993~4年の調査では,むしろ気分障害や神経性障害が最も多くなっており,統合失調症の割合は20%未満と低下していた.財団法人「社会経済生産性本部」が行った2006年の調査では,「心の病」が増加傾向とする企業は61.5%にのぼっている.この調査では,特に30台の「心の病」が増加しているとする企業が多くなっていた.労働者の自殺者数は1998年から急増して8千人を超え,その後,2006年まで同程度の高い水準で推移している.
4つのケアの推進
職場のメンタルヘルス対策の進め方について,組織的,計画的に行うように求めている.「4つのケア」は「セルフケア」,「ラインによるケア」,「事業場内産業保健スタッフ等によるケア」および「事業場外資源によるケア」からなる.「セルフケア」は労働者が自らの心の健康のために行うことである.「ラインによるケア」は,労働者と日常的に接する管理監督者が行うことである.事業場内産業保険スタッフ等はそれぞれの職種に応じて「事業場内産業保険スタッフ等によるケア」を実施する.「事業場外資源によるケア」では,さまざまな事業場外資源とのネットワークを日頃から形成しておくことが大事である.これらの「4つのケア」を効果的に進めるための具体的な方法として4つの実施事項をあげている.
- 教育研修・情報提供
- 職場環境等の把握と改善
- メンタルヘルス不調への気づきと対応
- 職場復帰における支援
職場環境等の改善
目に見えないストレスを数値化する簡便な調査方法として「仕事のストレス判定図」が開発されている.職場のレイアウトや作業手順などが変わるだけで,職場の人間関係が変化するケースもある.「職場環境改善のためのヒント集」(メンタルヘルスアクションチェックリスト)は,わが国の職場で実際に行われている職場環境等の改善対策を収集し,まとめたもので,その中から自分の職場にあった対策を選べるようになっている.
自殺の危険因子
厚生労働省人口動態統計によると,自殺者数は1997年の約24000人から1998年には32000人へと急増した.警察庁の統計によれば,1998年から2006年までの自殺者数は連続で3万人を上回っている.自殺の手段については,厚生労働省人口動態統計で集計されている.約6割が縊首による.最近では,縊首による自殺が増加する傾向にある.縊首に次いで多いのは,男性のガス自殺(約13%),女性の飛び降り自殺(約13%)である.1998年から増加した自殺は,特に40~59歳の中高年男性において顕著である.また,1998年の前後で自殺率を比較すると,管理職や専門職などの職業に置いて,自殺率の増加率が高い.自殺率は,東北地方,日本海側および九州地方・沖縄で高いことが知られている.自殺率の都道府県格差の理由を探る研究では,完全失業率が高い都道府県,世帯主収入が低い都道府県で男性の自殺率が高いことが分かった.
人格障害
米国精神医学会の診断基準であるDSM-IVにおいては,「個人の1年以上にわたって持続する,もしくは長期の(成年早期か思春期から持続する)機能状態に特徴的な行動傾向,人格特徴で,重大な社会的職業的障害もしくは主観的苦痛をもたらす.認知,感情,対人関係,衝動コントロールの中の2つ以上の領域を巻き込む」と定義されている.
人格障害の診断にはいくつかのモデルがある.
- 次元モデル
- カテゴリモデル
- 多面的記述モデル
現在の操作的診断基準で診断すると,臨床的援助を受けていない一般人口の中のきわめて多くの人が人格障害と診断される.一般人口を対象とした研究では,10~13%にも上るというデータが出ている.
人格の生得的遺伝的素因のあらわれが気質であるが,生まれたばかりの乳児にもその乳児なりの気質があり,それは生得的な脳の体質に由来するのである.乳児が成人となるまでに,環境との相互作用によって様々な影響が人格に及び,成人の人格が形作られると考えられる.
精神医学的問題の根に人格障害があったと解釈できるが,その因果関係については様々な可能性があり,明確に実証することは困難であるため,最近は,ともかくも2つの問題が共存しているという意味で,コモビディティ(comorbidity)という概念が用いられる.一般的にいって,精神障害と人格障害のコモビディティは高い.回避性人格障害と社会恐怖,境界性人格障害と薬物乱用,薬物依存,摂食障害にもコモビディティがあると考えられる.
人格障害の諸類型
DSM-III以来,人格障害を3つの群に分けることが行われている.
- A群の人格障害:対人的に疎隔的な人々であり,治療を求めることは多くなく,臨床場面にあまり登場しないが,一般人口には臨床家の予測より多く存在する.妄想性人格障害,統合失調(分裂病)型人格障害,統合失調(分裂病)質人格障害.
- B群の人格障害:情緒的に他人を巻き込みやすい,ドラマチックな対人関係を作りやすい人たちで,臨床状況においてもそうした特徴のために独特の扱いがたさを持っている.力動的心理療法に反応して改善するものも多い.境界性人格障害,反社会性人格障害,演技性人格障害,自己愛性人格障害.
- C群の人格障害:不安や対人的な恐れや内向性を中心的な特徴とする群である.回避性人格障害,依存性人格障害,強迫性人格障害.
社会病理の時代的変遷
犯罪・非行は,個人的な行為であると同時に,時代状況を写す鏡であるとよくいわれる.一般刑法犯の認知件数は,平成10年頃より急増し,平成14年に戦後最多を記録した後,減少しているが,依然として相当高い水準にある.一般刑法犯の検挙率の推移を見ると,昭和62年よりそれまでの60%程度から徐々に低下し,平成13年では戦後最低の19.8%まで落ち込んだが,再び上昇し,平成18年には31.3%となっている.
平成19年「犯罪白書」の特集である「成人犯罪の再犯」では,調査対象者100万人の調査結果で,71.7%が初犯者であったが,残りの30%の再犯者が,件数としては約60%の犯罪を行っており,犯罪の全体数を減らすには,再犯者対策が重要なことがわかる.罪種別に初犯者が再犯に及んだ者の比率が最も高かったのは,窃盗44.7%,次いで覚醒剤41.6%で,この2つは特に同じ罪名の犯罪を繰り返す傾向が認められる.また,性犯罪の再犯率は30%と高いが,再犯の中に性犯罪を含む者は5.1%にとどまっており,意外に少ない数字のように思われる.一般刑法犯検挙人員のうち,精神障害者及びその疑いがある者の比率は,平成18年では0.7%であり,おおむね例年1%弱程度である.罪名別では,放火が最も高く,次いで殺人である.精神障害のために善悪の区別が付かないなど,通常の刑事責任が問えない状態のうち,全く責任を問えない場合を「心神喪失」,限定的な責任を問える場合を「心神耗弱」と呼ぶ.
非行少年の処遇上の留意点
最近の非行少年の処遇上の留意点として,以下の3点を挙げられる.
- 人の痛みに対する共感性を育てる処遇
- 集団場面を活用した処遇
- 保護者の自発的対応を促す働き掛け
病みながら生きるという生き方
- 2011年10月10日
- 教育
心の健康と病理(’08)第11回からのエントリです.
人間という生物の特性についてはさまざまな説が唱えられてきたが,その特性の1つに「病みながら生きる存在」ということがあげられるのではあるまいか?野生の動物なら,大きな病気や怪我をすれば1日と生きられないであろうが,人間は,大きな病気や障害を抱えながら生きることができる存在なのである.逆にいえば,病みながら生きるという生き方こそが人間に特有な生き方であるともいえるが,特に高齢期にはむしろ何らかの病や障害をかかえながら生きることが普通であることを思うならば,高齢化社会を迎えた今日ほど病みながら生きるという生き方が求められている時代はないといっても過言ではない.
心の健康と病理 p.159
以前,ツイッターだったと記憶しているが(そのくせソースを見つけられないのだが),「人間は医者がいなければ病気や怪我をして自然淘汰されていく.医療費などいらない」などのような主張を見かけた.そんなあなたは生まれてきてすぐに死んだでしょうね,などと思ったのだが,人間は病みながら生きる生き物なのだとすれば,病んでいることは1つの存在の証なのでしょう.
心の健康と病理(’08)第11回では,障害に悩みながら優れた活動をしたベートーヴェンと夏目漱石の2名を挙げて,病みながら生きるという生き方について述べている.ベートーヴェンは20代の頃に聴覚障害を自覚し,32歳の頃には自殺も考えていたらしい.しかし,同じ頃に手紙で以下のようにも書いている.
「芸術が--僕をひきとどめた」
「僕には自分に課せられていると感ぜられる創造を,全部仕上げずにこの世を去ることは,不可能だと考えられた」
心の健康と病理 p.161
その後,ベートーヴェンは交響曲第3番「英雄」という交響曲史上に残る傑作を書き上げ,「運命」の作曲に取りかかるなど,傑作の森と呼ばれる作品群を書くことになる.「運命」の完成から7年後の1815年10月19日のアンナ・マリー・エルデッディ伯爵夫人に宛てた手紙には,以下のように書かれている.
「優れた人々は苦悩を突き抜けて歓喜を勝ち得るのだ,と言っても間違いないでしょう」
また,1827年2月17日にヴェーゲラーに宛てた手紙では以下のように書いている.
「僕は我慢して耐えている.そして,あらゆる禍いも時としては何か善いものをもたらすものだ,と考えるのだ」
夏目漱石は約50年の生涯で3度の神経衰弱に陥った時期があるとされている.第1病期は20代後半で,自分が下宿していたお寺の尼たちが自分のことを探偵していると思い込み,東京にいるのが嫌になって松山中学の教師になった.第2病期は30代後半で,英国留学中に下宿の姉妹が自分のことを見張ったり探偵を雇って跡をつけさせていると思い込み,英国人全体が自分を馬鹿にしていると考えたり,帰国してからも鏡子夫人が女中たちを手下に使って小刀細工をしているとか,近所の千駄木の住民が自分に嫌がらせをしたり探偵をしていると思い込むという,追跡妄想を思わせる症状も再び出現していた.第3病期は40代後半で,同様にして幻聴や被害妄想・追跡妄想などの症状が出現していた.
夏目漱石は第1病期では妄想から逃れることで精神的な安定を取り戻そうとしており,松山で取り組んだ文学も俳句という出世間的な色彩の濃いものであった.対して,第2病期では同様の症状にありながら,京都帝国大学教授への誘いを受けながらも,千駄木にとどまる決意を述べている.すなわち,第1病期では病的な体験から逃避するという対応をしていたのに対して,第2病期では病的な体験と闘うという戦闘的な姿勢に変わっている.また,創作も俳句という出世間的なものから,作品を通じて近隣の住民を攻撃するという戦闘的なものになっている.第2病期に書かれた作品である「吾輩は猫である」「坊っちゃん」は,主人公を探偵する周囲の人間と闘うという姿勢が顕著である.そして,第3病期(40代後半)では,自らの体験に基づく精神的な安定法を他人に助言できるまでになっている.
つまり彼らは,病にもかかわらずというよりは,病あるがゆえに傑出した創造的な活動を行い得たという側面をうかがうことができる.病や障害は1人の人間としてのベートーヴェンや夏目漱石にはさまざまな苦悩をもたらしたかもしれないが,作曲家・小説家としての彼らには幸運に作用したということもできるだろう.
本書のまとめでは,以下のように締めくくっている.
しかし,病や障害には人間がいかに努力しようと免れがたいという側面があることも事実で,そのような現実を考えるならば,病や障害が人生において果たす役割を考えることもあながち意味のないことではあるまい.(中略)人生において病むことの意味として考えられるものをあげると,以下のようになる.
- 日常的な業務から開放されて休養できる.
- 社交や世間体などのために費やす時間が減る.
- 行動が制限される分,孤独で内省的になり,感覚的にも敏感・繊細になる.
- これまでの生き方を振り返って,自分の人生で真に大切なものを考える機会になる.
- 病気をそれまでの生き方に対する警告として受け止め,健康管理に気をつけるなど,自分にとって無理の少ない生き方ができるようになる.
- 現実からの距離が取れて,世俗的な価値観を相対比できる.
- さまざまな可能性が限定されるために,一点に努力を集中させることができる.
- 人生の価値や生きることの意味に対して複眼的かつ非競争的な思考ができるようになり,これまでつまらないと見過ごしてきたことにも新しい意味や価値を見出す.
- 人生に対する過大な要求が減り,生きていること自体が素晴らしいと感じられる.
- 周囲からの期待が減り,自分本来の道に専念できる.
- 自分の限界や弱点を認識して謙虚になり,自分が周囲の支援や犠牲の下で生かされていることに感謝できるようになる.
- 人生の悲観的な部分に対する認識が深まるとともに,病を乗り越えることで自信ができ,人生の困難や不条理に対する耐性ができる.
- 自分が死すべき存在であることを実感して,仕事の完成に情熱を注ぐ.
- 他の病者や弱者に共感的になり,治療的な態度がとれるようになる.
- いわゆるminorityとしての立場からの発言や活動ができるようになる.
心の健康と病理 pp.167-168
概ねそうかなぁとは思う.2,3,5,6,8,10,11,14,15あたりはその通りかと思う.ただ,日常的な業務から開放されてもいないし,休養もとれてはない.
今回の件でよくわかったこと:職場に行かないとか、一日中ゴロゴロしてたとか、オレにとっては休んでることになってないことがわかった。あらゆるしがらみから解放されて、何も気にすることなく自由な状態が休んでいるようだ。てことは、ずっと休んでなかった。そりゃストレス解消されないわな。うん。
— 田中実(SCIS2013非公式アカウン)さん (@k4403) 8月 25, 2011
よくよく過去を思い返してみると、学生の頃は、しょっちゅう、富士山やらヤビツやら山中湖やら三浦半島やら小田原やら焼津やらに行ってたもんな。知らず知らずのうちに、ストレス解消してたんだな。
— 田中実(SCIS2013非公式アカウン)さん (@k4403) 8月 25, 2011
職場に行かなければ心が休まるわけではないし,ぽけーっとしてれば心が休まるわけでもない.原稿の締切や査読の締切や学生の研究進捗状況など,なんらかの気がかりなことが心のどこかに留まっていて,少なくとも私の場合は,それが負荷になっている.それが「甘え」だと言われればそうなんでしょう.お前がそう思うんならそうなんだろう,お前ん中ではな.でも実際,CSSの原稿も終わり,節電のため完全休養期間だった今年の夏休み(CSSの原稿があったから後半だけ)は,本当の意味で休めたのだと思う.以降は,比較的調子がよい.
その反面,4,7,9,12,13については全くそのように感じないので,まだまだ病を受け入れるという状態には至っていないのだろう.まだ,UCは2年目で,寛解状態もどこからと見るのかによるけど,アサコールに変わってからとすれば半年程度.自分ができること,やるべきこと,与えられた使命を自覚するのは,まだもう少し先なのでしょう.
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