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なぜ大学の成績分布は正規分布なのか

  • 投稿: 2012年07月28日 13:01
  • 更新: 2012年07月29日 16:18
  • 教育

ご存じではないかもしれませんが,大学の成績分布は正規分布になることが求められていたりします.

これは恐らく,小中高がそうしているから,という完全な思考停止から来ていると思う.義務教育は昨今だいぶ変わったようなので,私の知識は古くて現在と違うかも知れませんが,以前は5が上位○%,4がその次○○%・・・というように,各成績に定員があった.その結果,成績分布は必ず正規分布(のような形)を成すようになります.集団が大きくなればなるほど,統計的に正規分布に近づくことは知られていますが,一教室(特に専門科目)の規模は大きいとは到底いえないので,統計的に考えて,正規分布になることは不自然です.

正規分布を求めるというのは,偏差値至上主義の悪しき習慣です.なぜなら,正規分布させるためには,相対評価を採用しなくてはなりません.相対評価は,評価対象群の中で優劣を競い,序列で成績を付ける方式です.この形の上では,平均からどの程度離れているかを示す偏差値が有効です.ただし,異なる集団における偏差値は比較しても意味がありません.例えば,東大理三内の偏差値50とFラン大学内の偏差値50は能力差があります.これは,説明するまでもないでしょう.

正規分布するはずがない

私が主張したいのは,これ1点に尽きるのですが,成績が正規分布するはずがない.履修者が多く,複数の学科の学生が混在する教養科目ならいざしらず,専門科目が正規分布しているとしたら,私はその担当教員の教育者としての資質を疑わざるを得ない.

大学は入試によって入学者を選抜しているので,入学者の能力差は大きくないはずです.しかも,偏差値至上主義によって,「○○大学○○学部の偏差値は○○」のように書かれているので,その偏差値周辺が入学しているはずなので,大きな能力差はないはずです.このように,入試によって均質的な入学者を選抜することは,大学にとっては意味があることです.それは,授業のレベルを決めるのに重要だからです.もし,入試がその機能を果たさなければ,東大理三レベルとFラン大レベルの学生が共存するクラスで授業を行わなければならない.これは一体,どこにレベルを合わせれば良いのだろうか.そうならないために,入試でレベルを整えるのです.

能力差がさほどない集団なので,ある程度のレベルを設定することができます.そして,どういう卒業生を社会に送り出したいかということを決めます.これをカリキュラムといいます.ここで注目して欲しいのは,カリキュラムは教育の目的と目標を定めていますので,その評価方法は絶対評価であるところです.「○○学科は××や△△の知識を身につけ,実践し,応用できるグローバル人材の育成を目的とします」などとなるわけです.つまり,こうなればいいので,学生間の相対的な能力差など関係ありません.であるならば,そうなったかどうかを総合的に判断する卒業判定においては,各授業の成績が参照されるのですから,各授業はカリキュラムに従って編成されていますから,当然ながら,その目的を達成しうる知識・技能を身につけたかどうかという絶対評価で成績評価されて然るべきです.

さて,そのように入学者を選抜し,カリキュラムを設定しています.そして,ここから問題の核心に入りますが,個別の授業についてです.各講義担当教員は学科のカリキュラムに従って,シラバスを作成します.シラバスには,講義内容,予定,成績評価方法,参考書などが書かれます.ここで重要なのは,成績評価方法が含まれている点です.最近は,これが面倒くさいことになっていて,「中間試験および期末試験に加え,毎授業に行われる小テストを加味し,評価する」なんていうのはダメで,「中間試験40%,期末試験50%,授業毎の小テスト10%の割合で成績評価を行う」などと明確に書かないと上からお叱りを受けます.

で,このようなシラバスに沿って講義を行ったとしましょう.さぁ,この成績分布が正規分布になるために必要なことはなんでしょうか?明らかだと思いますが,各試験の点数が正規分布に従っていることが必要です.はて?では試験とは何のためにやるのでしょうか?私は授業目標に対しての達成度を測るものだと思っています.もし,そうだとすれば,学科カリキュラムで示された目標に沿うように,選抜された入学者のレベルにあった講義を展開しているのであれば,当然に全員が授業目標に達するはずであるので,山が100点に近い部分にピークがある二項分布になって然るべきではないでしょうか?

しかし,実際はそうならないことを求められています.この解釈はいくつかあります.

  • 受講者のレベルを無視してとにかく正規分布になることを最優先して問題を作成する
  • 各試験の点数を序列として,正規分布するように,成績を付ける

このいずれかの方法でしか,成績分布を正規分布にする方法はありません.そして,それはおかしなことです.ある均質的な学生が集まる教室の中でも,パレートの法則が起こり,よく勉強する学生とあまり勉強しない学生に分かれます.大学教員の教育者としての立場を考えたとき,当然ながら,このあまり勉強しない学生をエンカレッジし,カリキュラムの目標に達するように,指導・育成するのが,当然の役割でしょう.その結果,全員が優秀な成績を残すことは,高等教育機関の立場から考えて,至極当然のことであると思われます.しかし,正規分布を求めるということは,それをやめ,パレートの法則に従って,なすがままに放置せよということに他なりません.なぜならば,そうすれば,正規分布に近づくからです.

では,なぜこのような愚かしさが自明であるにもかかわらず,大学は成績分布を正規分布にせよというのでしょうか.それは大学教員の質によるところにあると思われます.大学教員の中には「研究が仕事」と考えている方がいて,教育は片手間でやっている人がいます.そういう方は以下の2タイプのどちらかに分けられます.

  1. 学生のレベル感を無視して,自分の教えたいことを教えて,自分のモノサシで測り,学生に自分の圧倒的な凄さを見せつけることで優越感に浸るタイプ
  2. 問題を起こさないように学生の顔色を伺うことにご執心で,授業をなるべく簡単に,楽にしてあげる優しい先生タイプ

どちらのタイプもカリキュラムを無視しているという点で同じです.こういう人が成績評価すると,1の場合は落第者続出,2の場合は成績優秀者続出となるわけです.

私は,落第者続出でも,成績優秀者続出でも構わないと考えるような極論派ですが,それはカリキュラムに則った上での話です.このようなカリキュラムを無視する行為は,教員として看過できません.そして,上としては,このような成績評価は大学評価機構による第三者評価に耐えませんので,排除したいわけです.その結果が,統計学的に説明が容易で,誰もが異を唱えられない正規分布なのです.

次に,こう考えてみましょう.全ての教員がカリキュラムを正しく理解し,その達成に全力をあげたとしましょう.さて,その場合の成績分布はどうなるでしょうか?まず,入学者選抜によって受講者のレベルは決まります.その上で,目標を立てているわけです.各講義担当教員が素晴らしい教育者で,学生もそれに感化されて真面目に勉学をしたとすれば,成績優秀者が続出して然るべきです.それは,ある目標をクリアしたかどうかで測られる絶対評価であるならば,自然なことです.これは評価基準を下げて甘い評価を下すこととは違います.

授業に出ない,学ぶ気がないなどの学生側に問題がある場合もありますが,教授法の改善によって是正される部分は少なくないと思います.つまり,教員の怠慢による部分はあります.

ですので,高等教育機関で本当に行われるべき評価は以下の通りです.

  1. どのような卒業生を送り出そうとするのか
  2. そのためにどのようなカリキュラムを設定するのか
  3. その要求水準をどのくらいに設定するのか
  4. それを明確に評価しているか

そして,この考え方はJABEEのそれと同じです.もう疲れたので,JABEEについては次の機会に書きます.

最後にもう1度,繰り返したいのですが,大学の専門教育において,成績が正規分布になっているということは,おかしなことだと直感して下さい.

まとめ

最後にチラッと姑息に述べますが,この問題は最初の資料からもわかるように,GPA導入が大きく関わっています.私個人としては,GPAは「個人の努力」を反映しないので,良い指標だと思っていない.GPAは成績評価の平均点を表すから,高スコアが優秀に見えるが,単純に良い成績が取れる「優しい教授」の授業を選択し続ければ高くなるし,成績の付け方が厳密で真の意味での大学教育であるところを実践する「厳しい教授」の授業を選択し続ければ,高くするのは難しくなる問題点がある.つまり,そういう性質のものです.学生の努力や向学心といった,真の学力を示す指標にはなっていないので,私はGPAを支持しないし,偏差値も使い方によっては悪であると思う.統一的に能力を比較するのにGPAが必要だと言われることもあるが,そもそも大学ごとの能力差があるので,それは偏差値と同じで,比べられるものではない.

で.だ.私は成績を付けるにあたって,正規分布しているかどうかなんて,一切気にしない.それは高等教育機関の教育者がすべきことではない.

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