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知られざる大学教員の実態

  • 投稿: 2012年03月27日 22:19
  • 更新: 2012年07月03日 13:51
  • 雑記

書かなくてはならないという強い脅迫感でこれを書いています.いや,書き貯めています.皆さんは,大学教員というものがどのような職業であり,日々何をしているのか,よく解っていないと思います.ややもすると,知りたくもないかもしれません.そこで,私が見聞きした,大学教員の実態を赤裸々に暴露したいと思います.ただし,全てフィクションであり空想であり妄想です.所属機関とは一切関係ありませんし,特定の人物とは一切関係ありません.信じるかどうかは,あなた次第であると言えましょう.事実は小説よりも奇なり.

大学教員は寂しい

大学教員は特殊で,同期が数十名から数百名もいる新卒一括採用の企業とは違い,同期は少ないです.しかも,同僚も少なく,企業でいうところのBU程度の人数しかいません.さらに,その数少ない同僚とも,話す機会はほとんどなく,運が悪ければ,1週間誰とも会わないなんてことは珍しくありません.つまり,職場に出勤し,仕事はしていますが,基本的に1人で,誰とも会わないということが起こりえます.これは一般企業では,窓際族と呼ばれる状態であり,通常の心理状態でいられるとは考えられません.

そのような特殊性の中にあって,同僚と飲みに行くとか,同期飲みとか,起こりえません.ましてや,前後の授業や学生の質問対応,訪問者対応,会議などの理由によって,ランチの時間も人それぞれ様々で,一緒にランチというのも容易なことではありません.つまり,大学教員は勤務していながら,ほとんど単独活動に終始するのです.これは寂しいことです.

いや,研究室には学生がいるじゃないかという指摘があります.その通りだと思います.しかし,午前中はいなかったり,午後は授業だったり,夕方はバイトだったりとしますし,基本的に教員と学生の関係ですから,同僚ではありませんし,友達でもありません.人がいれば寂しくないという考え方は,寂しさを経験したことが無い人が絞り出した想像の産物に過ぎません.そのため,結果として次のようなことが起きたりします.

暇ではなく,寂しいのです.インターネット上では多くの人が構ってくれますので,そこに入り浸るのは,至極自然のことです.ですので,日中にインターネットで活動している大学教員を見かけたら,労ってあげて下さい.基本的に,カッツンカッツンの精神状態と思われます.研究室訪問してあげるとか,仕事の振りした電話をしてあげるとか,そういう気遣いが大事だと思います.

http://twitter.com/#!/te_yoshimura/status/173321841346220033

この指摘も的確です.研究室の学生相手に,研究の素晴らしさを得々と説くというのも良いですが,それで毎日は保ちません.しかも,学生はまだ専門家ではないので,興味を示さないかもしれません.そもそも,大学教員であるということは,博士の学位を持つかそれに相当する者であるはずです.博士ということは,曲がりなりにもある分野で最先端を突き抜けたはずですので,自専門の話に付いてこれる人は,それこそ多くはありません.インターネット上を探して数名くらいというところです.ですから,大学教員がインターネットでバカっぽい活動をしていても,優しい目で見てあげて下さい.寂しいんです.決して,サボっているわけでも,専門性がないダメ教員でもないはずです.単なる寂しさの表れです.話を聞いてあげて下さい.そして,相づちを打ってあげて下さい.喜びます.

大学教員は休まない

小中高も同じだと思いますが,児童生徒が休みだからといって,学校が休みだという誤解を持つ人は少なくありません.ことかけて,学生時代に遊び呆けて大した勉強をしなかった人に限って,「大学教員は休んでばっかりだ」などという事実無根の風説を流布します.大学教員が裁量労働制の名の下に,どれだけの労働をしているかを示しましょう.

まず,衝撃を与えるために,師匠が走ると書いて師走である12月頃からの一般的業務スタイルを説明します.しかし,実はそのまえに1年の予定を知っておく必要があります.一般的に,卒業式は3月に執り行われます.卒業式が行われるということは,卒業判定ならびに成績判定が行われる必要があります.成績を付けるということは,定期試験,ならびにそれに関する追試験や再試験が実施されていることでしょう.さて,2月には大学にとって大変重要なイベントである入試があります.大学の規模にもよると思いますが,入れ替わり立ち替わり,2月中のほとんどを入試関連業務に費やすこともあります.ここで,入試関連業務とは,入試実施と採点業務を意味します.また,学部学科や昼夜間,選抜方法など様々なパターンがありまして,実に多数の入試を実施しています.それから,研究室を運営する大学教員には,卒論・修論指導という重要な業務があります.

さて,では12月頃からの一般的業務スタイルを説明しましょう.12月は卒論・修論の追い込みがかかります.それまで大して研究室に来なかった学生も,日頃からコツコツ積み重ねていた学生も,すべからくお尻に火がついて,ハイオク満タンでエンジン全開になります.研究が進むということは,当然ながら研究指導があるわけです.私大だと卒研生が10名を超えることは珍しくないと思います.さらに,大学院進学率の高い大学だと,同時に指導する学生数は,補欠込みのサッカー日本代表くらいはいます.単純にこれだけで,てんてこまいです.さらに,学期末が近づきますので,授業も佳境です.運悪く時期を同じくして,学会発表の締切がやってきたりすると,完全におかしなことになります.IPSJ全国大会やSCISがそれに該当します.

この頃,大学教員は自らの首を絞める実に愚かな行動を取ることが多く観測されます.論文の草稿を閲読や校閲をする場合,学生に対して,このような指示をすることがあるようです.「では金曜日の17時までに提出して下さい.月曜日までには返却しますので,また来週がんばって進めましょう」などと.これは,学生にとっては「土日は休めるぞ!」ということを意味しますが,翻って,教員にとっては,土日で10を超える論文を読んで,赤入れをするということを意味しています.学生はそれぞれ自分の論文だけを見ています.それでも数十ページの卒論や修論になっていることでしょう.しかし,教員はそれを10人分以上も見るのです.1つの論文に赤入れをするのに,およそ1時間はくだらないでしょうから,10人分として10時間は必要です.つまり,土日は普通に仕事をしていることになります.同様のことは年末にもやってきます.「よし!冬休みで実家に帰る前に卒論修論の最新稿を出して下さい.年明けにまた頑張りましょう」と.年末年始も同じことです.学生が動いているときは,教員も当然のように動いていて,学生が休んでるときも,教員は動いているのです.

さて,1月になるとどうなるか.研究指導については,何も変わりません.これは卒論修論発表会まで同様です.少し違うのは,発表練習という新しいタスクが増えます.加えて,この時期は学期末で試験前の最後の講義があったりしますし,センター試験も実施されます.これも大学の規模によると思いますが,センター試験は教職員ともにほぼ総動員です.既にオーバーフローですが,さらに定期試験も行われますし,成績評価も必要ですし,科目によってはレポート課題もあるでしょうから,その採点もしなくてはなりません.こうして,何が何だか分からないうちに1月は終わります.

2月は先に説明したように,入試業務がやってきます.日程的には,定期試験が終わり次第,すぐに始まります.ほぼ1日拘束されますので,研究室に戻るのは日が落ちてからで,目を輝かせた学生たちに出迎えられつつ,研究指導をします.合間を見て,発表練習もします.入試が一段落すると,卒研修論発表会が執り行われ,研究指導は終わりを迎えます.だがしかし,この時期には成績判定が行われ始めるので,成績を付ける業務が現れ始めます.するとどうでしょう.卒業できない学生や赤点で落第の学生が判明し始めます.次にやってくる業務は追試再試です.一般的に,追試や再試は計画的に行われるものではないので,試験問題を予め作っておくことはありませんので,この時期から作ることになります.その後,追再試を実施し,採点し,成績評価を行うことになります.さらに,国公立前期日程入試の終了を受けて,私立は後期日程入試を開始します.一般的に春休みだと認識されている2月はこのようにして過ぎていきます.

3月は入試業務が残る一方で,研究指導がなくなり少し楽になります.しかし,次年度の授業準備や学会活動などがあり,大して暇にはなりません.学務としては,卒業式を終えるまで色々とあり,気が抜けません.こうして,大学教員は年度末に忙殺されます.新年になってから,果たして何日休めているのでしょうか?

このように,年度末は特殊ですが,土日祝日関係なく常に働き尽くすのが大学教員の実態です.当然ながら,冬休みも春休みもありません.夏休みは休もうと思うと休めます.それでも,論文をバリバリ書いて実績を蓄えないとアカデミックポジションを維持できませんので,夏休みこそバリバリ研究をするという大学教員は多いでしょう.研究活動も業務の1つですから,言い換えると,実は休みなんてないのかもしれません.

もう少し補足すると,夏休みは違いますが,春休みと冬休みは何のためにあるかご存じでしょうか.その時期に授業をやってしまうと,完全なオーバーワークで教員がパタパタと倒れていき,実働部隊がいなくなってしまうので,少しは負荷を減らしてやろうというのが真の目的です.つまり,わかりやすくいえば,忙しすぎてマジ意味わかんないからちょっとおまえら学校こないで!っていう期間です.ですから,春休みと冬休みが教員にとって,休みで有り得るはずがないのです.

そして,このようにして,通常業務をこなし,必死で業績を貯める教員が後を絶ちません.その結果,土日祝日関係なく仕事をするので,友人との関係が疎遠になり,孤独化が増していきます.これをアカデミック・デフレ・スパイラルと,今から呼びましょう.ポスドク問題よりも深刻だと思います.ちなみに,土日祝日関係なく働くのは,大学教員だけではなく,小中高の各教員も同様ですので,その辺の偏見は正されるべきです.日曜日に部活の試合があって,それを引率する部活顧問の手当がいくらかご存じですか?バナナはおやつに入りますかレベルです.このように教育業は教員の一方的な愛でのみ,保たれているのです.

大学教員は日々重圧に押し潰されている

大学教員の主たる業務に教育があります.つまり,授業です.授業以外にも教育業務は色々とありますが,ここでは実感しやすい例として,授業を取り上げます.大学教員は教員ですので,いくつかの授業を担当します.

みなさんは,大学教員がどのように授業の準備をするか,ご存じでしょうか.毎年同じことを繰り返しているだけ,なんて思ったりしていないでしょうか.一般的に,大学では授業を履修し試験に合格すると単位が与えられるため,2年連続で同じ授業を受けることはほとんどありません.数少ないその機会を与えられるのが,再履修者とTA(ティーチング・アシスタント.一般的に大学院生が担う.)です.

さて,では,大学教員は毎年同じ授業を繰り返しているのでしょうか.答えは否です.毎年内容が変わっています.むしろ,変わっていなくてはならないはずです.もし,毎年同じ内容で教えているのであれば,そんな教員は要りません.ビデオに撮って流しておけばいいだけです.教師は黒板に対して授業をしているのではありません.学生に対して授業をしています.そのため,毎年変わる学生は,当然ながら理解度も違うし,前提知識も違うし,性格も違う.人数も違えば,男女比も違い,顔も背丈も服装も何もかもが違うのです.もちろん,入試で選抜しているので,学力は大幅に違ってはいないはずですが,雰囲気は異なります.毎年,全く同じ学生に対して授業をやるのであれば,全く同じ授業を繰り返せばよいでしょう.しかし,実際はそうではありません.そのため,大学教員はその時々に適応した最適かつ最良の学びを提供する義務があります.

そのために,大学教員は猛烈な準備を行います.授業で100のことを教えようとした場合,200~300程度の準備が必要になります.実際に授業を行うと,学生の反応や理解度をみて,適応的に授業を進めるため,目標通り100を教えられることもあれば,150を教えることができることもあれば,質問や脇道トークの所為で70程度しか教えられないこともあります.では,100の準備をして,70しか教えられなかったら,その授業は失敗なのでしょうか.否.それは70で最良なのです.講義を進める上ででてきた質問は学生の理解の助けになっているだろうし,70の理解しか得られない状況に100を詰め込んでも,得られる成果は100に達しません.その時々に合わせて,最適な授業をオンデマンドで組み立てる能力が求められます.これは経験や勘ではありません.綿密な準備と計画の産物です.適当ではありません.

ですので,授業期間が終わると,妙に生き生きとしているのは,この重圧から解放されたからであって,「休みだ!」と思って浮かれているわけではありません.死んだ魚のような目をしていない大学教員を見つけても,「あいつはサボってばっかりだ」などと指を指さないで下さい.心がつぶれてしまいます.でも,安心して下さい.どうせすぐにまた,未熟な自分に焦燥感を覚える日々がやってくるのですから.

最後に

特に言及はせずに,投げっぱなしにしますが,放送大学の「教育と社会(’11)」の第10回からキャプチャした画像を示したいと思います.これは大学教員ではなく小学校教員の例ですが,何かを示唆しているでしょう.

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