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アロマセラピー,はじめました.

5月15日に「たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学」で「日本人に急増中 ストレスに弱い脳 徹底解明&改善スペシャル」が放送されました.どこからどう解釈しても,ネガティブ・神経質のストレス脳でした.現在抱えている持病のどれもこれもが,どこからどう考えてもストレス起因だし,こんな状態じゃ,これからも持病が増え続けることは放射能漏れよりも明らかなので,何とかしなくてはいけないという危機感に駆られました.運が良いことに番組では改善策も提示しており,なにやらアロマセラピーで改善するというではないですか.これは,はじめるしかない.

ということで,アロマセラピー,はじめました.

しかし,ぶっちゃけ,香水とか匂いが苦手な私としては,何をどうして良いのかサッパリわかりません.「誰か助けてー」って言ったら,詳しい方に助けてもらえたので,貢ぎ物を携えて,そそくさと教えてもらいに行きました.まぁ,なんだ.素人って怖いね.素人のオレ思考では「リラックスといえばラベンダーっぽくね?」とか思ってて,実は勢いでラベンダーのアロマオイルを買えばいいんじゃないかと思っていたんですが,色々と嗅いでみるとビックリ!ラベンダーは好きじゃない匂いでした.

他にも色々と試してみたところ,ティートリーってのがダメっぽいです.傾向としては尖った匂いがダメで,やんわりとした柑橘系が好きみたいです.すごいね.匂いって多彩だね.あんなに違いがあるとは思わなかったよ.で,色々試してみて,2種類買ってみました.2種類あると,匂いに飽きてきても,交互に使えば効果的とのこと.なるほどなるほど.和論文と英論文の関係ですね!(違う)

左はスプレータイプで,シュッ☆っとすれば良いので簡単に使えるということで買いました.右はマグカップ・アロマ法や枕・アロマ法に使う用です.

両方とも好みの匂いですが,傾向は違うので,なかなか不思議です.KEWガーデンのは柑橘系ベースで,yuicaのは樹木系ベースです.

で,使い始めてみたんですが,いやー,ビックリ.香水とか嫌いなんですが,ただ単に好みの匂いじゃないってだけなんですね.買ったアロマはステキです.寝る前にベッドの上の空間にスプレーしゅっ☆とすれば,超安眠ですよ.スッキリ起床です.すてき!コットンを購入すれば,枕・アロマ法も導入できちゃいます!

まとめ

いいかんじ!ストレスフリーになれるか!乞うご期待!

大病を患って思うところ

ちょうど寛解期を1年維持することができ,UCとしてももうすぐ3年目を迎えるので,ちょっと過去を振り返ってみようかと思います.

1年目はまさに闘病の1年で,よくわからないことだらけでした.下血してもリカバリーできるという意味では,比較的早い段階からコントローラブルでした.しかしそれは,下血したらペン注という対処療法的で,何故そうなったかという原因を切り分けることができずに,苦労しました.何度も調子を崩しているうちに,食べ物の影響はほとんどないこと,寝不足・ストレスの影響は大きいことなどがわかってきて,段々とコントロールが容易になってきました.要は,難病を盾にサボるだけの簡単な療養です.

2年目になると,薬がペンタサからアサコールに変わり,それを機に体調が大幅な改善を遂げました.アサコールのおかげで,UCは寛解期と呼んで差し支えない状態に固定することができました.一方で,UCが改善したにもかかわらず,なかなか調子が上がってこず(単なる甘え,怠け),昨年全く研究していなかったために業績を出せない焦燥感と,次年度は就職活動をしなければならない不安感で,精神面はどんどん不調になっていきました.この頃は,精神的に不安定すぎて,心療内科に通うことも検討しましたが,精神的に荒廃状態であったため,心療内科に行くという決断ができませんでした.ここで,誰かが無理にでも連れて行ってくれれば行ったのでしょうが,自らでは決断するに至りませんでした.ましてや「病院に行くべきはおまえらだ」と考えに至るくらいには,精神的荒廃は進んでいました.しかしながら,どんなきっかけがあったのか,なにがあったのか思い出せませんが,いつの間にかその不調からも脱し,なんとか平々凡々と3年目に向かう日々を過ごしました.

そんな経験から,大病を患って思うところがあったので,書いておこうと思います.

病気で怖いことは,長期化することだと思います.大病だとしても,短期で快復する類は先が見えるので何とかなりそうな気がします.しかしながら,大病ではないとしても長期化する病気は,先の見え無さから精神的に滅入ってしまいます.この辺の感覚は実際に病気を患った人じゃないとわからないと思います.

UCに限りませんが,見た目には病人に見えない病気というのは,かなり多くあります.実際,私の場合,発症してから2ヶ月間は診断がつかなかったため,上司に報告しなかったのですが,報告して初めて体調不良だと気づかれるくらいには,内臓疾患は気づかれません.ですので,電車やバスなどで,妊婦や杖をついている人に優しくするのは当然のことと思いますが,見た目ではわからない愛護すべき人がいるということは認識しておくべきと思います.私にいわせれば,見た目でわかる人にだけ優しくするのは差別的で偽善的でしょう.もし,本当に善意があるのであれば,全ての人に優しく振る舞うと良いでしょう.それが本当の善意だと思います.

「自分の目で見て,耳で聞いたことしか信じない」という人は少なからずいると思います.私もそこまでではないですが,実体験こそ最優先しています.そのため「やってみた」とか「作ってみた」とか「行ってみた」とか,そういう類が大好きです.世の中には体験しないと分からないことはたくさんあります.だから,神は私に試練として,経験として,大病を与えたのでしょう.「自らの身を以て,その苦しみを理解しなさい」と.

私は大病を患うことで,その辛さを身に染みて理解しています.1日1日が非常に大事であること.明日も今日と同じように動けるわけではないこと.そのために,中長期的な計画をよく理解し,よく準備し,膨大なマージンを準備しておくこと.そのためには,動ける最大限の範囲で,コツコツと積み上げておかなければならないこと.そして,動けないときには,潔く積み上げたマージンを切り崩し,快復に努めること.なんといっても,多くを求めることなく,諦めること.

それらを私は身を以て理解しているので,自らの実体験として,言葉に重みを持たせて,多くの人に伝える使命があると思います.実体験からの言葉は,深く心に届くのではないかと思います.私は学もないし,齢も重ねていないし,含蓄あることも大して言えないので,嘘偽り無い体験談くらいは伝えないといけないかなって思ってます.

それから,時間の捉え方も違うと思います.発症前から「タイミング」というものの重要性は理解していましたが,発症後はことさらに思います.寛解期を長期に維持している今はそうでもないですが,活動期や不安定な寛解期においては,「タイミング」の難しさを痛感しました.例えば,学会があったとしても,それは私の体調と関係なく開催されるので,学会参加の唯一の楽しみである二次会に参加できないという,何のために学会に来ているのかわからない状態になります.それ以外でも「調子が良いときに○○に行きましょう」などと言われると,それは基本的に日程調整不能を意味します.調子の良さは自分ではコントロールできないので,調子が良いところを見計らっていると,「今日調子が良い,誰かご飯行こう」といっても誰も捕まらず,「○日に食べに行こう」となると,その日が調子良いとは限らないわけです.

同じように,「今度行きましょう」と言われたとしても,その「今度」の感覚が一般人とは大きく変わります.難病患者や長期罹患者や持病持ちにとって,長期的に調子が良いとは限らないわけで,「今度」が数ヶ月後だとして,その時に調子が良い状態を保っていられるとは限りません.健常者は時間が無限にあるかのような前提で,難病患者は時間を有限かつ短く考えるのではないかなと思います.死にはしませんが,余命と同じような感覚かと・・・.

などと言うことから,学んだことは以下の通りです.

人生を生き抜いていく上で,最も大事なものは,金でも学でも人脈でもなく,健康です.

CFPa: YOME2013

Call for Partner

The 2nd Competition of Young Or Miss Excellent women (YOME2013) will bring together unmarried women. YOME will highlight the various aspects of gentleness, graciousness, beauty, facility of cooking and security.

Important Dates

  • Submission Deadline: April 1, 2012 extended to April 14, 2012
  • Notification: April 14, 2012
  • Proceedings Version: June 1, 2012
  • Bridal: Middle of June, 2013

Committees

General Chair: @k4403

Program Committee: @akirakanaoka, @satorukanno, @za_to

Topics of interest include, but are not limited to:

  • gentleness
  • graciousness
  • beauty
  • facility of cooking
  • security
  • younger
  • cute
  • lovely
  • long straight black hair
  • over-knee socks
  • playing instruments
  • healthy
  • a pharmaceutical technician
  • doctor
  • wide knowledge
  • TOEIC 750 over
  • good at Japanese
  • like goddess
  • rich

Submission Guidline

  1. follow general chair and at least one of program committee on twitter.
  2. contact to program committee via twitter.

知られざる大学教員の生態

このエントリは知られざる大学教員の実態とコンプリメンタリの関係にあります.このようなおちゃらけネタエントリと対をなすことで,事実かどうか分からなくする目的があります.人それぞれ,何かしら考える機会にはなったんじゃないかなと思います.それぞれが思ったことは,それぞれ,その通りじゃないかなと思います.

このエントリでは,私が見聞きした,大学教員の生態を赤裸々に暴露したいと 思います.ただし,全てフィクションであり空想であり妄想です.所属機関とは一切関係ありませんし,特定の人物とは一切関係ありません.信じるかどうか は,あなた次第であると言えましょう.事実は小説よりも奇なり.

大学教員はヌクモリティを求めている

大学教員は孤独で寂しいので,いつも話し相手を求めています.一般的に,その解は学会に求められます.学会はその分野の専門家で構成される組織ですので,何かと話が合う人が大勢います.大学教員はいくつかの学会に所属し,その中にある研究会に所属しています.また,セミナーや会議などもあり,多くの専門家が集まります.こういったイベントは,大学教員が出て来やすいように,春休みや夏休みに設定されていることが多く,それ故に,大学教員は嬉々として参加します.みんながいると楽しいのです.本当は大学の授業でも,嬉々としてそういう話をしたいのですが,カリキュラム上の理由でできません.ですから,授業後に質問しにきた学生は,話したくて話したくてうずうずしている大学教員に捕まってしまうのです.自然のことわりです.

大学教員は嗅覚が鋭い

大学教員の研究能力の高さは専門にだけ特化しているわけではなく,全般的にその能力を発揮します.そのため,学会出張で初めて行く土地に関することもよくリサーチしています.何を食べたらいいか,どこへ行ったらいいか,すべてを調査してから出張します.そのせいで,単独行動していたのに,お店で知り合いにばったり会うなんていうことは日常茶飯事です.珍しいことではありません.

この能力は夜にも発揮されます.初めての土地であるにも関わらず,どこの居酒屋が夜遅くまでやっているかとか,どこの店が美味しいとか,全て調査済みです.しかも,情報共有せずとも,各人がその情報を独立に入手するので,夜が深まって2軒目3軒目と移動していくに連れて,「あれ?ここで飲んでたんですか!合流していいですか?」となって,仲間がどんどん増えていくという不可思議現象が頻繁に発生します.これをアカデミックの群化と呼んでいるという話は聞いたことがありませんけど,面白いから流行らせましょう.

大学教員は寝ない

大学教員は日頃のハードワークに耐える仕様になっているので,寝なくても平気なようです.学会出張すると,話し相手がいっぱいいるので,夜な夜な飲み歩きます.一晩ならいざ知らず,シンポジウムだと2,3日連続開催していたりしますが,至極当然のように,夜な夜な飲みます.飲み歩くだけならよいのですが,朝5時まで飲むなんてことは珍しいことではありません.しかし,早朝まで飲んでいたにもかかわらず,数時間後の早朝のセッションに,不思議と開始前にしれっと会場にいて,なんか作業をしていたりします.しかも,そのまま1日学会に出席して,夜な夜な飲む・・・そんなことを数日繰り返したりします.大学教員にとって,寝ることよりも,仲間と話をすることのプライオリティの方が圧倒的に高いのです.日頃のハードワークは,この時のための訓練のようなものです.

大学教員はとにかく飲む

大学教員は基本的に孤独なので,飲み会があると全力で参加します.翌日に仕事があろうが,出張があろうが,関係なく,終電まで飲みます.何時に始まろうが,終電まで飲みます.みなさん忙しい方が多いので,22時をすぎてから合流してくる人もいます.そんな時間からでも寂しいので,構ってもらいにきます.そして,終電まで飲みます.

研究者は他大学の先生や企業の方などと連携して研究を進めることがあります.そのため,学外に出向いて打合せをすることもあります.外部の方と打ち合わせをして,いい時間に終わったりすると,「じゃぁ行きますか!」ってなります.世の常です.そのため,夕方16時から会議が始まるように設定することがあります.終わり次第,即座に飲みに行くためです.そして,飲みます.もうここまでくると,打合せが目的か,飲むのが目的かわかりません.でも,本当の打合せが飲み会の中盤から終盤に訪れたりするのは,一般的なビジネスと同じなのではないでしょうか.飲んでる時間の長さが全然違いますが.

大学教員は旅行が好き

学会は様々な場所で開催されます.都内もあれば,地方もあります.国際会議は海外で開催され,ハワイやリゾート地で開催されることもあります.大学教員ともなれば,そこそこの会議であれば,大抵通すことができるレベルにあります.そのため,開催地で会議を選ぶという手段をとることも容易です.例えば,行ったことがないからプラハの会議に出すとか,オクトーバーフェストの時期のミュンヘンの会議を探すとか・・・.国内会議であれば,査読なしの場合も多くありますので,道後温泉がいいなとか,沖縄いいなとかで,投稿先を選ぶこともできます.

しかし,職務として出張する以上,観光ばかりをするわけにはいきません.そのため,高度な検索能力を発揮し,綿密な計画を立てることで,超高効率に楽しむことを目指します.もちろん,職務は一切の手抜きをしません.ランチついでにどこかを見てくるとか,セッション終了後から夜の飲み会までの間にちょっと観光するとか,帰路につくまでの間に観光するとか,セッション開始前に早起きして散歩するとか・・・.この適応能力の高さが大学教員なのでしょう.

知られざる大学教員の実態

書かなくてはならないという強い脅迫感でこれを書いています.いや,書き貯めています.皆さんは,大学教員というものがどのような職業であり,日々何をしているのか,よく解っていないと思います.ややもすると,知りたくもないかもしれません.そこで,私が見聞きした,大学教員の実態を赤裸々に暴露したいと思います.ただし,全てフィクションであり空想であり妄想です.所属機関とは一切関係ありませんし,特定の人物とは一切関係ありません.信じるかどうかは,あなた次第であると言えましょう.事実は小説よりも奇なり.

大学教員は寂しい

大学教員は特殊で,同期が数十名から数百名もいる新卒一括採用の企業とは違い,同期は少ないです.しかも,同僚も少なく,企業でいうところのBU程度の人数しかいません.さらに,その数少ない同僚とも,話す機会はほとんどなく,運が悪ければ,1週間誰とも会わないなんてことは珍しくありません.つまり,職場に出勤し,仕事はしていますが,基本的に1人で,誰とも会わないということが起こりえます.これは一般企業では,窓際族と呼ばれる状態であり,通常の心理状態でいられるとは考えられません.

そのような特殊性の中にあって,同僚と飲みに行くとか,同期飲みとか,起こりえません.ましてや,前後の授業や学生の質問対応,訪問者対応,会議などの理由によって,ランチの時間も人それぞれ様々で,一緒にランチというのも容易なことではありません.つまり,大学教員は勤務していながら,ほとんど単独活動に終始するのです.これは寂しいことです.

いや,研究室には学生がいるじゃないかという指摘があります.その通りだと思います.しかし,午前中はいなかったり,午後は授業だったり,夕方はバイトだったりとしますし,基本的に教員と学生の関係ですから,同僚ではありませんし,友達でもありません.人がいれば寂しくないという考え方は,寂しさを経験したことが無い人が絞り出した想像の産物に過ぎません.そのため,結果として次のようなことが起きたりします.

暇ではなく,寂しいのです.インターネット上では多くの人が構ってくれますので,そこに入り浸るのは,至極自然のことです.ですので,日中にインターネットで活動している大学教員を見かけたら,労ってあげて下さい.基本的に,カッツンカッツンの精神状態と思われます.研究室訪問してあげるとか,仕事の振りした電話をしてあげるとか,そういう気遣いが大事だと思います.

http://twitter.com/#!/te_yoshimura/status/173321841346220033

この指摘も的確です.研究室の学生相手に,研究の素晴らしさを得々と説くというのも良いですが,それで毎日は保ちません.しかも,学生はまだ専門家ではないので,興味を示さないかもしれません.そもそも,大学教員であるということは,博士の学位を持つかそれに相当する者であるはずです.博士ということは,曲がりなりにもある分野で最先端を突き抜けたはずですので,自専門の話に付いてこれる人は,それこそ多くはありません.インターネット上を探して数名くらいというところです.ですから,大学教員がインターネットでバカっぽい活動をしていても,優しい目で見てあげて下さい.寂しいんです.決して,サボっているわけでも,専門性がないダメ教員でもないはずです.単なる寂しさの表れです.話を聞いてあげて下さい.そして,相づちを打ってあげて下さい.喜びます.

大学教員は休まない

小中高も同じだと思いますが,児童生徒が休みだからといって,学校が休みだという誤解を持つ人は少なくありません.ことかけて,学生時代に遊び呆けて大した勉強をしなかった人に限って,「大学教員は休んでばっかりだ」などという事実無根の風説を流布します.大学教員が裁量労働制の名の下に,どれだけの労働をしているかを示しましょう.

まず,衝撃を与えるために,師匠が走ると書いて師走である12月頃からの一般的業務スタイルを説明します.しかし,実はそのまえに1年の予定を知っておく必要があります.一般的に,卒業式は3月に執り行われます.卒業式が行われるということは,卒業判定ならびに成績判定が行われる必要があります.成績を付けるということは,定期試験,ならびにそれに関する追試験や再試験が実施されていることでしょう.さて,2月には大学にとって大変重要なイベントである入試があります.大学の規模にもよると思いますが,入れ替わり立ち替わり,2月中のほとんどを入試関連業務に費やすこともあります.ここで,入試関連業務とは,入試実施と採点業務を意味します.また,学部学科や昼夜間,選抜方法など様々なパターンがありまして,実に多数の入試を実施しています.それから,研究室を運営する大学教員には,卒論・修論指導という重要な業務があります.

さて,では12月頃からの一般的業務スタイルを説明しましょう.12月は卒論・修論の追い込みがかかります.それまで大して研究室に来なかった学生も,日頃からコツコツ積み重ねていた学生も,すべからくお尻に火がついて,ハイオク満タンでエンジン全開になります.研究が進むということは,当然ながら研究指導があるわけです.私大だと卒研生が10名を超えることは珍しくないと思います.さらに,大学院進学率の高い大学だと,同時に指導する学生数は,補欠込みのサッカー日本代表くらいはいます.単純にこれだけで,てんてこまいです.さらに,学期末が近づきますので,授業も佳境です.運悪く時期を同じくして,学会発表の締切がやってきたりすると,完全におかしなことになります.IPSJ全国大会やSCISがそれに該当します.

この頃,大学教員は自らの首を絞める実に愚かな行動を取ることが多く観測されます.論文の草稿を閲読や校閲をする場合,学生に対して,このような指示をすることがあるようです.「では金曜日の17時までに提出して下さい.月曜日までには返却しますので,また来週がんばって進めましょう」などと.これは,学生にとっては「土日は休めるぞ!」ということを意味しますが,翻って,教員にとっては,土日で10を超える論文を読んで,赤入れをするということを意味しています.学生はそれぞれ自分の論文だけを見ています.それでも数十ページの卒論や修論になっていることでしょう.しかし,教員はそれを10人分以上も見るのです.1つの論文に赤入れをするのに,およそ1時間はくだらないでしょうから,10人分として10時間は必要です.つまり,土日は普通に仕事をしていることになります.同様のことは年末にもやってきます.「よし!冬休みで実家に帰る前に卒論修論の最新稿を出して下さい.年明けにまた頑張りましょう」と.年末年始も同じことです.学生が動いているときは,教員も当然のように動いていて,学生が休んでるときも,教員は動いているのです.

さて,1月になるとどうなるか.研究指導については,何も変わりません.これは卒論修論発表会まで同様です.少し違うのは,発表練習という新しいタスクが増えます.加えて,この時期は学期末で試験前の最後の講義があったりしますし,センター試験も実施されます.これも大学の規模によると思いますが,センター試験は教職員ともにほぼ総動員です.既にオーバーフローですが,さらに定期試験も行われますし,成績評価も必要ですし,科目によってはレポート課題もあるでしょうから,その採点もしなくてはなりません.こうして,何が何だか分からないうちに1月は終わります.

2月は先に説明したように,入試業務がやってきます.日程的には,定期試験が終わり次第,すぐに始まります.ほぼ1日拘束されますので,研究室に戻るのは日が落ちてからで,目を輝かせた学生たちに出迎えられつつ,研究指導をします.合間を見て,発表練習もします.入試が一段落すると,卒研修論発表会が執り行われ,研究指導は終わりを迎えます.だがしかし,この時期には成績判定が行われ始めるので,成績を付ける業務が現れ始めます.するとどうでしょう.卒業できない学生や赤点で落第の学生が判明し始めます.次にやってくる業務は追試再試です.一般的に,追試や再試は計画的に行われるものではないので,試験問題を予め作っておくことはありませんので,この時期から作ることになります.その後,追再試を実施し,採点し,成績評価を行うことになります.さらに,国公立前期日程入試の終了を受けて,私立は後期日程入試を開始します.一般的に春休みだと認識されている2月はこのようにして過ぎていきます.

3月は入試業務が残る一方で,研究指導がなくなり少し楽になります.しかし,次年度の授業準備や学会活動などがあり,大して暇にはなりません.学務としては,卒業式を終えるまで色々とあり,気が抜けません.こうして,大学教員は年度末に忙殺されます.新年になってから,果たして何日休めているのでしょうか?

このように,年度末は特殊ですが,土日祝日関係なく常に働き尽くすのが大学教員の実態です.当然ながら,冬休みも春休みもありません.夏休みは休もうと思うと休めます.それでも,論文をバリバリ書いて実績を蓄えないとアカデミックポジションを維持できませんので,夏休みこそバリバリ研究をするという大学教員は多いでしょう.研究活動も業務の1つですから,言い換えると,実は休みなんてないのかもしれません.

もう少し補足すると,夏休みは違いますが,春休みと冬休みは何のためにあるかご存じでしょうか.その時期に授業をやってしまうと,完全なオーバーワークで教員がパタパタと倒れていき,実働部隊がいなくなってしまうので,少しは負荷を減らしてやろうというのが真の目的です.つまり,わかりやすくいえば,忙しすぎてマジ意味わかんないからちょっとおまえら学校こないで!っていう期間です.ですから,春休みと冬休みが教員にとって,休みで有り得るはずがないのです.

そして,このようにして,通常業務をこなし,必死で業績を貯める教員が後を絶ちません.その結果,土日祝日関係なく仕事をするので,友人との関係が疎遠になり,孤独化が増していきます.これをアカデミック・デフレ・スパイラルと,今から呼びましょう.ポスドク問題よりも深刻だと思います.ちなみに,土日祝日関係なく働くのは,大学教員だけではなく,小中高の各教員も同様ですので,その辺の偏見は正されるべきです.日曜日に部活の試合があって,それを引率する部活顧問の手当がいくらかご存じですか?バナナはおやつに入りますかレベルです.このように教育業は教員の一方的な愛でのみ,保たれているのです.

大学教員は日々重圧に押し潰されている

大学教員の主たる業務に教育があります.つまり,授業です.授業以外にも教育業務は色々とありますが,ここでは実感しやすい例として,授業を取り上げます.大学教員は教員ですので,いくつかの授業を担当します.

みなさんは,大学教員がどのように授業の準備をするか,ご存じでしょうか.毎年同じことを繰り返しているだけ,なんて思ったりしていないでしょうか.一般的に,大学では授業を履修し試験に合格すると単位が与えられるため,2年連続で同じ授業を受けることはほとんどありません.数少ないその機会を与えられるのが,再履修者とTA(ティーチング・アシスタント.一般的に大学院生が担う.)です.

さて,では,大学教員は毎年同じ授業を繰り返しているのでしょうか.答えは否です.毎年内容が変わっています.むしろ,変わっていなくてはならないはずです.もし,毎年同じ内容で教えているのであれば,そんな教員は要りません.ビデオに撮って流しておけばいいだけです.教師は黒板に対して授業をしているのではありません.学生に対して授業をしています.そのため,毎年変わる学生は,当然ながら理解度も違うし,前提知識も違うし,性格も違う.人数も違えば,男女比も違い,顔も背丈も服装も何もかもが違うのです.もちろん,入試で選抜しているので,学力は大幅に違ってはいないはずですが,雰囲気は異なります.毎年,全く同じ学生に対して授業をやるのであれば,全く同じ授業を繰り返せばよいでしょう.しかし,実際はそうではありません.そのため,大学教員はその時々に適応した最適かつ最良の学びを提供する義務があります.

そのために,大学教員は猛烈な準備を行います.授業で100のことを教えようとした場合,200~300程度の準備が必要になります.実際に授業を行うと,学生の反応や理解度をみて,適応的に授業を進めるため,目標通り100を教えられることもあれば,150を教えることができることもあれば,質問や脇道トークの所為で70程度しか教えられないこともあります.では,100の準備をして,70しか教えられなかったら,その授業は失敗なのでしょうか.否.それは70で最良なのです.講義を進める上ででてきた質問は学生の理解の助けになっているだろうし,70の理解しか得られない状況に100を詰め込んでも,得られる成果は100に達しません.その時々に合わせて,最適な授業をオンデマンドで組み立てる能力が求められます.これは経験や勘ではありません.綿密な準備と計画の産物です.適当ではありません.

ですので,授業期間が終わると,妙に生き生きとしているのは,この重圧から解放されたからであって,「休みだ!」と思って浮かれているわけではありません.死んだ魚のような目をしていない大学教員を見つけても,「あいつはサボってばっかりだ」などと指を指さないで下さい.心がつぶれてしまいます.でも,安心して下さい.どうせすぐにまた,未熟な自分に焦燥感を覚える日々がやってくるのですから.

最後に

特に言及はせずに,投げっぱなしにしますが,放送大学の「教育と社会(’11)」の第10回からキャプチャした画像を示したいと思います.これは大学教員ではなく小学校教員の例ですが,何かを示唆しているでしょう.

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