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海外データローミングを試してみた

6月末より7月頭にかけて,韓国のソウルに出張していたので,せっかくの機会だと思い,海外データローミングを試してきました.試したのは,ソフトバンクモバイルの海外データローミングでSK TelecomとUQ WiMAXの海外データローミングでKTの2つです.

ソフトバンクモバイルによる海外パケットし放題

現在は2段階制で1段目が1980円/日で,2段目が2980円/日になっていますが,6月末まではキャンペーンで上限1480円/日だったので,これはチャンスとばかりに試しておきました.韓国ではキャリアとしてSK Telecomを選択することで,海外パケットし放題を利用することができます.海外のローミングに接続すると,その旨の案内がSMSで送られてきます(この通知の受信料は無料です!).

海外パケットし放題で注意したい点は2点です.

  • 指定キャリア以外でのデータローミングは定額対象ではない
  • 1日単位での定額制だが,現地時間ではなく,日本時間で1日である

韓国は日本との時差がないので問題ないですが,時差がある国では注意したいです.

で,実際はどうなのかという話です.ぶっちゃけると,めちゃくちゃ便利.まず,ソウル内で圏外になることはありませんでした.そうです.ソウルの地下鉄は普通に電波が入ります.車内で通話している人が多いです.データ通信も余裕です.これはネット依存症のオレ歓喜です.どこでもツイートできちゃいます.4sqもできちゃいます(ただしチェックポイントがハングルだと読めないけど・・・).スピードテストをし忘れてしまうという大失態を犯しましたが,写真付きツイートがストレス無く行えるレベルでした.実に便利です.素晴らしい!

請求はこんな感じです.いいね!

UQ WiMAXによるWORLD WiMAXによるローミング

6月末まではキャンペーンで3000ウォン/日でしたが,7月以降も同額で提供されるとのことで,これはチャンスとばかりに試しておきました.なお,アメリカでのローミングは無料なので,なんか負けた気分です.といっても,270円程度ですが・・・.こちらも1日単位での定額課金ですが,SBMと違い,1日というのは接続開始(手続き完了)時点から24時間です.お財布に優しいです.

で,こっちはWiMAXならなんでもいいわけではなく,モバイルルータはダメで,WiMAX内蔵ノートPCで,かつCentrino Advanced-N+WiMAX6150または6250じゃないとダメという制限付きです.そのために,S8からS10に乗り換えたなんて・・・裏話過ぎて言えない.それさえクリアすれば,いつもの接続ユーティリティからKT (SHOW WIBRO)を選ぶだけで接続できるので,契約して情報を書き込んだらバッチリです.

こっちはスピードテストしてみました.下りが1Mbps強で,上りは200kbps程度でした.実利用には困らない速度です.通信エリアも十分に広く感じました.実際に使ったのは,明洞駅前のホテルと蘆原にあるKorean Bible Universityです.どちらも建物内でも問題なくつながりました.実に便利.

まとめ

海外データローミングが便利すぎ.定額制サービスが普及して,ネット中毒のオレ歓喜.野良無線LANを探すのは大変ですし,セキュリティ的にも不安ですから,こういうサービスは便利です.ちなみに,無線LANのローミングでよければ,ロードウォーリアもいいのではないかと思います.今回は買うのを忘れたので,これはまた今度の海外出張の時に・・・.

DSC-HX7Vを買ってみた

先日,Interop Tokyo 2011に行った際に,デジカメちゃんのオートフォーカスが機能しなくなっりました.やだなーって思いながら叩いたら,直ったんです.2008年に買ったので,もう3年経つので,そろそろ買い換え時なのかなって思いました.

ってつぶやいたら,

だったので,ソニーのDSC-HX7Vを購入してみた.

持っているパナソニックのDMC-FX35よりも,ちょっと高くて,ちょっと大きいような気もしたんですが,GPS付きはいいなーと思ったので,買ってみました.

まだ届いたばっかりで,どこにも持ち出していませんが,スペック上の良い点は以下の通り.

  • フルHD動画が撮れる
  • 光学10倍ズーム
  • SDカードが使える
  • GPS搭載
  • 液晶が綺麗

売りにしているらしいけど,別にどうでもいいかなって思ったのは,3D撮影です.表示できるデバイス持ってないし.あとミニHDMI端子を搭載していますが,ケーブル別売りだし,使うことはないかなって.

で,ここからは,使っていないけど,ダメだと思うところ.

接続端子が底面にある

接続端子が底面にあって,どうしていいのかわかりません.恐らくは純正アクセサリのクレイドルを使うためと思われますが,この機種はバッテリーの充電器が無く,本体に給電することでバッテリーが充電できます.そのため,充電するときは,この端子にケーブルを繋いで充電します.充電中は本体をどうやって置いておけばいいの?液晶面を下にするか,レンズ面を下にするかしなくちゃいけなくて,心理的に許可できません.ちなみに,この接続端子,microUSBに見えますが,独自形式です.なんで,こういうのをmicroUSBとかminiUSBとか統一しないのかがわかんないです.このセンスがわかんないです.ケーブル増やしたら困るのは利用者でしょ.

ちなみに,FX35はケースに入れたまま端子にアクセスできるので,すごく良いよね.

純正ケースがすごくいまいち

FX35のケースはなかなか気に入っていました.特に,蓋を閉めるボタンの部分にマグネットが入っていて,カチッてなるんですよ.

しかも,磁力の力で止っているので,そんなに力を使うことなく開け閉めできます.快適.対して,HX7Vはどうかといてば,物理的なロックです.

これが結構固めにできているので,しっかりと力を加えないと閉まらないし,開かないです.この点はかなり気に入ってないです.それから,無駄に金属プレートでワンポイントとか余計です.ケースを使うということは,バッグの中にしまうことも想定するわけで,そうすると何がおきるかといえば,このケースの金属部分でバッグ内の他のものを傷付けかねないです.こういう想像ができないのが嫌です.その点,パナソニックのは必要最小限にしているので,よく分かっていると思います.

接続ケーブルが独自形式

この端子はUSBでパソコンにつながるんです.クレイドルを使うから独自形式にしたんだと思われますが,microUSB形式だとクレイドルを作れないわけではないので,こういうユーザビリティの配慮の無さが嫌です.このケーブル,microUSBケーブル,miniUSBケーブル,iPhoneのケーブルとケーブルばかり持ち歩くのは面倒です.統一して欲しいです.独自形式で出すなら,持ち運びを考えて,巻き取り式にして欲しいです.

まとめ

まだ使ってないので何とも評価できません.が,今のところの印象では,安かれ悪かれだなと.いや,ソニーだからか.

SmartARをみてきた

5月20日から22日まで銀座ソニービルのOPUSで行われていたSmartARの技術展示を見てきた.

もっと広いスペースで,プレゼンテーションステージがあったりするのかと思ってましたが,至ってシンプルな技術展示でした.小さく8カ所に別れていて,Xperia Arcにデモソフトを入れ込んで実際に体験できるようになっていました.

雑感としては,技術先行でアプリケーションはこれから考えていくという感じのようです.

akio911さんのレポートを見ればどんな展示だったかはわかります.見せ方の問題ですが,個人的にはキャプチャした瞬間の平面に対してARがそのまま表示されるというのはいかがかと思いました.マーカレスARを売りにしているので,そういうデモなんでしょうが,実際にサービス展開するときは,特にメニューのやつなんかは,オブジェクト部分をタッチしたらAR表示すべき情報が全画面表示される方が良いんじゃないかなって思いました.コーヒーショップのメニューのやつはズームインしましたが,固定倍率で,ピンチで拡大縮小とかできなかったです.まだ,仕方がないか.

どのデモもアプリケーションとしてグッと来るものがなかったんですが,唯一「あー」って思ったのは,中央のデモでした.中央のデモでは,モノクロ(セピア調だったかな?)のポスターをARでカラーにするとか,広告を表示するとかそういうデモをやっていて,(展示説明員さんの個人的な意見として)応用に電車内中吊り広告があると言っていて,なるほどって思いました.

ちなみに,信頼度の設定をどうしているのか知らない(認識対象が高々1つなので)ですが,対象領域の1/4程度が認識されるとターゲットされます.追従性も認識速度も申し分ないレベルで,空間平面の破綻も通常利用では起きていませんでした.もちろん,高速に振るとおかしくなりますがw.

結果的にマーカレスARゴリ押しのプレスリリースになっていますが,実はそういう技術じゃなくて,マーカARにも対応しているんだそうです.ですので,臨機応変に適用場面に合わせて使い分けることが可能なんだそうです.確かに,マーカレスARとマーカARは排他的な関係ではないと思うので,良いと思います.

「原因」と「結果」の法則

良い本だとオススメされたので,買ってみました.最近,オススメされないと本を読まない病にかかっているので,是非オススメして下さい.

さて,特に引用してレビューするような内容ではありません.というか,分厚い本ではないので,全文引用になっちゃいそうなくらいです.基本的には自己啓発本で,ざっくり言えば「心の持ちようで人生が変わってくる」という内容です.「病は気から」とも言いますし,臨床心理学でも心と身体は切り離せないので,心の持ちようで人生が決まるというのも,その通りかと思います.ですので,「心が人を作る」という考え方を受け入れられる方は,するりと読めると思います.

世界的に見て,聖書の次にベストセラーらしいので,まだ読んだこと無い方は一読されると良いかと思います.

下流志向

という感じでオススメされたので,購入してみました.著者は内田樹の研究室を書かれている内田樹先生なので,有名です.昨年度に最終講義がありましたね.基本的に,各種ブログなどを通じて内田先生の思考は流れてくるので,真新しい何かがあったわけではないです.この本を読んだことがないのに,それらの思考を理解できるというのは,すでに各所を通じて内田樹イズムが流れ込んできているんだと思う.それでも,この書籍は良くまとめられていると思う.

今回もいつも通りに引用しながらレビューしたいと思います.

学力低下にはいくつか配慮しなければならない注意点があります.子どもたち自身学力についての自己評価がかなり不正確であるということもその一つです.学力が集団的に落ちているから,学力が低下していることを本人はそれほど痛切には自覚できない.

(中略)だから,同学齢集団が全体として学力が下がっている限り,自分には学力がないということは少しもマイナスにはならない.むしろ,同学齢集団の学力が低下すれば低下するほど,競争においての負荷は軽減する.みんなが一日五時間勉強するなら,一日六時間しなければ勝てないけれど,みんなが一日一時間なら,二時間すれば楽勝です.

p.21 ll.4-15

本書は主にこれが何故起きているのかについて考察しています.そしてこれは教育現場に立っていると毎年強い危機感に駆られる.本書でも触れられているが,1つの問題は偏差値主義である.偏差値は全体集団の中で自分がどこにいるかを指し示す指標であり,相対評価である.であるからして,昔の偏差値40が,今の偏差値40と同じ学力ではない.つまり,偏差値で世代内のポジションが決定されるのであれば,相手よりも少し上に抜きんでればよろしい.全体が下向きの学習意欲で支配されているのであれば,ほんのちょっと頑張るだけで,飛び抜けて優秀に見えたりする.そういうことである.

「どうして教育を受けなくちゃいけないの?」という問いに対しては,そのような問いがあるとは想像もできずに絶句する,というのが大人の側としては当然の対応のはずです.(中略)

しかし,現に経済合理性を動機づけにして子どもを学習に導き入れようとする大人たちがいます.彼らは「勉強すると,これこれこういう「いいこと」があるんだよ」という言い方で子どもたちを功利的に誘導しようとする.勉強すると「いい学校」に入れるし,「尊敬されるポスト」に就けるし,「高い給料」が取れるし,「レベルの高い異性」を配偶者に迎えることができる,というような説明をする.

p.41

ぶっちゃけ,一生懸命勉強してきたけど,いい学校にも入れてないし,レベルの高い異性も配偶者に迎えることはできていないので,勉強するモチベーションとして説明するには説得力に欠けています.僕が言った場合の話ですが.閑話休題.大学にもなれば,「どうして勉強をしなくちゃいけないの?」とは言いませんが,「それが何の役に立つんですか?」というのはある.これに関してはTwitter上でも似たような論があった.

これに同意できたので,おもしろおかしくいじってツイートしてみたところ,激しくRTとFAVられました.

わざと詳細まで説明しないで投げっぱなしな文章にしておいたことで,色々非公式RTが打ち込まれて,面白かったです.サイレントマジョリティを実感できました.わざわざ非公式RTを打ってくる人は,言葉の表面しか読んでいないようでした.それはそれとして,少し説明すると,要点は2つです.1つは,「あなたが今しているような仕事は序の口で,大学で学んだ内容を活用するような仕事をするには,まだまだ青二才である」という言及.もう1つは元ツイートと同じような感じですが,「お前は大学で何を学んだんだ?取り返しの付かない4年間を無駄にしたのか?」という皮肉です.前者はそのような決断をするには早急であり,人生知った風になるなということです.謙虚に学びを積み重ねる努力が自分自身を高めていくでしょうから.これは後の言及にも関係しますので,後述します.後者については,「無駄」と言い切れるほど,何かを極めたのだろうか?「無駄」と言い切れるほど,人生の全てを見たのだろうか?自分が知るだけの極狭い世界で局所解に陥って結論を急いでいるだけに見えます.結論を急ぐ意味も分からないし,「無駄」と言い切る意味もわからないです.

それはそれとして,少し昔の話をしましょう.大学の「複素関数論」だか「関数解析」だか科目名は忘れましたが,非常に面白いことを話されるおじいちゃん先生の科目でした.心理学でいうところのペグワードを打ち込むのが上手い先生で,テイラー展開の講義中に「テイラーは仕立屋さん」とかボソッという先生でした.他にも「中国語で手紙はトイレットペーパー」とか「川は流れない.流れているのは水だ」とか「電車が来た.来てない.これから来るんだ」とか・・・.話を戻すと,この先生の講義は実に面白いのですが,中身はよくわからない.ひたすら板書をして,ふーんって思って,それでもよくわからずに「なんの役に立つの?」と思いながら講義を聴いていました.そして,最後の授業で,全てが繋がったのです.「これがフーリエ変換です」この一言で,今までやってきたちんぷんかんぷんだった講義の内容が全て繋がって理解できたのです.あれは衝撃的な授業でした.

ですから,授業中にもし学生から「これは何の役に立つんですか?」と質問があったらこう答えたい.「知らん.だが教えてやる.何かに役立ててみろ」と.最近の学生はこれではついてこないだろう.でも,最近の学生は真面目でもあるので,講義には出るし,話も聞くだろう.そして,最後の最後にでも「実はこれは○○に役立つんだ」のような種明かしをしてどっかんどっかんさせたいですね.難しいです.

自己決定したことであれば,それが結果的に自分に不利益をもたらす決定であっても構わない.

ある種の「自己決定フェティシズム」です.

これの典型は医療現場での「インフォームド・コンセント」だと思います.

p.140 ll.11-14

まさに自分のUC治療がこれに当たってて,治療方針は医師と相談の上で,私が決定しています.自分が納得できる治療だけを受けているといっても過言ではないです.ですので,通常であれば寛解導入にステロイドを使うところですが,未だに使っていません.裏を返せば,それほど深刻ではなく,選択肢が豊富にあるという言い方もできるでしょう.

閑話休題.「自己決定フェティシズム」ならよいのですが,自己決定なのに,納得しないタイプがいることもあります.就職活動が終わって,慢心して卒業研究をせず,研究室にも来ず,年度末になって「就職先が決まっているから卒業できないと困る」という不思議な論理展開をする学生がいることもあります.自己決定には責任を持って欲しいものです.

財界や文科省は,大学は送り出す卒業生という「製品」に対して,ふつうの工場がやっているように「品質保証」をしなさいと言ってきます.ちゃんと規格品として標準的な質に達しているかどうか,質の保証をしろ,と.

しかし,これは原理的には無理な注文なわけです.だって,「教育のアウトカム」は測定不能だからです.教育成果として測定可能なものというのは,教育成果のうちのほんとうにごく一部のことにしかすぎない.

p.184 ll.5-10

本来育児って,すごく時間のかかる仕事であって,自分の育児が成功したか,失敗したかなんてことは,子どもを持つとわかるけれども,二十何年たってもよくわからないものでしょう.よくわからないのが当たり前だと思うんです.育児労働の成果をただちに,それこそ四半期とか一,二年で目に見えるかたちで見せなさいとプレッシャーをかけられても困る.そういうスパンじゃ測定できないものなんだから.

p.197 ll.7-11

先ほどの「大学の学部でやった勉強なんて役にたたない」はこれに関係します.大学の授業に役立つかどうかを測るには,就職して数年では恐らく全くわかりません.少なくとも10年は必要じゃないかと思います.私の出身研究室の卒業生は謙虚な人が多いので,卒業後に会うと「学生時代にもっとちゃんと勉強しておけば良かった」とか「あの時いわれたことが今ならわかります」とか言ったりする.これは大学卒業時点で見た教育効果としては推し量れません.大学を卒業し,社会に出て活躍し始めた時に,過去を振り返って初めて得られる教育効果です.教育の効果を測るのは実に難しい.

教育者に必要なのは一つだけでいい.「師を持っている」ということだけでいい.その師は別に直接に教えを受けた人である必要はない.書物を通じて得た師とか,あるいは何年か前に死んだ人で,人づてに聞いてこんな立派な先生がいるというのを知ったというのだって,かまわない.「私淑する」というのは,どんなかたちでもできるんです.教育を再構築するというのは,この師弟関係の力動性,開放性を回復することから始めるしかない.

p.217 ll.6-11

これはすごく大事な話で,同じような話は以下の書籍でも言及されています.

教育を受けるというのは,慕える師と出会うことで初めて意味を見いだせるのかもしれません.その意味では,私は素晴らしい師に巡り会ってきている.自分が感じ取ったその先生方の生き方や考え方を実践しているつもりではある.できてないと思うけど.良い師に巡り会えるまで,教育に絶望せずにいたいものです.

まとめ

教育に興味がある方は一読されると良いと思います.学生も学ぶべきことが多いと思います.教育の力と可能性は常に高くしておきたい.

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