- 投稿: 2012年04月28日 23:47
- 更新: 2012年04月28日 23:47
- 教育
今学期受講している5科目のうち,「発達心理学概論(’11)」を聴講し終えたので,簡単なまとめをしておく.緑科目は脇道トークが面白い.
発達の定義
形態・機能の増大および生殖能力の成熟への一方向の変化は「発達」と呼ばれ,生涯におけるそれ以降の変化を「老化」と呼んでいる.現代の発達心理学において,発達概念の最も包括的定義はレルナとフォードによるものといわれる.個人の発達とは「個人が持つ現在の特徴とその人がおかれている状況・文脈との相互交渉の流れを通して,その人が1つの統一体としての体制化と構造・機能的統一性が保たれていながら,個人の構造的および機能的特徴がより精緻になり,これらの特徴の幅が広がりになり,一連の比較的持久する変化を生じさせる増大と変換する諸過程」である.
ピアジェの認知発達理論
発達心理学の理論の中で最も知られているものの1つは,スイスの心理学者ピアジェの認知発達の理論と思われる.ピアジェによれば,子どもの認知的発達は子どもが環境との相互交渉を通して,生得的に持つ反射やシェマが同化と調節作用によって,シェマがさらに精緻,豊富になり個体が有能になる過程と捉えた.
ヒトの行動の特徴
われわれに最も近縁の種であるチンパンジーと比較して,われわれは他者の考えや意図を察することに長けている.では,なぜそのような行動特徴を持つのだろうか.この問いに対して2種類の答え方が可能である.1つは,われわれの脳や身体の構造にその理由を求めるものである.もう1つは,われわれの行動特徴やそれを可能にする脳や身体の構造が,ヒトという種がかつて進出した環境での生活に適応して進化したからというものである.
脳の成熟と経験の相互作用
脳を含めた身体の成熟のためには,子どもは環境から栄養分を摂取しなければならない.ある環境の中で,実際にそれぞれの器官が働くことで,それぞれの器官が成長,成熟するという側面も無視できない.
乳児の微笑は,新生児微笑と社会的微笑が区別されている.この2種類の微笑の違いは,それを引き起こす原因の違いにある.新生児微笑は,主に眠っているときによくみられる.新生児微笑は,外からの刺激で怒るのではなく,乳児の内的状態が微笑を引き起こすと考えられている.対して,社会的微笑は,乳児が覚醒しているとき,他者からの働き掛けに対する反応として起こる.新生児期に観察される微笑は,ほとんどが新生児微笑であり,社会的微笑が観察されるのは生後6~8週目頃になってからである.
行動の個人差と遺伝
外見や行動,能力には個人差がある.発達の早さにも個人差がある.環境論者は,指紋とか身長,顔立ちなどが遺伝子によって決まっていることは認めながら,われわれの知能や性格のような心理学的性質については,生育環境の違いとか文化の影響など,環境要因の重要性を主張する.対して遺伝論者は,知能や性格のような心理的性質についても,遺伝子が強い決定力を持つと主張する.
実際の心理的性質の個人差は,遺伝の効果の他に,きょうだいや双子に共通な経験をする環境(共有環境)の効果や双子でもお互いを似なくさせる,それぞれの子どもに特有な経験をする環境(非共有環境)の効果の和として理解される.性格に関しては,共有環境が思ったよりずっと小さいことが多い.外向性については,遺伝率と非共有環境の効果がそれぞれおよそ50%であり,共有環境の効果がほとんどない.逆に,例えば,宗教性では,共有環境の効果が大きい.
脳内のモノアミンオキシターゼという酵素の濃度を決めるMAOA遺伝子と反社会的問題行動の関係が明らかになっている.この酵素の濃度が低い子どもが,虐待とか育児放棄のようなストレスに満ちた経験をした場合に暴力的で反社会的問題行動を起こすことが分かった.仮に,この酵素の濃度が低い子どもでも,安定した環境で育った場合には,問題行動を取ることは非常に少ない.
強制注視
生後3,4ヶ月までの乳児には,いったん注視したらしばらく注視の対象から視線を離せない,いわゆる「強制注視」の傾向があるといわれている.乳児と養育者が同時に同じ対象に視線を向けることは共同注視と呼ばれている.乳児が養育者の視線の方向を捉えて養育者と共同注視できるようになるのは,1歳前後とされている.
ピアジェの発達段階理論
ピアジェは,発達の主体の論理操作構造が様々な側面の発達を規定すると考え,その構造の発達的変化の観点から認知の発達やパーソナリティの発達を考えようとした.論理操作の構造は,誕生以降,質的に異なる以下の4つの発達段階を辿る.
- 感覚・運動期(0-2歳)
- 前操作期(2-7歳)
- 具体的操作期(7-11歳)
- 形式的操作期(11歳以降)
心的表象が形成されることで,自分が以前に見た子どもの動作を真似たり,器に砂を入れてご飯を食べる振りをしたりすることができるようになる.具体的操作期になると,思考に論理性が伴うようになる.例えば,コップに入っている水を細長い容器に移し替えても量は変わらないことがわかるようになる.前操作期では,知覚的に目立つ属性によって量を判断していたのが,「何も加えたり減らしていない」「元に戻せば同じ」「高くなった分,細くなっている」のように,論理で判断ができるようになる.
ルール評価アプローチ
子どもの知識状態をより正確に測定できるとのことで提案されたのが,ルール評価アプローチである.ルール評価アプローチでは,まず子どもの発達とともに高次化するルールを想定し,反応のパターンから子どものルールを同定できる数種類の課題タイプを考案する.そして,各タイプについて数問の小問を実施し,それらに対する1人ひとりの反応パターンを分析することで,1人ひとりのルールを同定する.
マイクロジェネスティックアプローチ
漸進的な発達観のもとに,子どもの変化の最初と終わりの状態だけではなく,変化のプロセスを捉えることを目的として考案されたのが,マイクロジェネティックアプローチである.マイクロジェネティックアプローチは,子どもの中に生起しつつある変化を詳細に分析する方法である.その特質は以下の通りである.
- 変化の始まりから変化後の安定状態に至るまでの一定期間の観察を行うこと,
- 変化の速さが速いほど観察を高密度に行うこと,
- 観察では一試行毎に綿密に分析を行うこと.
ことばの発達
言語は,最初は他者との間でやり取りを行うコミュニケーションの手段(外言)であるが,発達とともに,それは自身の行為を制御・調整するための手段(内言)となる.
岡本は,具体的な事柄について,状況の文脈に頼りながら,一対一の直接会話の形で展開される一次的ことばと,現実場面を離れたところで,ことばだけの文脈に頼って,不特定多数の聞き手に対して伝達される二次的ことばとを区別した.一次的ことばは話し言葉であるのに対して,二次的ことばには話し言葉と書き言葉が含まれる.
概念の発達
ヴィゴツキーは,具体的な日常経験を通じて形成される生活概念と,体系的な科学的知識の教授によって形成される科学的概念とを区別している.生活的概念は,子どもの経験の中で体系性を欠いたまま発達するのに対して,科学的概念は,体系化されたことばの体系であり,共通性の関係によって一般化され階層化された構造を持つ.
学校教育における体系的な教授・学習を通じてではなく,日常経験を通じて結成されてきた概念は素朴概念と呼ばれている.1990年頃から,素朴概念を包括する試行の枠組みとして,各領域における素朴理論が提唱されるようになった.素朴理論の特質としては,領域内の知識の首尾一貫性,存在論的区別,因果的説明があげられている.
直接観察したり経験したりできない事象については,科学的概念に照らしてみると誤った素朴概念が形成されることも多い.特に,素朴物理学の領域では,力や電流といった直接観察できない事象について,日常経験を通じて強固な素朴概念が形成され,物理学を高校までに学習した大学生においてもそれが克服されていないことが指摘されてきている.
教育による発達の促進可能性
ブルーナーは「どの教科でも,知的性格をそのままに保って,発達のどの段階のどの子どもにも効果的に教えることができる」という「教育課程というものを考える上で,大胆で,しかも本質的な仮説」を提起した.子どもの発達段階を考慮した教授介入によって理解が促進されるという点は重要な指摘であるが,どのような教科内容も「知的性格をそのままに保って,発達のどの段階のどの子どもにも」教えることが可能であるかどうかについては検討の余地があると考えられている.
学力や学習意欲の問題
小学生を対象とした算数・理科の学力に関する国際比較調査(TIMSS)では,日本の4年生は国際的に上位にある.しかしながら,学校で直接学習する計算や定型的な文章題のような手続き的知識やスキルに関する水準は高い一方で,概念的理解や因果的説明に関連する問題の正答率は国際平均レベルかそれ以下で,課題を残している.
このような日本の子どもの概念的理解や因果的説明の弱さは,1995年以降に国際教育到達度評価学会によって実施されたTIMSS調査や,OECDによって実施されたPISA調査など,小学生から高校生を対象とした国際比較調査においても,また2007年以降に国内で実施されている全国学力・学習状況調査においても一貫してみられる傾向である.
アタッチメントの発達
アタッチメントとは,養育者に対する子どもの接近傾向を意味する.子どもは,何らかの脅威を感じたとき,養育者に接近したり,接触を求めたりする傾向を強く持っている.そして,子どもが養育者に接近する行動や接触行動,あるいは接触を維持しようとする行動をアタッチメント行動と呼ぶ.乳児はいつでもアタッチメント対象に接近・接触できる態勢を維持しながら,環境探索行動をしているのである.このようなアタッチメント行動と環境探索を交互に繰り返している様子から,子どもがアタッチメント対象を環境探索のための安全基地にしているのだと考えることができる.
シュルーフらは,安全なアタッチメントを発達させた子どもたちが,安全でないアタッチメントを発達させた子どもたちより,就学前期や学童期,青年期において,集団生活や仲間との関係で有能であることを報告している.安全なアタッチメントを発達させた子どもたちは,他者との関係に前向きで,より有能な葛藤解決スキルを発達させており,ポジティブな自己概念を持っていることなどが示されている.
社会的認知
社会的認知とは,他者や周囲の出来事を観察して,その意味を解読・理解しようとする働きである.社会的規則は,個人がその社会の適切なメンバーになるためには知っておかなければならないものである.そうした社会的規則は,親や教師から禁止と要請という2つのチャンネルを通して示されることが多い.
社会的情報処理モデル
子どもたちが示す社会的な行動は,対人関係場面で直面する様々な問題について,その子どもなりの解決の結果として表われた反応である.ダッジらは,こうした社会的場面における問題解決についての情報処理モデルを提出した.そこには以下の5つのステップがある.
- 符号化過程
- 表象過程
- 反応探索過程
- 反応決定過程
- 実行過程
あるステップで上手く反応できなかったり,偏ったやり方で反応したりすると,社会的行動が上手く発揮できないとする考え方である.
社会的規則
チュリエルは「私たちが守らなければならない社会的規則の中には,他者の権利や福祉に関する道徳性と社会的相互作用を円滑にし,社会秩序を維持する社会的慣習の2つが存在し,それらを区別しなければならない」と述べた.道徳と慣習は,一般化可読性,規則随伴性,文脈性,規則可変性,権威依存性の5つの観点で区別され,それぞれ異なる発達過程をとる.
向社会性
アイゼンバーグは,思いやりとか愛他性といったポジティブな道徳性の研究が必要であると主張し,「他人あるいは他の人々の集団を助けようとしたり,こうした人々のためになることをしようとしたりする自発的な行動」のことを向社会的行動と呼んでいる.向社会的行動には,次の4つの特徴がある.
- その行動が他人または他の人々についての援助行動であること.
- 相手から外的な報酬を得ることを目的としないこと.
- そうした行動には,何らかの損失を伴うこと.
- 向社会的行動は,自発的になされること.
アイゼンバーグらは,向社会的行動の発見的モデルを提起している.このモデルは大きく3つのステップからなっている.
- 他者の要求への注目
- 動機づけと助力の意図
- 意図と行動のリンク
アイゼンバーグらは,向社会的行動を多くする子どもたちの特徴を次のように指摘している.
- 高次の視点取得能力と道徳的推論を示す傾向にある.
- 困窮や苦痛の状態にある他の人に情緒的に反応しやすい傾向がある.
- 社交的,主張的,社会的に有能である.
- 知的な子どもの方がいくぶん向社会的行動をする傾向がある.
- 男子と女子で異なったタイプの向社会的行動を好み,女子は他者を身体的・心理的に慰めることを,男子は道具的な援助を与えることを得意としている.
さらに,向社会的行動を示す子どもの親の特徴として,次のことを指摘している.
- 親は誘導的しつけを用いる傾向がある.
- 子どもが向社会的行動にたずさわる機会を提供する.
- 向社会的行動に価値をおく.
- 向社会的行動のモデルになる.
- 他者の視点を取る.
- 共感性や同情心を奨励する.
共感性
向社会性に関連する要因として,最も多く取り上げられるのが共感性である.フェッシュバックは共感性を「他人の情動的反応を知覚する際に,その他人と共有する情動的反応」と定義した.アイゼンバーグは共感性と同情を次のように区別している.共感性とは,相手の情動状態から生じ,その状態に伴ってこちら側に生じるような情動状態である.対して,同情とは相手の情動の状態についての情動反応であって,それが相手についてのあわれみや悲しみ,配慮の感情を作り上げる.同情は相手と同じ情動を感じることを意味しているわけではなく,相手あるいは相手の状態に対して感じる感情のことである.ホフマンは,共感性を「他人の感情との正確なマッチングではなく,自分自身のおかれた状況よりも他人のおかれた状況に適した感情的反応」と定期議した.
罪悪感
一般的には,法律上の違反,犯罪ばかりではなく,倫理的,道徳的,宗教的な規範に背いて過失を犯したり,過失を犯そうとしたときに自分を責める感情が罪悪感である.タンネィによれば,罪悪感は,後悔,良心の呵責,「悪いことをしてしまった」ことへの失望を意味している.他者を傷付けたときの適切な反応であり,行いを改めたり,謝ったり,あるいは罰を受けたりといった償いを通して解かれるのが,健全な罪悪感である.
ホフマンは,共感に基づいた罪悪感の理論を提案している.それは,自分自身に対する軽蔑といった苦痛を伴う感情と定義され,犠牲者に謝罪をしたり,償いをしたり,犠牲者とは異なる別の人々を援助したりといった向社会的行動を同期づけることが多いとしている.
パーソナリティ
それぞれの個人には,その人独自の行動様式があって,かなり一貫した持続的な行動傾向が認められる.そうした個人の行動のあり方を規定しているのが,パーソナリティである.パーソナリティとは,「その人らしさ」「人柄」のような個人差を表す言葉である.パーソナリティの語源は,ラテン語の「ペルソナ」に由来し,演劇などに用いられる仮面を意味していた.一方,キャラクターという言葉は,元々土地の境界に目印の石を置き,その石に所有者の名前などを刻み込むものであったという.
語源的には,パーソナリティは可変的で力動的,キャラクターは固定的で静態的である.パーソナリティは社会的役割などを含み,環境に対する適応機能の全体的特徴を問題にしている.一方,キャラクターは,比較的変わりにくい個人的特徴を問題にしている.
知的能力
パーソナリティの知的側面が知能である.キャッテルらは,流動性知能と結晶性知能の2つに分けた.流動性知能とは,記憶・推理・数計算・図形処理などの情報処理能力からなり,青年期の早い時期に能力のピークが訪れる.結晶性知能とは,言語理解や経験的評価などが含まれ,この能力のピークはずっと遅くである.
自我同一性
自我同一性は「自分が自分であること,自分らしさ」あるいは「私は私であって,私以外の他者とは異なる存在であること」が中核の概念である.エリクソンによれば,こうしたアイデンティティの感覚とは,「自分は他の誰とも違う私自身であり,私は1人しかいない」という斉一性の感覚と「今までの私もずっと私であり,今の私も,そしてこれからの私もずっと私であり続ける」という連続性の感覚からなっている.
アイデンティティの確立を最も求められるの青年期である.エリクソンは,青年期における自我と社会との相互関係によってもたらされる心理・社会的危機を通して,自覚的に揺るぎない自分を確立していけるのか,それとも自らを見失い混乱していくのか,が重要な問題だとしている.
キャラクター
キャラクターはギリシャ語の語源から「彫り込む」ことを意味しており,「消し去ることのできない一貫性と予測可能性の指標」である.ヘイらはキャラクターを「社会生活のジレンマや責任に対する個人の全般的なアプローチであり,他者の苦悩に対する情動的反応,向社会的スキルの獲得,社会的慣習の知識,個人的価値の構築によって支えられた社会的世界への応答性である」と定義している.そして,生涯にわたって発達するキャラクターの次元として,7つあげている.
- 他者の情動や要求に対する感受性
- 共有の資源の使用について協力的か競争的かといった指向性
- 乳幼児,高齢者,病人や助けを必要としている人に対する世話の用意
- 積極的な援助あるいは受身的な従順や服従を通して,他者の目標に合致するよう援助すること
- 他者との葛藤をうまく解決するような社会的問題解決スキル
- 真実を話すことや信頼性の規準の発達
- 社会的慣習と道徳的規範への気づきと忠実さ
バウムリンドは,キャラクターとは「自分の行為を計画し,その計画を実行し,様々な選択肢を検討して選び,他者のためにはある行為を控え,快適な習慣や態度,行動のルールを採用することによって自分自身の生活を組み立てる」ものであると述べている.
リコーナは,「キャラクターとは,徳のことである.善きキャラクターとは,よりよく徳を備えたキャラクターのことである」と述べた.そして「キャラクター教育とは,徳を意図的に教えることである」と述べ,従来の道徳教育への復帰尾を標榜した.さらに,リコーナ,シャップスとルイスは,すでに実施されているプログラムや教材,カリキュラムを評価する基準となる「キャラクター教育の11の原理」を提示している.
- 良いキャラクターの基礎としての中核的な倫理的価値を奨励する
- キャラクターは,考えること,感じること,行動することを含むものとして広く定義する
- キャラクターの発達に対して,包括的,意図的,前進的ならびに効果的なアプローチを用いる
- 思いやりのある学校共同体をつくる
- 生徒に道徳的な行為をする機会を提供する
- 学習する全てのものを尊重し,自分自身のキャラクターを伸ばし,成功を援助するような意義ある意欲的学習カリキュラムを含める
- 生徒自身のやる気を育むよう努力する
- 学校の教職員は,学習と道徳の共同体の一員となり,全ての教職員がキャラクター教育の責任を分かち合い,生徒の教育の指針となる同一の中核的価値に従って忠実な努力をする
- キャラクター教育をはじめるにあたって,道徳的なリーダーシップを共有し,長期的な支援を培う
- 親やコミュニティのメンバーを,キャラクター形成のパートナーとして迎える努力をする
- キャラクター教育者としての学校のキャラクターと学校の教職員の機能を評価し,生徒がどの程度良いキャラクターを体現しているかを評価する
英知
エリクソンは,老年期に発達する心の働きを英知と呼んだ.バルテスらは,英知を操作的に定義し,測定できるようにした.彼らの定義では,「英知」とは,複雑さや不確かさを含むような,人が生きていく上で出会う問題に対して,優れた洞察や判断を可能にしてくれる人生の基本的な実践で用いられる熟達した知識である.英知は,事実としての知識,手続き的知識,状況主義,相対主義,不確実性の受容の5つからなる.
ハイリスクの子どもたち
ワーナーらが行ったカウアイ島での調査研究では,母親の教育水準の低さ,生まれたとき慢性的な貧困であったこと,生まれてから2歳までの間不安定で葛藤的な家庭で育つこと,周産期にストレスを経験していること,生まれたときに器質的な問題を持っていること,2歳の発達に遅れが見られることなどがリスクになる.
しかし,ハイリスクの子どもたちの全てが学習や行動の問題を発達させたわけではなかった.ハイリスクの子どもたちの3分の1は,18歳までに深刻な学習や行動の問題を示さなかったのである.ワーナーらは,このような子どもたちを,傷つきにくい,レジリエントな子どもと呼んだ.ワーナーとスミスは,レジリエントな子どもたちと傷ついてしまった子どもたちの比較から,レジリエントな子どもが持つ特徴や条件を見つけ出した.それらは保護要因と呼ばれるが,子ども自身の特徴であったり,環境の特徴であったりする.子ども自身の保護要因は,周りの大人たちから社会的刺激や支援を引き出しやすいような行動特徴や発達の順調さ,周りの大人を困らせるような癖や問題を持たないことなどである.環境にある保護要因は,親密で安定した関係を持つことのできる人の存在とかそのような人々から十分な注意が払われていることなどである.
軽度発達障害と発達支援
軽度発達障害の子どもたちは,これまで,幼稚園や保育園,学校などで,変な子ども,困った子ども,教室を混乱させるような子どもと見なされてきたかもしれない.また,多くの子どもたちから「特異」に見える彼らの行動特徴のせいで,いじめの対象になることも少なくなかった.最近,軽度発達障害の子どもたちを対象とした特別支援教育が行われるようになってきている.特別支援教育は,文部科学省によれば「障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取り組みを支援するという視点に立ち,幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し,その持てる力を高め,生活や学習上の困難を改善または克服するため,適切な指導および必要な支援を行うもの」と定義される.しかし,特別な配慮が必要な子どもたちは,障害をもつ子どもだけではない.「ふつう」と思われている子どもたちも,とても多様な認知や行動の特徴を持っている.発達的には,全ての子どもたちの個別のニーズにできるだけ応えられるような関わり方が大事だという発想への変換が必要だと考えられる.
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