- 投稿: 2012年07月01日 17:49
- 更新: 2012年07月01日 17:49
- 教育
もう何回かコピペレポートの是非について言及している気がするけど,また言及する.今回は「コピペはダメか」ではなく「コピペレポートはダメか」について論じたい.というのも,「コピペ」を「ダメだ」の一言で断罪するのは難しい.何故なら,大学教員のみならず,コンピュータを使う多くの人はコピペを行っているので,それを棚に上げて,単純に「ダメだ」では片付けられない.当然ご存じであろうが,論文誌に掲載される論文だってコピペは当然使われる.使わずに書かれた論文なんてあるのだろうか?問題なのは,コピペではないのである.今日はその観点からコピペレポートのダメさを指摘する.先に結論を述べると,「学生はコピペなどせずに,実直に学びなさい」というのが私の不変の回答である.
定義:コピペレポート
まず,共通認識として,コピペレポートとは何であるかを定義します.このエントリでは「コピペレポート」を「大半がコピペで構成されたレポート,または丸写しのレポート」とします.コピペをしているが,大半ではなくレポートの一部に限局しているものは,コピペレポートとして扱いません.
著作権と引用
まず著作権法の関連箇所を引用し,根拠を明確にします.関連が強いのは第三十二条と第三十五条です.
(引用)
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
2 国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。(学校その他の教育機関における複製等)
第三十五条 学校その他の教育機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において教育を担任する者及び授業を受ける者は、その授業の過程における使用に供することを目的とする場合には、必要と認められる限度において、公表された著作物を複製することができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びにその複製の部数及び態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。
2 公表された著作物については、前項の教育機関における授業の過程において、当該授業を直接受ける者に対して当該著作物をその原作品若しくは複製物を提供し、若しくは提示して利用する場合又は当該著作物を第三十八条第一項の規定により上演し、演奏し、上映し、若しくは口述して利用する場合には、当該授業が行われる場所以外の場所において当該授業を同時に受ける者に対して公衆送信(自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。)を行うことができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びに当該公衆送信の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。
まず,第三十二条を見ましょう.これは「引用」の範囲をしめしています.まず,引用できるものとして「公表された著作物」である点に注意して下さい.早くもこの1点によって,コピペレポートの一角である丸写しレポートはダメであることがわかります.そもそも引用じゃないという批判があると思いますが,レポートは「公表」されていませんので,引用することはそもそもできません.ですので,後述しますが,これは剽窃となります.
また,引用する場合においても,「引用の目的上正当な範囲内」という制限があります.この「正当な範囲内」とはなんでしょうか?
引用される部分が「従」で自ら作成する著作物が「主」であるように内容的な主従関係がなければなりません。
主従関係がなければならないと指摘しています.つまり,引用する部分が自らの主張する内容を補助する役割がなければなりません.要するに,ほとんどが引用で,自らの主張がない,または少ないものは,引用と認められないということです.
さらに,引用に関する要件として,以下が挙げられています.
- 公表された著作物であること
- 明瞭区別性
- 主従関係
- 出所明示
- 引用する側も著作物であること
「引用」に名を借りた著作権侵害(リンク先PDF注意)
この指摘によれば,引用する側も著作物でなければならないので,コピペのみで構成されたレポートは著作物に該当しませんので,引用は認められません.また,出所明示も当然のことです.これは,自らが剽窃をしていないことを示すとともに,読者がその原典を辿りたいと思ったときに,見つけるための助けとなる情報です.正確に記されるべきです.
剽窃行為
次に,引用に似た行為である剽窃行為について述べます.引用は著作権法によって認められた正当な行為ですが,剽窃は犯罪行為です.剽窃は以下のように定義されます.
盗作(とうさく)とは、他人の著作物にある表現、その他独自性・独創性のあるアイディア・企画等を盗用し、それを独自に考え出したものとして公衆に提示する反倫理的な行為全般を指す。「剽窃(ひょうせつ)」とも呼ばれる。
ザクッといえば,引用の範囲を逸脱するなどして,著作権を侵害する行為全般を指します.そして,著作権法第百十九条では以下のように書かれています.
第百十九条 著作権、出版権又は著作隣接権を侵害した者(第三十条第一項(第百二条第一項において準用する場合を含む。)に定める私的使用の目的をもつて自ら著作物若しくは実演等の複製を行つた者、第百十三条第三項の規定により著作権若しくは著作隣接権(同条第四項の規定により著作隣接権とみなされる権利を含む。第百二十条の二第三号において同じ。)を侵害する行為とみなされる行為を行つた者、第百十三条第五項の規定により著作権若しくは著作隣接権を侵害する行為とみなされる行為を行つた者又は次項第三号若しくは第四号に掲げる者を除く。)は、十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
著作権法を犯したものには,罰則規定があります.よって,剽窃は犯罪行為です.
コピペレポートは何故ダメなのか?
では,これらの前提を元にして,コピペレポートが何故ダメなのかを外堀を埋めながら説明していきます.再度,コピペレポートの定義を整理します.本エントリにおけるコピペレポートというのは以下のいずれかのレポートを指します.
- レポートの大半が単一のまたは複数の著作物からコピペで構築されたレポートである
- 他人のレポートを丸写ししたレポート
まず,コピペレポートに限らず,多くのレポートは引用が正しく行われていません.具体的には,出所が明示されていなかったり,引用部分が明確でなかったり(明瞭区別性)します.そのため,そもそもコピペかどうかのいかんに関わらず,引用に問題があるといえます.
そこに,殊更にして,コピペレポートは引用元を明示しません.正確に言えば,明示できないのです.何故ならコピペだからです.丸写しだからです.もし,引用であるならば,出所明示するべきです.「○○実験のレポート.○○太郎,2011.」とか.しかし,それも引用の認めるところではありません.先に示したように,引用が認められる範囲は「公表された」著作物です.レポートは提出しますが,公表されていませんので,引用の要件を満たしません.よって,過去レポを引用しようとする行為は不可能です.もし,公表された著作物としての過去レポがあるのであれば,出所明示をして引用したら良いと思います.
丸写しのレポートは最早議論の余地は皆無で,剽窃ですので,犯罪行為です.我々教員は学生を犯罪者にするために教育をしているわけではないので,ぶん殴ってでも止めさせる必要があると,私は考えます.
次に,複数の過去レポをベースとして,コピペがばれにくいように構成されたレポートはどうでしょうか.もちろん,出所明示されていないので,引用と認められませんので,剽窃です.しかも,複数の過去レポをコピペしているだけなので,引用の要件である主従関係ももちろん満たしません.
よって,いずれの方法を用いても,コピペレポートが認められることはありません.
教育的観点からみるコピペレポートの害
コピペレポートが蔓延しているということは,つまりそれは学生自身が犯罪行為を行っているという自覚に乏しいことを意味します.以下,孫引きですが,思春期・青年期の心理臨床 p.98より,非行概念の模式図を引用します.
コピペレポートは広義の意味で非行に該当しますので,食い止めなくては反社会性が増し,虞犯ひいては犯罪に手を染める可能性がでてきます.つまり,善悪の見境が付かなくなる可能性があります.これは教育機関の目指すところではありません.正されるべきです.
では,学生は何故コピペレポートを是とするのでしょうか.そうなってしまう原因の1つには,教師側が正当な評価をしてくれないことが考えられます.つまり,独自に考えて書いたレポートよりも,コピペレポートの方が高評価である,またはコピペレポートでも単位をとることができるという現実が実在しています.これに対して,我々教員は毅然たる態度で立ち向かわなくてはなりません.学生が犯罪を犯そうとするその片棒を担いではいけません.そのため,我々教員は以下のいずれかの対応をとる必要性があるといえます.
- コピペレポートを受理しない毅然とした態度を示す
- コピペではレポートが作成できないように工夫する
このいずれでも良いと思いますが,私は後者の方法を採用しています.何故なら,レポート受理は私が行う権限がなく,あくまで評価を行う立場にあるからです.そのため,この負の連鎖を断ち切るためには,後者を採用するしかありません.具体的には,レポートにおける考察課題を換えています.にも関わらず,何も考えることなく,過去レポを出してくる学生がいるので,異なる課題を考察しているという,実に滑稽な事象があります.我々の教育意義とはどこにあるのでしょうか.
さて,それはそれとして,教育的観点からコピペレポートを排除したいもう1つの理由は,コピペでは何も学習されないからというものもあります.スポーツを考えれば直感的に理解できると思います.スポーツではいくら理論を学んでも上手くなりません.身体を実際に動かして経験しなくては成長しません.勉強でも同じです.理論ばかり学んでも,なかなか身につきません.そのため,演習問題を解いて,実際に使ってみて学ぶわけです.それがコピペではどうでしょう?答えを写してくるわけですから,答えは合います.導出過程もコピペしてくれば,そこの途中点も入って満点となるでしょう.でも,その解法を理解しているわけでも,解けるわけでもありません.ただ,答えをそこに書いただけです.これでは達成度は測れません.教員側からは達成度が測れないだけで済みますが,学生側からすれば自分を誤魔化して騙しているわけで,最終的に理想と現実のギャップに見舞われます.大学卒業して働き始めた社会人がよく言う言葉に「学生時代にもっと勉強しておけば良かった」というのが,これです.しっぺ返しは必ずきます.働きながらさらに学ぶ苦労を買うか,学生時代からコツコツ積み重ねるか.時間が有限であることを考えると,コツコツ積み重ねる方が賢い選択のように思えます.
そのような事情から,レポートは書いて欲しいのです.手書きが望ましいとは思いますが,時代を考えればワープロでも良いでしょう.でも,自分で考えて書いて下さい.過去レポが目に入ることもあるでしょう.見るなとはいいません.見ても構いませんが,写さないで下さい.過去レポを読んで理解して,噛み下し,自分の言葉で書いて下さい.それはコピペではありません.自分の言葉ですから.
これが手書きだと,別の問題が出てきます.書き写すのが面倒くさいという問題です.そうすると,なるべく写す箇所を少なくしようと考えるわけです.そうすると,何が起きるかといえば,不要な箇所がどこかを考える,という思考が働きます.これは学習効果上,意味があることです.どこがいるのか,どこがいらないのか.これを考えられるということは,一定の理解をしていなくてはできません.
もう1つコピペが与える害を述べます.それは文章構成力の問題です.恐らく,過去の教育過程において,大学レポート級の文章を書く機会はなかったのではないかと思います.文章構成力,論理的思考など,色々な要素が必要になってきます.今の学生は,我々よりもよっぼど多くの文を書いていると思います.それは,チャットだったり,メールだったり,ブログだったり,ツイッターだったり.でも,それらはいずれも「文」であり「文章」ではないのです.そのため,箇条書きはできても,文章で表現することはできないのです.これは,トレーニングしなくてはできるようにはなりません.レポートはその機会の1つといっても過言ではありません.本来はそのような目的はないはずなのですが・・・.
まとめ
コピペレポートは百害あって一利なし.そうでなくてはならない.我々教員は,コピペレポートがいかにダメであるかを学生が理解するまで説明し,やめさせなくてはならない.そして,コピペレポートには毅然とした態度で挑まなくてはならない.教育者として最低限なすべきことだと思う.
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